Posted on 2026年3月20日 by まゆぽ
第217回 リアルタイムだけが日常

つまみ:
わかりづらいタイトルだけど
この間、日本に一時帰国中のはらぷに会って思った。
2月にこっちに来るって最初に聞いたときから
ああ、久しぶりに会えるな、楽しみだなと思っていて
それは、当日も変わらない気持ちだったのに
実際会うと、昨日の続きのおしゃべりみたいで
特別感はゼロで、平常心でふわっとしてた。
でも別れたあと、もったいなかったなーって後悔に近い気持ちになった。
仕事でも、ちょっと気の張るイベントや、ハードルの高い仕事があると
やる前も、やったあとも大騒ぎするくせに
やってる間だけはなんかふつうの、非日常でもなんでもない時間なんだ。
そういう感覚ない?
なかったら、ないなりに続けて
まゆぽ:
日常と非日常の感覚って、
確かに不思議にまだらになってるところがあるかも。
ちょっと違うかもしれないけど、
楽しみな久しぶりのイベントも、楽しみと並行して
ちょっと憂鬱になったりするんだ。
いつもと同じ、何もない普通の日常の方がいいなあと
思ったりする。
旅行とか、友達との集まりとか、
ちょっとしたお出かけとかの時ね。
でも、終わってから、絶対「やってよかった」って思う。
それは100%そう思う。
ほんとのこと言うと、やる前の憂鬱に負けて
キャンセルする場合もたまにあって、
そうすると平坦な日常だから後悔はなくて、
それなりに、それでよかったと思うわけで、
どっちにしても「よかった」なんだ。
でも「よかった」の温度感は違うよね。
そこまでわかってるから、できるだけ負けないで
やることにしてはいるんだけどさ。
何言ってるかわかる? わかりにくい?

つまみ:
すごくわかるよ、それ。
「よかった」の温度差や温度感はよく意識するよ。
そして、なんだろうね、ちょっとでも日常に非が入ると感じるめんどくささ。
あと、そんな誘惑に負けず非日常をやったあとの達成感と安堵。
おおげさだけど、パーソナルな集いでも「自分には社会性があった!」
みたいな気持ちにすらなるよ。
イベントでも仕事でも勉強でも人とのおしゃべりでもケンカでも
リアルタイムってほんの一部でしかないんだなあと思う。
楽しみとめんどくささ、前悔と緊張なんかが交差する「事前」から
振り返ってかみしめて美化したりフタをする「事後」を含め
壮大な濃淡図(?)の中にポツンとある
よけいな思惑が脇においやられる瞬間の連続がリアルタイムなんだな、みたいな。
私の方が、言ってること、わかんないね。
まゆぽ:
うん。難しい。
ただ、一人で想像したり、考えたり、思い出したり、見方を変えたりの
膨大な日常の時間の中に、
非日常の時間がうっすらだけどちょっと違った色合いで存在している
っていう感じはわかるような気がする。
「リアル」は物理的にもう変わらない事実なんだけど、
その捉え方や感じ方や残り方は変わっていくんだよね。
変わりながら、さらに、頭の中で
自分にとって収まりのいい形に刻まれていく。
忘れることって大事だし、思い込むことも大事だ。
何にもしないぼんやりした時間も大事だな。
そう思って、今日もぼーっと生きているかも。















































































