野ぐその先生
さて、誰しも野や山で(あるいは道端で)用を足した経験の、一度や二度はあるのではないでしょうか。
ところが、それが「大のほう」、いわゆる野ぐそだとしたらどうでしょう。そうなると、経験者の数はぐっと減ることと思います(ちなみに私は一度あります。子どもの頃、山で。)
伊沢正名さんという人がいる。もともと、キノコやコケ、変形菌など専門の写真家で、あかね書房の科学のアルバムや、山と渓谷社のきのこの図鑑などをてがけ、キノコの接写といったら伊沢先生というようなすごい人なのだが、この人、なんと「野ぐそをする」ということをライフワークにしている。
伊沢さんは『くう・ねる・のぐそ』(山と渓谷社)、『うんこはごちそう』(農山漁村文化協会)といったような著書も出しており、私は、倉敷の古本屋・蟲文庫の田中美穂さんが書いた『苔とあるく』(WAVE出版)という本で、伊沢さんが写真を担当していたのでこの人の名前を知った。
そして先日、探検家の関野吉晴さんがやっている「賢者に聞く」という対談形式の講演会に、伊沢さんが来るというので、聞きに行ってきたのだった。
伊沢さんによると、野ぐそには正しい野ぐその作法というものがあり、肝心かなめは場所えらび。そして穴をほってうんこをし、後のおしりは葉っぱで拭く。そのさい、あらかじめ携帯した水で洗うとうんと爽快である。埋めたあとは枝を使って目印をたて、一年間は同じ場所を使わない。
一年間というのは、うんこが地中で分解されきるのに、だいたいそれくらい待てばじゅうぶんなのだそうである。ちなみに、紙はなかなか分解されないので使わない。おしっこは植物を枯らすので、うんこだけにしている。
伊沢さんがこのようなことをはじめたのには、もちろんわけがある。
前述の通り、伊沢さんはキノコや苔などを専門に撮る写真家である。キノコなどの菌類の多くは、倒れた木や落ち葉、種類によっては動物の死骸や排泄物を寝床にし、それを分解して栄養として取り込み成長する。
分解された木や死骸はやがて土にかえり、豊かな森の土壌となる。また、キノコも動物たちの貴重な栄養となり、その動物たちもやがては死んで、それをまた菌類が分解して…なんという無限大!死んで腐ることも生きることと同じくらいたいせつだ。
そのことに大変な尊敬をおぼえた伊沢さんは、では人間はどうだろうかと考えた。
人間は、人間のためにばかり生きている。水洗トイレに流されたうんこは、最終的に焼却処分されて、最近ではリサイクル原料として、レンガやコンクリートやセメントに再利用されているらしいが、それには大量の水と火力が必要になる。ひどい。うんこはごちそうなのに!
リサイクルされているのだからいいではないか、という意見もあると思うが、それだってものすごいエネルギーを使って、人間のためにしかなってないじゃないか、というのが伊沢さんの考えである。
人間が自然に返せるものといったら、排泄物と自分の死骸くらいしかない。
そうして、44年前、伊沢さんは野ぐそを始めた。以来ふつうのトイレで用を足したのはたったの13回(そのうち6回は入院中にやむをえず、ということだった。)
伊沢さんは茨城県の山の中に住んでいるので、ふだん野ぐその場所には事欠かないが、やはり仕事や用事で都会に出ることもある。そんなときはとても困る。しかし、公園や神社の杜など、だいたいいつも、どうにかなるそうである。そして、長年の鍛錬のたまものとして、伊沢さんは今や溜糞(ためふん)ができるようになった。すなわち、これからしばらく環境的に野ぐそがむずかしいな、とあらかじめわかっているばあいに、便意がなくても(半日程度)繰り上げうんこをしておくことで、その後に備えることができるようになったのである。
しかし、「難しいとかえって燃えたりしてね、うふっ」と、何か特別な境地に達している感もある伊沢さんなのであった。
野ぐそと聞いて、けしからんと言われてしまう原因としては、1汚い 2臭い 3行儀が悪いの3つに大別されるように思われる。
