どうしよう。
ときどき、電車の中でキレているジイさんを見る。ちょっと背中を押されただけで、「なんじゃい、こら!」と怒鳴ったりしている。最近、SNSを見ているとお節介にショート動画が流れてきて、そこでもジイさまが若い女性にキレ散らかしている。
そんな動画を見ていると、「どうしよう」と不安になる。わかるのだ。彼らの苛立ちや怒りが。隣の席の若い女が足を組んで、自分の目の前にニョッキリ飛び出した瞬間に新聞でバシッと叩いてしまうジイさまの気持ちがわかってしまうのだ。そりゃ自分も大人しく足を揃えて、座っているのに、なんで隣の若い女が足を組んで、わしの足に当たりそうになっておるんじゃ。こやつめ、足を引っ込めればいいじゃないか。と思う、オジイの気持ちが手に取るようにわかるのだ。
もうね、紙一重なのよ。混雑した電車の中で中学生くらいのワルガキが数人でゲームをしながら、ギャーギャー騒いでると、ショート動画で顔をさらされて怒鳴りつけているオジイのような気持ちになるのよ。なるけど、キレないし、キレそうになったって我慢するんだけども。我慢するんだけれども、同じ気持ちなのが怖いのよ。そして、いつかやっちまうんじゃないか。いつか電車の中でキレ散らかして、誰かに動画を撮られて、知らない間にSNSで拡散されるんじゃないかと不安なのよ。
いろんな人がいて、いろんな価値観があっていいのさ。なんて普段は言ってるし、本当に思ってもいるんですよ。だけどね、ときどき、キレてるオジイの気持ちがわかるってことは、根っこが一緒なんだよと言われてるようで怖くなるんですよね。
ほら、スーパーでポテトサラダを買おうとした若い母親に「ポテトサラダくらい、自分で作れ」って説教したジイさまが話題になったことがあるじゃない。自分もポテトサラダ買うし、自分で作ったりしないし、買ってる人を見てもなんとも思わないんだけど、ジイさまの気持ちはわかるんだよ。でね、もし、目の前にこのジイさまがいて、もし、目の前でポテトサラダを買ってる人がいて、このジイさまが説教を始めたとしたら、たぶん僕は止めるんですよ。「ジイさま、それは人の自由じゃないか。なぜ、あなたがキレるんです」と。
だけど、根っこの根っこで、このジイさまの気持ちはわかってるから、いつの日か、あと何年かして僕がもっとジイさまになったときに、同じことをしちゃうんじゃないかという不安があるのさ。
えっと、こんなことを書き始めたワシはだいぶオジイになっているのか。それとも、だいぶおかしくなっているのか。最近、暑い日が続くからなあ。脳みそから水分が抜けて、思考に潤いがなくなっているのだろうか。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。