◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第82回 「新しい図書館の思い出」ドラマのようなことも起きたりする、の巻
15年前、新しい図書館の立ち上げをしたときにつくづく思い知った。わたしはまぶたが腫れるとわれを忘れる人間だと。
パソコンの不具合で10月は更新できなかったこともあり、もうなんのこっちゃ?かと思いますが、今から約15年前の回顧録(?)の第3回です。(第1回→★)(第2回→★)

2010年度初頭から始まった新しい図書館の開館準備の話である。本を選び、キャッチフレーズも決まり、建物も完成に近づいて準備の動きが加速度を増してきた矢先の8月、ただ歩いていて左足の甲の外側を骨折した。
最寄り駅から徒歩20分の新図書館に移動する前だったことは不幸中の幸いだったが、人生初の骨折は完治まで思いのほか長引き、そのうち骨折していない右足も痛くなった。そんなもろもろの痛みと不便さと不甲斐なさ、そしてなにより忙しさのストレスからか、10月に入り、いよいよ準備室から新図書館での作業となった頃、じんましんを発症した。
かゆさも不快だったが、いちばんひどいのが顔、しかもまぶたというのがキツかった。毎朝、鏡を見た瞬間に一日のやる気を根こそぎ持っていかれた。ビジュアルの情けなさは思った以上に自分を凹ませたのだった。
たとえば、自分の寝起きのすっぴんを基準値0とする。わたしの場合、下手なりに化粧をしてそれをプラス30ぐらいに底上げし出勤するイメージだ。一方、まぶたが腫れている顔はすっぴんよりマイナス50ぐらいの自己採点である。それを踏まえると、じんましんで一切化粧ができないというのは、ふだんよりマイナス80で世間に出ていくことなのである。顔面至上主義でなくてもダメージは大きい。
これは、満員電車で都心に出るわけでも、カウンターに座って不特定多数の人に接するわけでもない、ということとはあまり関係ないのだった。「いいトシしたオバサンなんだから」と自分に言い聞かせたり、伊達メガネ(当時はメガネをかけていなかった)を装着してみたりしたが、思ったより慰めにならなかった。その上、かゆいのは顔だけではないのだ。背中やお腹まわりも常時かゆい。仕事は山積みである。ああ、もうイヤ!となった。

そんなある日、区の図書館全体の長(要するに中央図書館館長。たぶんエリート。なぜなら若くしてその地位に就いたから)が新図書館に様子を見に来た。じんましん発症からは10日ぐらい経っていた。中央図書館館長とは、じんましん発症直後も顔を合わせていて絶句されている。その10日後である。彼はわたしの顔をしげしげと見ると能天気に言ったものだ、「ずいぶん良くなってきたじゃない」。
そのとき、わたしの何かがプチンと切れた。「なんか、もーやってらんねー!」になった。わたしは中央図書館館長に「まだ全然治っていません!本来のわたしの顔はこんなもんじゃありません!」という、聞きようによっては(よらなくても)どうかと思う科白を吐き捨てたのだった。そして反応を確認せずその場を立ち去った。その後のことは知らない。
足を引きずり、まぶたを腫らし、ついでに言えばたぶん眉間にしわを寄せて仕事をしていたその時期、もうひとつ、仕事とは関係のない出来事があった。ある女性誌からの電話だ。