1の汚いについては、確かに排泄物が病気を媒介してしまうこともあるのだが、正しく野ぐその作法にのっとり土に埋められている限りにおいては、うんこは自然界のごちそうでありこそすれ汚くはない。
ひるがえって、人間に必要不可欠な酸素も、喜んで食べる発酵食品も、それぞれ植物のうんこ、菌類のうんこじゃないか、という伊沢さんの発想は面白かった。ううむ、酸素は老廃物なのか…?そこはよくわからないが、植物にとっては体内で不要なものを排出しているに過ぎない、ということなのだろう。
匂いについても同様に、わたしたちがいい匂いだと思っている自然界のあれこれは、実はその種からしたら堪え難い悪臭かもしれないということである。また、長年フィールドワークをしながら人類の歴史を追ってきた関野さんが、文化人類学的観点から、「うんこのにおいは臭い」というのは、もしかしたら後天的な刷り込みかもしれない、と言ったことには、なにか腑に落ちるような気持ちがした。
私が子どもの頃は、都市部近郊でもまだまだ汲取式の家が残っていて、家の前の畑のわきにこやしが山と積んであるようなのが普通だった。近所には養豚場があって、年がら年中ブタのかすかな鳴き声と、家畜のにおいが漂っていた。だからなのか、私は今でも糞尿のにおいはわりと平気である。働いている図書館に、目がチカチカするような匂いをさせた宿無しのおじさんが来ても、わりと平気。ただの鈍感野郎なのか…。
関野さんが「子どもができたら実験してみたらいいんじゃないかな。うんこのにおいを徹底的に「いい匂い」って言いきかせ続けたらどうなるか」とにこにこしながらすごいことを言っていたが、いつだったか、ずいぶん前に読んだエッセイでそういう話があった。
筆者は、こやしの匂いが漂うたびに、母と祖母が「まあ、いい匂いだこと」とすましてお茶などすすっているのを見て育ち、それを言葉通りに受け取って、あるとき友人といるときにこやしの匂いがプーンとしたので、真似をして「まあ、いい匂いだこと」と言ったところ、大騒ぎになりひどい目にあった。まったく騙された。というような話だったと思う。作者が誰だったか、ぜんぜん思い出せない…。だれか知っているひとがいたら教えてください。
以前、ブログでカメムシの匂いについて書いたことがあったが、これも似たようなことで、匂いというのは、ものすごく認知に左右されるものらしい。
そして、野ぐそ=行儀が悪い、というのは、それこそ人類の進化と関わりがあるのだろう。排泄をしているときというのは無防備なので、動物たちもおいそれとは人前(獣前?)でうんちはしない。けれど、人類のばあい、「羞恥心」というのがあることが特徴である。人前でお尻をだすのは恥ずかしい、決められた場所でしないなどというのは、反社会的行為である。公衆衛生という考えが発達したことも、原因だろう。
また、羞恥心といえば、伊沢さんはじぶんのうんこを埋めたところにしるしをしておいて、定期的に掘り返してはうんこがどのように変化していくか、分解の過程を観察している。
その話をするときに見せてくれた画像のいっとう最初に、伊沢さんがしたばかりのとぐろをまいた立派なうんこの写真があったのだが、それを見たとき、なんだかちょっと見てはいけないものを見たような気持ちになっている自分を発見した。
知っている人の排泄物を見て恥ずかしく思う、というのは、どういう心の動きなのだろうか。
その人が排泄しているさまが想像されるからだろうか、うんちの形状から、腸の太さ的なことが推測されるからだろうか、この人の体内に、こんなものが!ということだろうか。なにしろ、羞恥心というのは、想像力の産物である。
このように伊沢さんは、自ら「糞土思想」と名付けた新たな人類の進路たる野ぐその運動を広めるべく、日々奮闘しているのだが、こういうことは何しろ楽しくないと広がらないと、さいきん『葉っぱのぐそをはじめよう』(山と渓谷社)という本も書いていて、これは、おしりをふくのに適した葉っぱの図鑑ともなっている。
