母の無念?有料老人ホームに消えた貯金
この前まであんなに暑かったのに急に冬?がきました。
この時期の朝日が大好きです。
もう少しで母の四十九日です。去年の今頃では想像できなかった。

母は昨年末、八十九歳で体調を崩し入院した。
特別な治療が必要なわけではなかったが、当時は点滴をしていたため、「24時間看護体制のある有料老人ホームしかない」と病院に言われた。
その言葉に従うしかなかった。家で看ることは難しい。施設の費用は高額だと聞いていたが、母の最期が近いのなら、せめてきれいで快適な場所で過ごさせてあげたい──そう思って入所を決めた。
母は入院中、「もうこのまま死ねると思った」と静かに言った。
死んだ後の話ばかりしていた。
「葬式しても少しは余るから、孫にも少しあげてね」と。
その言葉には、長い人生を生き抜いた人の覚悟と、家族を思う優しさがあった。
倹約家だった母の貯金は、まさに“自分の最後のため”に残していたものだったのだろう。
ところが、有料老人ホームの現実は想像以上に厳しかった。
月々の支払いは、母の年金の倍以上。
それでも当初は「そんなに長くない」と医師にも言われていたため、私も弟も、残りの時間を穏やかに過ごせるならと覚悟を決めた。
だが、入所して間もなく、母は思いがけず食欲を取り戻し、顔色も良くなった。
元気になったのは喜ばしいことのはずなのに、母自身はその変化を素直に受け止められなかったようだった。
体は相変わらず思うように動かず、ベッドで過ごす時間が増え、気持ちが不安定になっていった。
私が面会に行くたびに、母は決まってこう言った。
「こんなところに入らなければよかった」
その言葉を聞くたび、胸が痛んだ。
施設の職員はみな丁寧に対応してくれていたが、母にとってそこは“居場所”ではなかったのだと思う。
面会時に母と過ごす時間は、以前よりも静かで、どこか寂しかった。
母の笑顔は減り、代わりに「悪いね」という言葉が増えていった。
悪いことはないけれど自宅で見ることは無理。母もそれはわかっていたので「帰るのは無理だからもっと安いところでいいよ」と言われた。
実際に他の施設も検討していたが変わることも簡単ではなかった。
せめて、施設での生活を少しでも快適にと願いながら、支払いを続けた。
しかし、10か月ほどの入所で、母の貯金はすっかりなくなった。
母が長年、倹約しながら貯めてきたお金。
その多くが、わずか10か月で消えてしまった。
弟は「母のためだから」と無理をして支払いを続けていたが、家計への負担は重かった。
「安心して最期を迎えられる場所」と信じていたのに、実際には“安心の代金”が、家族にとって大きな痛みとなった。
母は最後まで頑張って生きた。
頭は最期までしっかりしていた。
きっと母は、私たちに迷惑をかけたくなかったのだろう。
だからこそ、高額の施設に感謝しながらも違和感?もあったのだろう。
あのとき、別の選択肢はなかったのだろうか。
今でも自問してしまう。
「安心して老後を迎えるにはお金が必要」。
それはわかっていたはずなのに、母の姿を見て、その言葉の重さを痛感した。
介護保険があっても、現実には“保険外”の費用が多く、年金だけでは到底足りない。
もし自分が同じ立場になったら、どうすればいいのだろう。
有料老人ホームの支払いに追われた母の晩年を思うと、心から安心できる老後など、本当にあるのだろうかと不安になる。
母の貯金は尽きたけれど、その生き方は私の胸に残っている。
どんな状況でも、自分の人生を最後まで自分で決めたいと願った人だった。
その母の思いを無駄にしないためにも、私は今、自分の老後を真剣に考え始めている。
「お金」ではなく「心の安らぎ」で選べる最期の場所が、いつかこの国にも増えてほしい。

さて(笑)マメオ君ですが最近はわたしが忙しくしているので散歩も減ってちょっと寂しいようです。
昨日はマメオ君の通う作業所で私がパステルのワークショップをしたので帰りは私が車いすを押して帰宅しました。すると午後にしては珍しく富士山が見えました!

その少し前にマメオ君がパステルで富士山を描いていたのでビックリしました。
久しぶりのプチ散歩のご褒美でした。

















































































