ああ、旅行。シュジンとわたしのあいだ。
家族3人で旅行に行った。
旅行に行きたいとわたしはずっと言ってきた 。行こうと思えばいつでも行けるとシュジンもずっと言ってきた。「いつでも行ける?行こうと思えば?」。ここにまず溝がある。
まったり太郎のアブロードデビューは、どこがいいかと思案した。シュジンは西、と言った。わたしは東と言った。息子は「ではまず首都から」と言った。
わたしは学生旅行で一度、シュジンは少しの間だけ住んだことのある街。国会議事堂や大統領官邸、大きな博物館群のある表の顔と、多様な人種と貧富の差の混在するもうひとつの顔。広大なモールが中央に横たわる東海岸の街に目的地は決まった。
旅程や宿泊などの面倒なことの一切はシュジンにまかせた。わたしが気を配ったのは三人分の衣類のパッキングと体調のことぐらいだ。
雪、あるいは桜。天気予報にかじりつき「寒さ」対策の方に重点を絞ったので、「かあちゃんのおしゃれ計画」は出発直前にスーツケースから追い出して出ることになった。
たどり着いたホテルは古かった。フロントスタッフは親切でアットホームだったけれど、室内の引き出しの金具は片方取れていた。事前にシュジンから聞いたキャピトルの裏という立地は間違いではなかったが、高速を挟んだ周辺の環境はまさに「裏」の様相だった。「地下鉄の駅が近くて観光に便利」と彼は言ったが、ひと気の少ない空地ばかりの15分の道のりは、シュジンには近くわたしには遠かった。
おもしろい。おもしろすぎる。これはまさにシュジン好みのホテルだ。
旅行初日の移動を終えて、息子とシュジンはシャワーを浴びてベッドに入った。一旦灯りを落とした室内でお風呂のお湯は出なかった。フロントはメンテナンスをしているので30分待ってくれと言う。45分待ったところで水が出た。思ったとおりの赤い水だった。
おもしろい。想定内、だ。赤水が回復するのを待ちながらわたしはこの旅行をさらにおもしろくするプランを練った。
両方楽しむのだ。シュジン好みのホテルとわたし好みの両方を。わたしは自分の条件に合うホテルをネットで探した。
結局4泊のうちの3泊目だけ、ホテルを移ることにした。すべてにつけ、「エコノミー」であることに快適と安息を感じるシュジンは、最終日の空港までの移動も往きと同じ乗合タクシーに決め、ホテルでのピックアップの予約も込みで往復割引を受けていた。すばらしい。すばらしい首尾の良さだと言っておこう。もともとの格安ホテルの部屋を4泊分残したまま、一泊だけは街の中心部へ夢を見に行くことにした。
4泊6日、移動日を除くなか3日間はとにかく歩きに歩いた。航空、自然史、アート… 博物館群はどれも圧巻だったけれど、航空、自然史…と足取り軽やかだった男子二人は、ナショナルアートギャラリーではやたらとソファーに腰かけていた。高い天井、すばらしい採光、広々した展示室内にこれでもかと終結した名画の数々。展示室をわたしが移動するたびに、男子二人はよろよろとソファーを移動する。26年前、絵画好きの友人と来た時はこんなではなかった。ああこれが我が家の現実だ。。。
26年振りのリンカーンの巨像は、全くトシをとっていなかった。その足元にたむろするわたしたちを含めた観光客の雰囲気もあの頃のままだった。小5の息子は、旅行早々に自分のカメラが動かなくなったので、わたしのカメラを取り上げて目につくものに片っ端からシャッターを切った。
巨大なリンカーン。モールを走るリス。馬に乗った警官。カラフルなバス。ホットドッグとプレッツェルの屋台。。。
3泊目、わたしが選んだホテルはホワイトハウス前のこじんまりとした美しい建物だった。飛び込みで見つけたホテルが思った以上に快適だったので、街の寒さもずっと歩き回ってきた足の疲れも吹き飛んだ。
ただ、カーテン越しに見える通りをはさんだ向かいのビルには、柱と柱の足元にホームレスの人影が夜通しあった。ビルの隣には大きな教会があったけれど大きな扉は固く閉ざされたまま。日中の気温は華氏39°。夜半から明け方は氷点下のはずだった。
朝5時半。月曜のビルに明かりが灯り、早朝のランナーが白い息で街を走り出す時間帯、彼らは家財の毛布を一枚ずつたたんで街のどこかに消えて行った。
旅先のホテルの朝食がわたしはとても好きだ。素敵なダイニングでほんの数枚旅行記念になる写真が撮れるといいなと思ったら、そうはいかなかった。
「お願い。一枚でいいいから。おかあさんといい顔で写って」そう頼んだ息子は、シュジンがシャッターを切るたびにことごとく志村けんになった。ユリの花がフロアに良い香りを放つロビーでは、シュジンの写真の構図のまずさに腹が立った。3人で誰かに撮ってもらいましょうという誘いにもシュジンは気乗りのしない顔をした。
前日のナショナルギャラリーでも。26年前とのビフォー&アフターにはならなかった。なぜなら、男子二人にわたしを写す気がまったく無かったから。
学生時代の旅行。同行の友人が写真にウルサイひとだった。
あのときの感覚が残っているからだろうか。息子の態度もシュジンの写真へのやる気のなさも、徐々に徐々にわたしに怒りのメーターをあげさせた。
せっかく3人で来ているのに。おかあさんがあなた方と来るのはこれが最後かも知れないのに。名古屋で待っているおじいちゃんやおばあちゃんにも、「こんなに楽しい旅行でしたよ」っていい写真を見せたいのに。
まったく。あなたたちってひとは、いつだってこうです!おかあさんの気持がゼンゼンわかってな~~~い!!!
