「あの真面目な人が!」と驚く醜聞は、だれにとっても他人事じゃない。
1回めからご覧になる方はこちらからどうぞ。
【カリーナ → あきら 2014/11/20 (木) 18:08】
男女の恋愛めいた関係の先には、
本気か否かには関係なく
落とし穴が待っているもんなあ。
メール、ありがとうございます!
カリーナです。
運動会のテントのロープの比喩。なるほど。
わたしの友人に、結婚直後からずっと不倫している女性がいるんです。
彼女にとってその恋愛は、
あきらさんの言う「運動会のテントのロープの一本」なんだろな。
以前、その彼とUSJにやってきて
いっしょに食事したんですが、
すごく楽しそうでした。華やいでいた。
そこで「女」を担保している感じ、わかります。
わたしは、不倫関係にあるカップルと
食事したり、遊んだことがしばしばあるけど
なんとなく受け入れちゃうな。
ただ、自分の若いころのごく乏しい経験から想像をひろげて言うのですが、
男女の恋愛めいた関係の先には、
思わぬ落とし穴が開いていて
嫉妬や執着は、その関係が本気だったか否かには
さほど関係なく足をとられて
地獄に落ちることがあるぞ、と。
そんな「おそろしさ」を秘めているものだぞ、と思います。
親密な関係から完全な疎遠になるとき、
わたしたちって「皮膚がむける」んじゃないでしょうか。
皮膚がべろんとむけて痛い。
その予期せぬ痛みに耐えられないで
おかしなことをしちゃう。
周囲が「あ、あの真面目な人が!」と驚く醜聞って
だれにとっても、いくつになっても他人事じゃないと思います。
執着のエネルギーって予測不能だもん。
年をとると相手だけでなく、若さへの執着も加わるんじゃないかな。
老醜は、老人には不可避だと思う。自分も含めてそういうもんだと。
あきらさん。ぜひ、ホルモン療法について教えてください。
わたしは、ごく短期間しか飲まず、
つわりみたいな症状のまま終わってしまいました。
先生にもうちょっと効能を説いてほしかったな(笑)
これから薄曇りの日が増え、
心が沈みますねえ。
わたしは、今日はダラダラと過ごしました。
どこかにつかむ藁、ないかな。
アジサイ
あきらさん、カリーナさん
アラフィフの既婚子持ち、海外在住の主婦です。あきらさんの「藁をもつかむ気持ち」「運動会のロープ」の比喩、それからカリーナさんの 「男女の恋愛めいた関係の先には、本気か否かには関係なく落とし穴が待っている」などなどが書かれていたころ、私はそんな関係が始まって半年過ぎたころでした。向こうから誘われて週に一度文学や人生について話していました。話しているだけで楽しくて数時間があっという間に過ぎてしまうくらいでした。いつかはカリーナさんやあきらさんが書いてらしたようになるぞと思っていましたが、ただ話すだけの友達だったために、やめるきっかけも修羅場もなく、ずるずると続きました。そのうちに相手の内の惨めさをお互い知りすぎてしまい(ネガティブな惹かれあいというのでしょうか)、会えばその時は癒されるのだけれど、どうにもならない恋なので心が振り回され、まるで麻薬中毒のような苦しさ。2年過ぎた頃から会う頻度が少しずつ間遠になっていきました。離婚しないのか聞かれなくなってきて、そのうち「君は夫と子供がいるけれど僕は独身だ、僕は家庭を持って自分の子供がほしい(向こうは30半ば)」「僕はコンパニオンシップが必要だ」「幸せになって」「文学の話だけをするほうがいい、そうでないと悲しくなる」などと何度も言われましたが私は返す言葉もなく、それでも彼が「独身だからこんなことができる」と定職につかないで、男性ルームメイトと住んでいたことなどから、細く長くこんな関係が続くことを願っていました。男女関係になることも幾度か遠回しに示唆されましたが、気づかないふりをしていました。つい先月、私の勧めで書き始め、私の目の前で書いていた本を、二年越しで自己出版したことを知らせてくれました。嬉しかったけれど、同時にこれが置き土産なのだなと感じました。そしてインターネットの電話帳で、彼の母親が住んでいた家のオーナーが最近彼と母親共同になり、あらたに30代の女性の名前が加わったことを知りました。いろいろなことに合点がいきました。彼がとても苦しんでいたのを見てきたので、二股かけていたとか恨む気持ちはありません。常に紳士的で行き過ぎないようコントロールしてくれたことに感謝していますし、結婚のことを私にも公にも知らせていないことも、隠していたというよりも心遣いがありがたいと思います。ただ最近の短い社交儀礼的メールのやりとりや、彼の本発売日に新しくなったフェイスブックのプロファイル写真などから、彼の弾んだ幸せな気持ちがとても伝わってきて、良かったと思うと同時に悲しくもあります。正直、相手がどんな女性か見たいですけれどね!ほんの少しだけど、すっきりした感じもします。もう彼がちゃんと食べているかとか心配しなくていいし、どうしてこんなにメールの返信が短いのか、あるいは返事がないのか、私が何か気に障ることを書いたのかなどと悶々としなくていいですから。彼から先に脱出してくれなければ、私からは切れなかった。いつも小説や詩に託しての心情吐露だったので、本当に気持ちが伝わっているのかと結構「人間力総動員して」恥ずかしげなく頑張りました。たぶん、分かりすぎるほど向こうは分かっていたかもしれません。あの時ああ言っていれば違っていたか、と思うことはありまが、私も離婚の決意ができませんでしたし(夫にはしょちゅう離婚したいと言われているのですが)。今は ”べろんと皮がむけた”状態です。心身にダメージを受けた(ぎっくり腰にも見舞われて老人のようにしか動けません)けれども、彼に本のレビューを送るのと、このメールをカリーナさんとあきらさんに送ることで、3年半の間、唯一の希望だったものに、けじめをつけたいと思います。終わったけれどもこの恋をしてよかったと思うし、彼のおかげで自分も成長したし、向こうにとってもそうであってほしいです。
