在宅介護7年目突入、無理をしないという選択
1か月のご無沙汰でした(笑)
今年の夏は本当に暑かったですね(まだ暑い)
でも朝晩はいくらか涼しくなって秋の気配もかすかに感じてきます。
空を見ると面白い雲がでていました

「女心と秋の空」そんな心境のお話しです。
マメオ君の在宅介護を始めたのは、令和元年の夏でした。
あれから丸6年。気がつけば介護しながら仕事をすることが当たり前になり、自分でもがんばったなとしみじみ思います。
最初は「数年すればもっと楽になるのでは」と考えていました。マメオ君の状態も落ち着き、わたし自身も慣れて、少しは肩の力を抜けるのではないかと。けれど現実はそう甘くありません。確かに介護に慣れた部分もありますが、わたしの体も年齢とともに変化していて、むしろしんどさを強く感じるようになっています。

在宅介護の初めの頃は、自宅での入浴も何とか続けていました。でも、腰や肩への負担は想像以上。続けることが難しくなり、今では通所サービスでの入浴にほとんど任せています。それで十分、と今は思えます。
こうして少しずつ「手放す」選択をするようになったのは、自分自身が変わったからです。若い頃のように無理はできない。だからこそ、省略できるところは省略し、任せられるところは任せる。そうやって、自分を守ることが必要だと気づきました。

でも、ここで時々、不思議な感覚にとらわれます。
――私ばかり変わってきて、マメオ君は変わっていない。
マメオ君は脳出血の後遺症を抱えたまま、失語症も残ったまま(以前よりは回復)、日々を過ごしています。6年前から大きくは変わっていない。その「変わらなさ」に安心する一方で、「私はこんなに変わったのに」と、どうしようもなく歯痒さを覚えることがあるのです。
私の体は確実に老いてきているし、心の持ちようも変化しました。
「頑張らなきゃ」から「無理はしないへ」。
「全部自分でやらなきゃ」から「人に頼っていいんだ」へ
だけどマメオ君は、病気の後からずっと同じ場所に立ち止まっているように見える。もちろん、頑張っていることもあるしむしろ変わらないことも進歩かもしれない。それは仕方のないことです。でも、そこに寄り添い続けるわたし自身の変化が、時にマメオ君との間に小さな温度差を生んでしまうのです。
それでも、変わらない彼にイライラする一方で、その変わらなさに救われてもいます。どんなにわたしが年を重ねても、相変わらず洋服についたホコリを指でつまんでわたしに差し出す。言葉はなくても、そこに彼なりの「生きている証」を感じられるからです。
在宅介護7年目に突入
わたしは確かに変わりましたし、これからも変わっていくでしょう。
でもマメオ君は、変わらない。
そのことに時には歯痒さを覚えながらも、「変わらない夫」と「変わっていく妻」が一緒に暮らしている。その現実を受け入れることもまた、無理をしない生活の一部なのだと思います。
一緒に生活できることは嬉しいことです。だからこそ変化も必要と思っています。