〈 晴れ、時々やさぐれ日記 〉 ああ、ものわすれ。夢とうつつのあいだ。
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
ない…。ない…。 先日アマゾンで注文した青木十良さんの「無伴奏チェロ組曲第6番」のCDがない。
ない…。ない….。 「主婦性やさぐれ症候群」のときに流しっぱなしにする「かもめ食堂」のDVDがない。
家の中で探しものをするのがきらいだ。ものを失くすのもきらいだから、失くしたり、置き忘れたり、ということは少ない方だと思う。いったん失くしかかっても、「必ず見つけてみせる」というおかしな信念で見つけてきた。今までは。
青木十良さんのCDは先日手にしたばかりでまだ聞いてもいない。子どもやシュジンがいないときに、珈琲でもゆっくりいれて大事に聞きましょうと、パッケージのフィルムもはがさないまま、左手の上で右手でなでて、丁寧にしまった記憶はある。CDをしまう場所は決まっているので、「そこ」にしかないはずだけれど、何度気持ちを落ち着けて見直しても青木十良さんが「そこ」にいない。
「かもめ食堂」は「本編」がない。特典映像と「めがね」の予告ディスクはある。「こういうこと」がすこぶる苦手なたちなので、「こういうこと」がないように観終わったらケースにしまっているはずなのに、何度気持ちを落ち着けて見直してみても「かもめ食堂」が「そこ」にない。
ない…。ない…。
なんだか軽いパニックになりそうになる。誰もいない家の中で、何も音のしない家の中で、一人でスポンと異次元に落ちたような気になる。重力というか自転周期というか、時間や空間から切り離された真空の中にぽかんと浮いているような気がしてくる。びろうな例えでいけないけれど、飛行機のトイレに落ちたら…(落ちるハズなどないのだけれど)、きっとこういう心境に違いない。
飛行機のバキュームに吸われてしまうのはたまらないので、なんとか発想を変えて冷静に「探す」あるいは「出てくるときを待つ」ように自分をしむける。
これはきっと小人のしわざ、いや巨人のしわざ。落ち着くのだ、ともかくお昼でも食べて。
そういえば最近、「メモ」というものが「メモ」の役割を果たさない。例えば、一週間ほど前に書いたはずの料理メモがここにある。タイトルは「バジルとジャガイモのガレット」。※印がついて「ジャガイモは少量をすりおろす」→「つなぎになる」と書いてある。「バジル」の部分には下線を引いて「ローズマリーでもいいハズ」と添え書きしている。
3行だけのメモ。何これ?どんな料理?
まだそう古くはないはずの記憶の壁に、フランスのアンティークの厚手のお皿に盛られたバター色の料理の残像だけがぼやけて映る。お皿の中を目を凝らして(?)見ようとしても、ピントがどうしても料理に合わない。
そもそもこれ、何で見たのだろう?何かの雑誌?新聞の料理欄?どこかウエブサイトの一ページ?…わからない。
不親切なこのメモを書いたときのわたしは、「このメモで必要十分!」と胸を張った記憶がある。「これはおいしそう!」とときめいた感覚もみぞおちあたりに確かに残っている。
だがしかし、「バジルとジャガイモのガレット」って、ほんとに「ガレット」?「じゃがいもは少量をすりおろす」って、ほかのじゃがいもはどうするの?だいたい「ガレット」なんて書いてるけれども、もしかしたらこれ、キッシュとかケークサレとか、わたしの脳みその中で同じページにくくられている「どれか」の書き間違いじゃない?
こういう「いさみあし」的なまつがい行動が、暮らしのあちこちに足跡を増やしているのだ。ここ数年右肩上がりに。
何かにときめいた。でもその「何か」が思い出せない。誰かに話したいと思った。でももう話したような気もする。何かを読んで「うわ~」と思った。「何か」はたしか本の中ほどの頁の左すみに「あった」。それをあらためて探そうとして、なかなか探し出せなくて、ちょっと憔悴しかける。すると「中ほど」でも「左隅」でもなんでもない場所に「それ」がぽつんと「ある」。
そもそもわたしの字はメモに向かない。学生時代にそのことに気が付いた。メモ向きの字が書ける友人のメモは視覚に残った。わたしの字は自分でも読みにくく辟易した。そのうち「本当に必要なことならそこそこ忘れない」と自分に言い聞かせて、細かい数字や記号以外のメモを避けるようになった。
「本当に必要なことならそこそこ忘れない」。「ここまで細かなメモは必要ない」。
長年そう自分に言い聞かせてやってきたけれど、この「言い聞かせ」もかなりあやしいものになった。「本当に必要なこと」を、きれいさっぱり、すっかりきっぱり忘れていることが度々ある。「ここまで細かなメモは必要ない」と高をくくって端折り過ぎた結果、肝心かなめの内容がわからない、ということはしょっちゅうある。
まったく。あなたってひとは。
一人の家で探しものをするというのは圧迫感のある作業だ。ここはどう?…ない。ならここでしょう?…ない。だんだん気圧が上がってくるような気がする。「探し物」はなかなか見つからないのに、「あのときあのひとはこう言ったな」とか「あの場面でこういう音楽がなっていたな」とか、「あのテーブルの脚はひとつだけ色が違ったな」とか。本当ならもう忘れてしまっていいはずの恐ろしく些末で断片的な記憶ばかりが、不気味なリアリティーをまとって次から次へと押し寄せてくる…。
そういう夢をよく見る。
でもこれが夢の中でのことなのか、あるいは覚醒している時間のできごとなのか、ときどきその境界があやしくなる。まずい。
とにかく。
DVDとCDが一枚ずつ手元にないのは確かなことだ。嗚呼…。
中島
日常茶飯事のおとぼけも46歳主婦 サヴァランがつづるととても美しい事のようだわ〜^^
爽子
思い当たりすぎて、涙が出ました。
最初にここにあるはず!と自信満々で見たら、見当たらない。
何周もして、五六回目に見ると、なぜか何処かへ小旅行に出かけてて戻ってきたような風情で、そこにある。
見てたのに、見つけられない。
一日のうちに、どれほどの時間、探し物に費やしているのか、考えたくないです。
恐ろしい恐ろしい恐ろしい。震えてます。
アメちゃん
こんばんわ!
