応答せよ、応答せよ。
森井勇佑が初監督した映画『こちらあみ子』が僕にはすこぶる面白い。子どもってなんだ、と言われたら「純真無垢」とか「素直」とか言われる。つまり、子ども純真無垢に素直に生きるということは、嘘を吐かないということであり、イヤなことはやらないということであり、嫌いなものは嫌い、好きなものは好きということになる。
だけど、電車の中で子どもが、「あ、いま歌いたい!」という素直な気持ちで大きな声で歌を歌うと周囲の大人たちは顔をしかめる。親はそれをやめさせる。大嫌いな親戚のおじさんにお年玉をもらっても嬉しくないから黙っていると「ありがとうは?」と強要される。子どもには子どもらしくいてほしいと願いながら、子どものままじゃ困るのよ、と大人たちは思っているのだ。
僕はとても勘の良い子どもだった。亡くなった父が酔っ払ったときに、「こいつは、親の顔色ばかりを見ていて腹が立つ!」と僕に言ったことがある。その時、僕は確か小学校の三年生くらいだっただろうか。そう言われて僕は「だって、顔色をみていないと、逆鱗に触れて怒られるじゃないか」と思っていた。
だからだろうか。映画『こちらあみ子』の主人公・あみ子のような同級生がいると、僕は厳しかった。僕なら我慢する、というところで逆にアクセルを踏むような、心底無邪気な子どもが羨ましくて羨ましくて、そして、腹が立って腹が立って。その子が「やる」とわかった瞬間に止めに入ったりした。すると、あみ子のような子は僕のことをとても意識するのだ。そして、逆に遊んでくれていると勘違いすることもあるのだった。
でも、本当は僕だって、といつも思っていた。小学校に入ったばかりの頃までは、どこかで拾ってきた1つだけのトランシーバーを耳に当てて、大声で「CQ、CQ、こちらまさと!」と叫んでいたのだった。なぜ、CQだったのか。多分、当時放送されていたアニメかなにかの影響だろう。とにかく、僕はあみ子のような子と、あみ子のような子を邪険に扱う子の両方の気持ちに敏感な子どもになってしまったのだった。
だから、映画の中で、あみ子を見守り、そして傷つけた同級生の男の子の哀しみのようなものが他人事ではなかった。アイツだって、トランシーバー持って叫びたいんだよ。「応答せよ、応答せよ、こちらまさと」って、今でも叫びたくなる僕のように。
植松さんのウェブサイトはこちらです。お問合せやご依頼は下記からどうぞ。
植松眞人事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。