この往復書簡、もっと続いてほしかったです。あきらさんの個人ブログも好きですよ。生け花と俳句のセンスの良さも。読んでいただいてありがとうございました。
あ き ら
アジサイさんへ
おはなしをお聞かせ下さってありがとうございます。コメントを書いて下さったこと、それをアジサさんがきもちのキリをつけることの一部にして下さったこと、とても光栄です。
今のきもちの具合はいかがでいらっしゃるでしょうか。人のきもちはひと色ではなくて、平気でもあり覚束なくもありスッキリもしたり、ふいにまたつらさに襲われたりしていらっしゃるのかなぁと想像しています。
適切な言葉はみつかりませんが、お聞きしただけでもつらいです。それだけの時間ときもちの労力をつかって、もちろん彼はアジサイさんに助けられて前に進んでいかれたのでしょうし、アジサイさんも沢山のものを確実に得られたことでしょう。
日にちくすりが穏やかに効きますように。そして、それが何かはわかりませんがアジサイさんのおきもちに何かあたたかくたのしいことが注ぐようにこころから祈っています。そして、きっとそうなられると思います。
だらしがないわがブログにも運んで下さったそうで、ありがとうございます。あつかましくおいしい言葉をご馳走にならせていただきますね。ずっとそんなふうなのかそんな時期なのかわからないですが、この頃のワタシは、さみしさに裏打ちされた感情の起伏をあじわい、かつどうしようもならないということの爽快感も感じています。
遠くからビームで、ワタシの共振したきもちと願いを送らせて下さいね。(
アジサイ
あきらさん、
お返事ありがとうございます。おっしゃる通り、気持ちにきりをつけたといっても、日によって時間によって(夕方から夜にかけてがいけません)また悲しさに襲われることが多々あります。私たち二人のうち一人だけでも幸せになれてよかった、と祝福を送る気持ちにもなれば、一人だけ幸せになっちゃって、という気持ちになることもあります。
男女の友情を長続きさせるって難しいですね。最初は植物がすくすく育つように互いを知る楽しさがあっても、やがてお互いの気持ちや話題が堂々めぐりとなり、根詰まりを起こして腐っていってしまう。腐っているのが分かっているのに執着してしまい、本当に執着とは恐ろしいものよと思います。
なんだか昨年はあらゆる少ない交友関係が全部終わってしまう年でした。20年間離婚離婚と言われ続けた婚姻関係すらこれで最後かなというところまでいきました。踏ん切りのつかない意気地なしの自分にも本当に嫌気がさします。こんな風に人生終わってしまうんだろうな、と。
こんな話できる友達もいませんので(わずかに知っている人たちもクリスチャンで、キリスト教ではこれは大きな罪なのでとても言えません)、あきらさんにお返事いただけてとても嬉しかったです。本当に日にち薬しかありません。こういうことも含めて、私も映画を見ても自然を見てもなにを見ても終わりの時期のしみじみとした寂しさを感じる年ごろのようです。若いころには味わえなかった味わいですね。
カリーナ
アジサイさん
コメントありがとうございます。この連載を読んでくださり、
そのように受け止めてくださったことがありがたく、
あきらさんを巻き込んで連載してよかった、
言葉にしてよかったと思いました。
そして言葉を紡いでくださって
ありがとうございます。
しみじみと味わうように読ませていただきました。
アジサイさんの文章からは、
相手を思いあう優しさと敬意、そして濃密さが伝わります。
お互いにとってお互いがとても大事だったことも伝わります。
ある意味、おふたりともが「修羅場」を回避したことで
忘れがたさと苦しさを抱きつづけるでしょうが、
しかし、その人間的なお二人のすばらしさ、
相手を思う節度ゆえに守られた「かけがえのなさ」が
いつしか大きな果実になると信じます。
新しい年が始まりましたね。
わたしも「しみじみとした寂しさ」を豊かに育てたいと思います。
また、お声をお聞かせくださいね。
アジサイ
カリーナさん、
お返事ありがとうございました。もう何年も、カリーナさんのブログに励まされています。続けてくださってありがとうございます。
幾日か経って思うのは、私側に諸事情あること踏まえての恋ではありましたが、彼にとっては彼の諸事情が私への思いを上回る時点があったのだということ。私が逆の立場だったら、またもしそういう状況の友達がいたら、さっさとそんな関係やめて結婚しなよ、と言ったに違いないのですが、二人の間の思いだけに関して言えば、私はふられた、裏切られた、という単純なことです。
私も彼と現在の家庭を天秤にかけて、今は家庭を捨てられなかったのです。
あまり相手もいい人で私もいい人であろうとするとなかなか忘れられないので、そんなふうに思ってみました。しばらくは、相手を恨んでもいい。(すごくエネルギーを注いで彼の本を読んでレビューを書いて送ったのに受け取ったとの返事もないので、恨みました)。正直に書いたレビューにプライドの高い彼がむっとしたとしてもしょうがない。お互い人間ですから。