ああ、コスモス畑。ミクロとマクロのあいだ。
たろうの模擬試験の成績にのけぞる。( イナバウアーーー )
のけぞった頭上に秋の空がある。
このまま吸い込まれてしまいたいような秋の空だ。
ああ、季節はいつのまにかもうすっかり秋なのだ。
「 秋の日はつるべおとし。ぼくの成績もつるべおとし。」 by まったりたろう
こんなことを ココへ書いてもいいの?と念のため本人に聞く。
いいよ。書いてよ。だって面白いじゃないか、と本人は言う。
むかし、曽野綾子さんの「太郎物語」を読んだことがある。
たしか、NHKの「夜の銀河テレビ小説」としてドラマにもなったはず。
太郎くんは………広岡瞬、だったかな。
わたしはあの頃、中学生かそこらだったので、「太郎物語」の太郎くんの高校生活や大学生活を淡い期待まじりで読んでいた。太郎くんの大学受験は、たしかスムーズなものではなかったはずだけれど、比較的淡々と描かれていて「テレビばっかり見ている息子に腹を立ててテレビを庭に放り投げた親が、受験のときにはこれくらいクールなスタンスでいてくれるなら子どもはラクだな」と思った記憶がある。
今、親目線で「太郎物語」を読みたいと思うけれど、生憎手元にあの本がない。当時の曽野さんの心理はもとより、実在の「太郎さん」の当時のお気持ちも伺ってみたい気がするが、聞くだけ野暮な気もしている。(そもそもそんな機会は端からない)。
「これはヤバイね」「うん、これはガチでヤバイ」。
たろうとは「ヤバイ」という言葉で会話をするけれど、
彼の「ヤバイ」とわたしの「ヤバイ」はきっと「合同」ではないはずだ。
「合同」でもなく「相似」でもなく、
たぶん「重なった三角定規」みたいなものなのだろうな。
重なっている部分はともかくとして、
重なっていない部分が、お互いいちばん「ヤバイ」よねぇ。。。
状況は非常にヤバイ困難ですと、シュジンと自分のそれぞれの母にやんわりと報告する。
「そんなの、うまくいかなくたってどうってことないわよ。とりあえずドンと当たってみればいいだけのこと」。
「でも、なんとかなるんじゃない?だってまだ11月でしょ?なんとかなるんじゃないの?まだまだ……」。
「どうってことはない」という先達の鷹揚さに安堵したのもつかの間、あとに続く「でもまだなんとかなるんじゃない?」という言葉が、励ましというより懇願の色を帯びているので、高齢のおばあさんたちをこれ以上困らせてもいけない気がして、「そう、そうですよね!」と空元気で電話をきる。
いずれにしろ
「ヤバイ!っていうか、もう完全に終わってる!でも面白くね?」とややこしいことを言う息子を
全身全霊で守ってやらねばと思う。
それなのに
算数の問題でフリーズしている息子のアタマを「こんにゃろ~~!」と全力でシャッフルしたくなる。
もしかしたら。出産のときの不安より、今わたしが感じている不安の方が大きいかも知れない。
どちらも「ぬきさしならない」感じは同じだけれど、「ぬきさしならなさ」が目に見えない分だけ、今回の方がやっかいだ。
高校、大学受験を控えたお母様方、そしてそれを乗り超えられた大先輩のお母様方が、はるか遠くにかすんで見える。
そのとき息子はどうするか。
そのときわたしはどうするか。
そのときシュジンはどうするか。
いよいよ真剣に考えておかなければならいところまできている。
そういえば。
以前のカリーナさんのブログ記事へ utaさんが「真剣であることと深刻であることは違う」とコメントされている のを拝見したとき、わたしは吸い込まれるような感銘を受けたのだった。
吸い込まれるといえば、
以前山形に住んでいたとき。ボタニカルアートの杉崎先生ご夫婦にとてもお世話になった。
あるとき、植物画教室の課題は「コスモス」だった。先生はおっしゃった。
「コスモスさ、虫眼鏡でよ~く見てください。
コスモスは花のなかにコスモスがあります」。
果たして、先生がおっしゃるとおり、「コスモス」の中には「コスモス」があった。
山形を離れて何年かした夏、実家近くのスーパーで「ロマネスコ」というお野菜を買った。
これもコスモス構造だなと思って何かを見たら、こういうのを「フラクタル構造」と言うらしい。
あら??? ちょっと待てよ。
子どもの受験なんていうミクロのことを、あたかもマクロみたいに拡大鏡で見ようしているのはどこの誰???
