Posted on 2026年3月11日 by uematsu
土地や家を手に入れるという痛み。
松家仁之の『沈むフランシス』という小説を読んでいたら、北海道の安置内村に移り住んだ女性が、郵便配達の仕事をしながら、その土地とそこに住む人に思いを馳せる場面が出てきた。
少し長いけれど引用する。
「原生林を切りひらけばやがて自分たちの土地になると素朴に思った者もいれば、アイヌの人びとがこのあたりにもいたはずで、つまり誰のものでもないまっさらな場所とはいえないだろうと理解する者もいた。程度の差こそあれ、名づけようのない何かから土地を借りうける人間の、遠慮や戸惑い、畏れのようなものが彼らのどこかにはあった」
若い頃、身の程をわきまえないほどの大金を手にした勢いで新築マンションの一室を購入し、多額の借財に右往左往させられた身としては、土地を自分のものにするという感覚が、今ではとんでもなく横暴なことに思えてならない。
おそらく、この小説に登場する開拓民たちは、原生林を切り拓くことに畏怖の念を抱いていただろう。土を耕したからといって、そこが純粋に自分の所有物になるのではなく、あくまで「借り受けている」のだという感覚があったはずだ。
それは、自らの手で枝を払い、木の幹に斧を入れたときの「痛み」を肌で感じていたからではないか。金と引き換えに権利を買うだけでは、そうした手触りのある感覚は薄れてしまう。この小説にも、土地を借り受けているという謙虚な自覚が残るのは二代目までだと記されていた。三代目ともなれば、そこは単なる「生まれた土地」となり、当然のように先住者としての意識が芽生えてしまうのだという。
いま日本の都市部で建てられる高層マンションを購入するには、何億円という単位のお金が必要なのだそうだ。まあ、その時点で、そんな住まいを「自分の物にする」という選択肢はもう私にはないのだが、逆に身の程知らずな狂騒と無縁だという、負け惜しみ半分の安堵もある。
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植松事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。














































