そのCD、、、ほんとうにアマゾンで注文したのでしょうか???
夢の中でポチッとな、、、なーんて^^。
以前読んだ田口ランディさんのエッセイで
田口さんが本棚に置いていたお父様の形見の時計が
あるとき、ふと見ると、そこに無かったそうです。
あれ???と思いつつ
数日後いつのまにか、そこに時計が戻っていたそうです。
なんか
そういう風に、物質がみえなくなるコトってあるみたいです。
それこそ異次元へ移動しちゃうみたいな。。。
きっと、探すのをやめたとき
「コレ、なに?何にときめいた?」って感じで出てくるような気がします。
カリーナ
些末なところに食いついてまことにまことに恐縮ですが、ガレット(それもじゃがいも)、わたしもこのところ、ちょっとおいしそうだなと思っていたのでシンクロしていてビックリしました!
そのすり下ろしたじゃがいもは、細く切ったじゃがいもの間をつなぐ糊の役割をするのかな。ネットなんかでレシピを見るとチーズでカリッとさせるものが多いけども、それはすりおろしたじゃがいもで間をつなぐのかなあ。気になる、気になる。そこにバジルで風味をつけるのかな。いずれにしろカリッとして、もちっとしておいしそうですね~。
そもそもガレットと言う存在が気になるな。あれってフツーは、そば粉で作って、なんか四隅をくるりんと上に巻き上げた形状じゃなかった?ブレイクしそうで、なんか、ビミョーにスルーされた食べ物な気もする。ガレット専門店、まだあるのだろうか。
テレビ前に置いている私が借りてきたDVDのなかに「かもめ食堂」が入っていたら、シンクロしすぎてコワイなー。でも、なんか面白いなー。そんなことがあったら、すごいなあ。今から、ちょっと見てみます(笑)
サヴァラン Post author
中島さま
ちーとも、ちーーーとも美しくないのです(>_<) あんびりーばぼー。 いんしんじらぼー。あれ? ともかく日常がホラーでございます。。。
サヴァラン Post author
爽子さま
>見てたのに、見つけられない。
うわー、おんなじです。
あたまの中全体が
「ないー。ないー」と大騒動になってるので
目は「ほれここ」と言ってんのに
「今それどこやない!」とはじいている感じです。
今日は卵を割るのに
カラを残して中身を捨てようとしてました(>_<) 11月のまだまだ初旬だというのに がくがくぶるぶる…震えがとまりません。。。
サヴァラン Post author
アメちゃんさま
そう!そうなんです!
あれー?わたしそもそも、注文してないんちゃう???
左手で持って右手でなでたってのも、幻想ちゃうん??
もうそこから、あやしすぎるんです。
それならそれでいっそいいかも…と思って
注文書を確認したら…あるんです。注文履歴は。(>_<) 田口ランディーさんのエピソード 教えて下さってありがとうございます! やっぱりあるんだ!○○ホール! とりあえず。 探すのをやめることが得策のような気がしてきました。 アメちゃんさんと陽水さんのアドバイスに従って♪
サヴァラン Post author
カリーナさま
「じゃがいものガレット」。
わたしも昨夜、じゃがいもを洗いながら
「どー考えても
千切りにしてでんぷんでつないで焼くんやろな。
だからじゃがいもはメークインではダメなんだろな。
そんでもって千切りしたのを水でさらしたらあかんのやろな」
とつつつーーーと思い当たりました。
あのナゾのメモからここまで。
道のりが遠すぎてめまいがします(>_<) 「ガレット」。 こじゃれた名前とすがたの割に、どうも不遇な身の上ですね(笑) もともと端っこを折られてるし。 それにしても。 うわ!うれしいシンクロ二シティー!! わたしのスーツケース… いや、わたしの「かもめ食堂」 そちらに行ってませんかね? いんやそれより。 もういいかも。なくしもののことなんて♪
ハラミ
こんにちは。今年になって特に“探し物をすることが多くなった”と感じておりました。そして最終的に物は見つかるのですが、見つかるまで時間がかかるのです。(この時間の無駄ったら…)
だいたいは“しまったはず”の場所にあるのですが、一度は見逃して再度探すと見つかるのです。思い込みであれはこんな色や形・背表紙だったと決めつけていて、見つけてみるとちょっと違っていたりして…。(ミステリ〜)ほんとに頭の中が混沌としてきます(笑)
サヴァラン Post author
ハラミさん!ありがとうございます!
ありました!ありました!
探していたCDが、“しまったはず”の場所に!
わたしが何度も何度も見たときには「なかった!!」のに
息子が今日、「おかあさん、これじゃね?」と指さしていました。
でかしたでかしたと息子の髪をぐちゃぐちゃにかき回して
よくよくCDを見ると、こころなしかジャケットの色が違うんです。
なんかもっと、青かったハズ…。
「とにかくあった」ことの喜びと
「なんで自分では見つからなかったのか」という不可解さと。
ちょっと軽めの混沌に未だに首をかしげています。