素敵な部屋で怒りをぶちまけ、ホテルを出たわたしの気分は最悪だった。シュジンと息子は、そこだけアメリカナイズされたジェスチャーで「なに言ってんのかわかーんなーい」と肩をすくめてみせた。
シュジンはそこから赤水の根城に一泊分の荷物を置きに行き、正午、歴史博物館でわたしたちと合流することになった。
歩く。歩く。ぶんぶん歩く。ホワイトハウスを横目に歴史博物館まで数ブロック、自分でもわけのわからない怒りに駆られたわたしは息子を連れて大股で歩いた。大人気ないことは分かっている。でもぶんぶん歩く。
「坊主!元気出せ!」道の途中で工事現場のおじさんが、息子の肩を叩いた。
怒るかあちゃん。しょぼくれる息子。言葉は違えど人類みな兄弟。ワシントンDCの空は青く、空気は不思議なほど澄んでいた。
この後も、シュジンと息子の態度に変化はなかった。カメラには息子が撮りためた大小さまざまなモノたちと、わたしが撮った父と子の写真がたくさん。
写っているもの。写っていないもの。映して…残したかったもの。。。
映して残したかったものがわたしには本当はたくさんあった。
でももういい。息子がおじさんに「元気出せ!」と言われたことも、わたしが地下鉄で着ているものを「いいね」と言われたことも、本人が二度と訪れることはないと思っていたかつての学舎にシュジンが息子を連れて行ったことも(ここはカメラのバッテリー切れ)………すべて写真には残らない立体的な旅の記憶だ。
喜怒哀楽、まんべんなく感情を刺激してわたしたちの短い旅行は終わった。
シュジンはシュジンの楽しみ方をしたし、わたしはわたしの楽しみ方をした。アブロードデビューの息子は………、「アメリカはおもしろかったし、これがうちの両親だと思った」と言った。
mity
初めてコメントさせていただきます。mity です。
楽しみにしていた家族旅行が、思うようにすすんでいかない、わかります!
うちではすっかりあきらめました。同年代の話のわかる「女旅」を楽しむことにしました。
中高年の女性団体って、いつもものすごく盛り上がってて楽しそうですよね~。
今となっては、その気持ちめちゃめちゃ理解できるんです!
男どもや、お子ちゃま相手では、所詮は無理なのかも。
これからもどうぞよろしく~!
nao
サヴァランさんの怒りが、すごくすごくわかります。
夫と旅行する度に、収拾がつかないほど哀しいような怒りで一杯になって
私はもう夫とは遠くの旅行は行きません(^^;)
見たいものというかポイントも、歩くペースも
旅行の目的すら違うんですもんね。。
子どもの方は冷静に見てますね。
息子さんの感想が的確で面白いです。
サヴァラン Post author
mity さま はじめまして。
コメントありがとうございます!
家族旅行のままならなさ
わかってくださって涙でございます!
この感覚のズレ
わたしの期待値が高いのが原因か
はたまた男子たちの鈍さが原因か…。
真相は藪の中ではありますが
わたしも「あきらめ」をチョイスしようと思います!
中高年女性グループの盛り上がり
そうか。そうだったのかー。
乙女心はやっぱり乙女にしかわからん!
ということで
どうぞこれからよろしくお願いいたします~!
サヴァラン Post author
nao さま
コメントありがとうございます!
nao さまもわかってくださいますか?
ほんと
見たいものも歩くペースもまったーく足並みが揃わない!
「あ!これ!ちょっと待ってー」という一瞬を
ことごとくスルーせざるをえない歯がゆさ味気なさ。
これがわが家か
これが我が家の実体かと思うと
怒りのマグマがどくどくと―。
でも
ここ数日お米を研ぎながら思うようになりました。
「美しい旅 美しい家族をするために
家族をしてるワケじゃあないんだよねー」
11歳の子どもが気づいているわたしたち夫婦のズレ感。
49歳のシュジンがなぜ気づかんーーという怒りは…
また別の機会に聞いて下さいますか?(笑)