伊沢さんいわく、一般的なトイレットペーパーを5段階評価の3.5とすると、尻ざわり、吸着力等の点でそれを上回る葉っぱがたくさんあるのだそうである。
ちがや、ノウタケ、シロタエヒマワリ、現物を次々に出しては、うれしそうに皆に回してくれる伊沢さん…。
ここまで聞いていて、伊沢さんは、その思想や信念もさることながら、なにより野糞をするのが好きなんだ…と思った。この人は気持ちのいいことが大好きなのだ。快楽の求道者だ。
最後に、「ほんとうはね、動物みたいに最後に(肛門を)きゅっとしめなければうんこはつかないんです。でもね、きゅっとしめるというのがした実感があって気持ちがいいからついやっちゃうのね。まだまだ修行が足りないなあ。」と言っているのを聞いて、ますますその確信を深めたものである。
この講演のタイトルは、「うんこはごちそう」。
にも関わらず、「もー、何話してもうんこの話になっちゃって」と何度も言っては恐縮する伊沢さんがとりわけ印象的であった。
といって、さっそく私が野ぐそ活動を始めるかというとそういうわけでもないのだが、機会があったら、おとなになってからする野ぐそはどんなものか、試してみたい気もするこの頃である。
by はらぷ
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凜
はらぷさんこんにちは。
衝撃のタイトルですが、ひっじょーに興味深かったです。
こころなしかはらぷさんの筆も冴えまくってるような(^^)
私も子供のころ、1度ならずしたことあります。
東北に住んでいたころ、日曜学校のキャンプとか学校の合宿みたいな行事がけっこうあって山に入る機会多かったのですよ。うん、葉っぱ使いましたね。現場近くにあるやつ。たしかに葉っぱによって向き不向きがあるし(ちがやなんて今でもわからないし)、ハンカチとちり紙を常に携帯している子供だったので3回目以降は「やっぱちりがみ使おう」となりましたが、土に埋めるのにはやはり葉っぱのほうが自然だし見た目にも気持ち的にもいいなあ・・ということを学びましたね。だけど本当に自然に上手に排泄したらたしかに拭くものはいらないんですよね。トイレトレーニング始めたころの甥っ子が「うんちでたー」と呼ぶたびに拭きに行ってたけど全然紙は汚れてないんです。子供のほうが上手なんだろうと思ってたけど、伊沢さんのお話を伺っていると修行次第っていう気になってきますね(^^)。
それにしても分解に1年かかるんですね!!1か月くらいなものかと思ってました。
伊沢さんの本真剣に読みたくなってきました。子供がすごくくいつきそう(^^)
m
はらぷさん、はじめまして。
この本キンドルで持ってます。
今住んでるところの後ろ半分は雑木林と川で人目がないのもあって、
インフラが止まった時とかの非常時に備えて?読みました。
っていうか、コンポストを始めて、
排せつ物処理に大量のエネルギー使うのおかしいんじゃないかと感じ始めた時に、
何かでこの本の紹介してるのを見たんですよね。
著者ご本人のお話をお聞きになったなんて、うらやましいです。
AЯKO
本当に興味深い話でした。野糞に適した葉っぱがこんなにあるなんて!
肛門をキュッとしめて、周りにつけない、って大事ですね。猫もそうよね。
うちの近所も馬糞の山が小さい頃あって、今はちゃんとお家が建ってるのに「馬糞の角」って認識してます。いや量が量だけに臭かったので私は息を止めてたよ。(図書館の宿無しのおじさんの匂いは耐えられませぬ。)
先日「こいぬのうんち」っていう、役に立たなそうなうんちが、最終的に肥やしとなって花を咲かせる感動的な話を読み語りで読んだんだけど、小1はうんちってとこで引っ掛かり笑って、全くじーんとはしてくれないので、翌週は違う本にしてしまいました。伊沢さんのように信念を持って、推し進めるべきだったか!
