12月14日
今年も残すところあと二週間と少し。今年もあっという間に過ぎていきました。どこかに仕事をしている時間はマッハで過ぎて楽しい時間は亀のような歩みでゆっくりと過ごせる、そんな素敵な魔法や薬はないのでしょうか。

きのう12月14日は赤穂義士(浪士)が討ち入りした日。我が家では毎年この日に浪曲のCDで忠臣蔵を聞いています。CDの唄、語り、三味線は50代で亡くなった浪曲師の国本武春さん。30代の頃の私は夫や職場の同僚と国本さんの浪曲をよく聴きに行っていました。今でいう推し活ですね。
特に年末は忠臣蔵の講演会を毎年夫と一緒に聴きに行き、帰宅すると私が「殿中でござる!殿中でござる!」と言いながら夫のことを背後から羽交い絞めにし、夫は「離して下され!離して下され!武士の情けでござる~」と返す「松之廊下ごっこ」を二人でして笑うまでがお約束でした。

たまたま2か月ほど前に見た旅行会社のHPに「赤穂義士ゆかりの地と泉岳寺をめぐる」というツアーが載っていました。今年の12月14日は日曜日でホテルでのランチも付いていたので、職場の業務としての忘年会しか12月に予定がない私の自分年末慰労会にしようと思い申し込んだのです。

泉岳寺から徒歩で15分ほどのところにあるホテルでランチを頂いた後、配られたイヤホンガイドで人気講師の先生の解説を聞きながらゆっくり歩いてゆかりの地と泉岳寺を周りました。
初めに大石内蔵助と16人の義士(討ち入りの後4つの藩に分けて預けられたので)が切腹をした肥後熊本藩細川家の下屋敷の跡に行きました。雨上がりで寒い初冬の、都心なのに木々が生い茂りモズの鳴き声しか聞こえない静かなうら寂しいさを感じる場所でした。

屋敷跡の中には入ることは出来ませんでしたが、門の壁には17人の名前と年齢が記された石板が掲げれれていて、大石内蔵助が今の自分よりずっと若かったことに驚きました。細川家は義士たちをとても厚遇したそうですが、同じく義士を預かった毛利家では罪人としてかなり冷遇したそうです。

風呂を使わせない(でも冬でそれほど汗もかかないし、今ほど入浴はしていないのでは)私語は禁止(目くばせや身振りなどでコミュニケーションに真剣に取り組みそう)部屋を釘で打ち付けた(連帯感が強くなりそう)など冷遇したと聞くと冷たいと感じますが、逆に沙汰を待つ間があまりに居心地が良すぎると死への覚悟が鈍り恐怖感が強くなりそうな気もします。

その後は高輪の民家の間の細い道を抜けて泉岳寺に行きました。泉岳寺に近づくにつれお寺はまだ見えていないのにマスク越しでもわかるほどお線香の香りが強く漂ってきます。泉岳寺はかなり小さなお寺なのですが、着いてみると日曜で討ち入り当日(旧歴ではないけれど)のため週末の原宿竹下通りを思わせる大混雑ぶりで、そして以外にも外人さんが多い。

ちなみに今回のツアーにも前日にバルセロナから日本に来たというイケオジで日本語が話せるスペイン人の中年男性も参加していて(友人の日本人男性も一緒に参加)ネットで赤穂義士を検索してこのツアーを見つけて申し込んだそうです。外人さんにとってはサムライに興味がわくのかもしれません。
境内に入ると最近見たことがないほど出店が出ていてまるでお祭り。実際「義士祭り」でお巡りさんも大石内蔵助の銅像の横で警備に入っていました。大混雑の中を人の波に流されつつ講師の先生の背中を追いながら義士の墓所に向かいました。

義士のお墓詣りには、義士一人一人ににお線香を供える「じっくりお参りslowlyコース」と「さっとお参りfastコース」の2つがあり、私たちのツアーはとりあえずfastコースでお参りして、一人一人のお墓を巡りたい場合は解散後に個別で並び直すことになりました。とにかく狭い中を長蛇の列だったので。

fastコースとはいえ列にはまあまあ並んで義士の墓所前の香炉台に辿り着きました。境内の中は常にお線香の煙で煙っていたのですが、香炉台を見て納得です。まるで暖炉に薪をくべるようにfastコースでお参りに来る人達全員(ほぼ入場料的にお線香を購入)が、次々とお線香の太い一束を炎が出ている香炉台に供え(私は炎が怖くてほとんど投げ入れるような恰好に)ているのです。

落ち着いて手を合わせる暇もほとんどなく墓所前から退出しようと後ろを振り返ると、高輪の真新しい高層ビルが義士祭の提灯越しに見えました。一気に300年以上タイムスリップ(今どきはタイムリープ?)したような気分に。

再び人並みにもまれなが境内を抜けたところでツアーは解散し、私は帰宅するためにJRの「高輪ゲートウェイ駅」に向かいました。この「高輪ゲートウェイ駅」は山手線の駅としては約50年ぶりに2020年春に開業した新しい駅で、亡くなった夫も半年ほどはこの駅を横目に見ながら電車通勤していたのです。

今回は美味しいランチと赤穂義士のお参りのツアーだったのですが、ランチに出てきたお料理を見ては夫と同じようなものを食べた時のことを思い出し、泉岳寺に着けば浪曲師の国本さんの三味線と唸る声や、一緒に浪曲を聴きに行った今はもういない懐かしい人たちのことを思い出していました。

いつか私にもお迎えがきて先に行った人たちと合流することになりますが、長い時間軸で考えれば案外思ったよりもずっと早く再会できるような気がしてきます。それまでは心の中にいる親しい人たちと一緒になるべく楽しく過ごしていきたいなと改めて思った初冬の休日でした。
















































