や~め~た!や~め~た! 深刻ぶるのは、もうや~め~た!!!♪
コスモスは今年もきれいに咲いていた。
だから来年も咲くだろう。
nao
自分が真剣になれば済む、わけではないところが辛いですな~。。
学生の頃家庭教師のアルバイトをしていて
子どもよりも親が熱心な様子を笑っていました。
本当にごめんなさいの気持ちです。
アメちゃん
こんばんわ!
フラクタル構造っていうんですかー。
わたし、小学生のころだったか?理科の時間に、細胞の構造を習ったときに
「細胞って、なんか宇宙とそっくり、、、」
って思ったんですよね。
核が真ん中にあって、そのまわりにミトコンドリアとかあって
その構造が、太陽系や銀河系にそっくりだなーと。
宇宙の中に人がいて、その人の中にまた宇宙があって
ズーンズーンズーンと小さくなってく構造っていうか、、、
これ、フラクタル構造ですね。
人間だけじゃなくて、植物にもお野菜にも
その中に宇宙が入ってるんだなぁ〜なんて分かると
やーめた、やーめた、深刻ぶるのは、もうやーめた!
って思いますね!
ちなみに。
「でも面白くね?」
って、自分を客観視できるボク、わたしそーゆうの結構すきです。
テレジア
ずっと以前の話。娘が中学受験のときに、お知り合いの方が塾の進学説明会に出られて、いろいろと現在の受験状況を仕入れていらっしゃいました。
このあたりの田舎の受験でさえ、ここはこういう傾向だとか なんとかだ とかってのがあるらしく、
私は頭痛がしそうでしたから、あ、もうやめた。と一切の情報から遮断しました。
友人の中には、どうしても子どもが覚えられない、理科の月の動き?だったかを親が必死になって
覚えたという輩もおりまして、その真剣さを笑えずにおりました。
私たちの時代の「受験」は「戦争」と後ろにつくくらいですが、どうもいまどきは親の方が焦っているようで、本人たちは鷹揚というか、のんびりですよね。
フラクタル構造ってのは、金子みすずさんの詩の中にも合ったような気がします。タイトル忘れましたけど。
okosama
人間万事塞翁が馬(^^)
中受の教材にありますか?
サヴァラン Post author
naoさま
ありがとうございます!
>自分が真剣になれば済む、わけではないところが辛いですな~。。
↑こうおしゃっていただいて。
もう!ほんっと、辛いっす。
そしてわたしも今土下座もんのきもちです。
「○○年前、○○塾の受験ママのみなさま。
ほんっとーーーーに申し訳ございませんでしたーーーーー!!!!!」
サヴァラン Post author
アメちゃんさま
うわぁ~~、コレ↓すてき~~~!!
>「細胞って、なんか宇宙とそっくり、、、」
わたしは系統発生のところで思いました。
「これって、人間の赤ちゃん(胎児)の成長過程といっしょじゃん」。
ですから妊娠中
「今はもう両生類くらいになってるのかな?」とか
えぐいことを思ったりしてました。
そんな親に育てられてしまった息子
窮地に及んで「これって面白くね?」とか言う子になってしまい(>_<) できることなら 魚類くらいからやり直したい親子です(>_<)
サヴァラン Post author
テレジアさん
そうなんですよね。
みなさん学校説明会、入試説明会…って
当然のように出席されているんですよね。
志望校模試、みたいなものも
この時期はバンバン受けられてますしね。
うちは…行ってません。
なんだかもう
いろんなものがここから遠すぎて。。。
実家の母は能天気ですから
「従兄の○○くんのところのボクは
な~んにも準備しなかったけど○サールですってよ~」と
全く役に立たないどころか有害な情報を平気でわたしに流しますし
友人から聞くリアル体験情報には
「もう完全に歯が立たない!」という確信を増すばかり。
見るもの聞くものすべてが、
わたしたち親子の上をブンブンブンブン………(笑)
あ。おはなしくださった金子みすずさんの詩は
もしかしたらこれ↓でしょうか?
「蜂と神さま」
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本の中に、
日本は世界の中に、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。
金子さんは山口は仙崎の方。
輝く才能はどこにあっても花開くものですね。
サヴァラン Post author
okosama さま
今日、本人に聞いてみました。
私「たろう、たろう、人間万事……この先を知ってる?」
たろう「知ってるとも!人間、万事休す!!!」
(;´Д`)