ぐみこ
初めまして。
コメント書くのは初めてですが、いつも楽しく読んでいます。はらぷさんの書く文章の魅力にハマってる1人です。
伊沢正名さんのこと、今回初めて知りました。そして興味本位でググってみたら、想像とはちょっと違う上品そうな?男性でした。
自分の好きなことに一直線な生き方って楽しそうで、いいなぁと思います。一度くらい試してみたいなぁ。
はらぷ Post author
凛さん
こんばんは!お返事おくれてごめんなさい!
おおーッ凛さん野ぐそ上級者!
しかも葉っぱ経験者でもあられるとは。
そうなんですよ、私もちり紙を使って、それを土に埋めるときに、落ち着かない気持ちになったことをなんとなく覚えています。
紙の白さというかそぐわなさが映像として頭に残ってる感じ。
紙はほんとに分解されなくて、伊沢さんも最初は紙を使っていたそうなのですが、ある日掘り返したら、うんこはちゃんと分解されて土にかえっていたのに、紙だけはそのまま残っていて、ショックをうけたそうです。
排泄して、紙につかないときって時々ありますよねー。
腸に残さずに、まるまる一個分きれいに全部でたらつかない、今日はいいうんち!って思ってたんですが、そういう理想のうんこを作るのも、うまく全部出しきるのも修行しだいなのか…。
はらぷ Post author
mさん
はじめまして!コメントありがとうございます。お返事おくれて申し訳ないです!
わー、m さんも読んでいらしたとは!
実践のために読まれたとは、かっこいい!
お家の後ろが雑木林と川なんて、うらやましいなあ。
自分のうんこが裏山の循環の輪に加わることになったら…どきどきしますね。
排泄物処理にかかるエネルギーのこと、私もあらためて聞いてびっくりしました。
水洗で大量に水を使って、最終的にはそれを燃やすのか…濡れたものを燃やすエネルギー。。。
伊沢さんご本人は、優しくはにかみやさんで、同時にとても情熱にあふれた方でした。
HPをみたら、いろいろなところに積極的に呼ばれて、糞土思想を広めるべくお話をなさっているようですよ。実践付き講演会もやってくれるらしい!
はらぷ Post author
AЯKOさん
こんばんは!お返事送れまして恐縮です!
お尻をふくのに最適な葉っぱ、いくつか触らせてもらったのですが、「こんな気持ちがいいものもったいなくて使えない!」と思ってしまうくらいでしたよ。
ちがやみたいな細い形状のものは、大きな葉っぱの上に乗せて使えばいいんだそうです。
馬糞の家かあ(←ちがう)、そのおうちの人は、そこがかつて馬糞の角であったことをご存知なのだろうか…まあ知らなくてもいいことですね。
小学生に「うんち」はキラーワードですよ…。すべてを破壊するコンテンツです(笑)
私も昔、「みんなうんち」というかがくのともの絵本が大好きでした。
こないだ母の絵画教室の展覧会があり、そこで子どもが作ったうんちの絵本を読んだのですが、女の子が「うんちは何からできているの?」と聞くと、うんちの天使(水洗で流したはずなのにもどってきたから)は、「うんちはやさいでできているんだよ」と言っていました。本当かよ。
はらぷ Post author
ぐみこさん
こんばんは!コメントと嬉しいお言葉ありがとうございます。お返事が送れてごめんなさい!
伊沢さん、そうなんですよー。野ぐそというと、山あらしみたいな男の人か仙人みたいな人を想像してしまいますが(私だけ?)、とても優しくてはにかみ屋さんで、紳士なお方でした。
でも、話を聞いていると、とても情熱的でまごうことなき変態さんだなということがひしひしと伝わってきます(笑)
「自分の好きなことに一直線」ってほんとうに伊沢さんにぴったりの言葉ですよね。
伊沢さんの行動は、すべてご自身の確固たる信念と思想に基づいているのですが、やっぱり根底には「こうすることが気持ちがいい」「もっとやりたい!突きつめたい!」という純粋な喜びがあるんだなあ、と話を聞いていて感じました。もっといろいろなお話を聞いてみたいな。