繁忙仕事に駆り出されることなど予想だにしていなかった半年以上前、わたしはお堅いイメージの大手出版社から出ている中高年向けの女性誌の読者体験募集に応募していたのだった。誤解を怖れて強く赤く書くが読モになりたかったわけではない!「こんな体験をあなたもしてみませんか」という募集記事に添えられた、健康や美容に効果的とされる酸素カプセルの進化系のような最新施設の写真にそそられたのだ。
「思えば、半世紀も生きてきたのに(←当時)わたしはヘッドスパやエステはもちろん、マッサージすら体験したことがない。一度ぐらいそういう、自分を慰撫するものをやってみてもいいのではないか!だとしたら、ちまちました美顔術など笑止千万だ。ここはひとつドカン!と、自力ではおいそれとチャレンジできない最新の施術を体験したいものだ!」
と思ったのだった。力強い宣言のわりに、タダで体験することしか考えていないのがセコ過ぎる。
けれど、思い立った時期とタイムラグがあり過ぎた。意味不明な好戦気分はとっくの昔に潰え、応募したこともすっかり忘れていた。が、そんなこととはツユ知らない先方は、あなたは選ばれました的に高らかに「読者の夢を叶えますという変身特集なんですが、ご都合のいい日時を教えてください」と言ったのだった。
変身願望?特にない。考えたこともない。めちゃくちゃ忙しいから、変身するとしたら「ヒマな仕事のわたし」か。そもそも、足はまだ完全じゃないし、第一、顔が顔である。
全部の事情を話すのがめんどくさいので、「今、仕事がたいへん忙しいので辞退します」と言った。でも断られるなんてまったく想定していなかったらしい先方は「えっ?えっ?だって応募したでしょ?すべての日程が無理ってこと?たった半日の拘束ですよ、なんとかなるでしょう?」というテンション。最初は低姿勢だった自分だが、だんだん責められているような、しつこさに辟易している気分になった。なのでガツンと言ってやった。
「実はですね、現在、夏に骨折した足が治りきらないわ、じんましんで顔がすごいことになっているわで、それどころではありません。とにかく顔は見られたもんじゃありません。えーえー、ひどいありさまです!いつ治る?さあ、わかりません。一生、治らないかも…ふっ。そういうわけでお断りします!」
それから三か月後、その特集の掲載誌を本屋で見た。アイドルやC.A、研究者などのコスチュームをまとい微笑む読者たちがいた。わたしは静かに雑誌を閉じた。

話を開館準備に戻すと、足とじんましんはその後なんとか回復したが、準備は笑っちゃうほどアクシデント続きだった。勃発時期は前後するが
●印刷物が刷り上がってから電話番号が違っていることが発覚(元電電公社のミスだったが振り回された!)
●装備業者さんに一度貼付してもらったICタグの全冊貼り直しを依頼(なぜかわたしが先方に言い渡す貧乏くじ)
●冊数を計算して買い揃えたあとに、何年も倉庫に眠っていた千冊の小説を譲り受けるはめになった(そのうち700冊はわたしが選んだ本とダブっていた。どんだけ倉庫本と好みが合うの!?)
●空調の関係で予定した複数の場所に本棚が置けないことが判明(よっちゃんがブチ切れた!)
●中に陽が入ることは全くないという謳い文句の建物の本棚に燦燦と陽ざしが当たり(証拠写真も撮ったぞ!設計の責任者、出てこい!)、急遽ガラス張りの建物全体に遮光カーテンをつけることになる
●近隣住宅への配慮で一切そのカーテンを開けることは禁じられたが、もともとないはずのカーテンを開けるな、の意味がわからず、だったら最初からガラス張りになんてしないでふつうの壁にしとけばもっと本棚を置けたじゃん!と心底脱力(開かずのカーテン=布の壁 通常の壁と違うのは本棚が置けないこと)
●取り付け直後からエレベーターに不穏な異常音が発生(大型ししおどしのような音)
…と、枚挙のいとまがなかった。覚えているだけでこうである。
文句を言う暇もなくやることはいくらでもあってめまいがしそうだった。あまり知られていないが、公共図書館をオープンする際、新聞や雑誌は開館の半年前、おそくても三か月前ぐらいから定期購読する。オープン時にある程度のバックナンバーを揃えておくのだ。なので、オープン前から日々どさどさと増える雑誌の登録や装備も相当な仕事量だ。新聞なんて日刊だったりするのであっという間に膨大なスペースを占領する。対処法としては、とにかく見ないふりに徹することである。

他にも、本棚の配置と、そこに置く資料の配分に苦慮し、じゅうたんや本棚、閲覧席の机やイスの素材や色に悩み、児童書や新聞雑誌、CD、DVDを含め、すべての棚の雑誌名やジャンル別の案内(書架サイン)を作り、その合間に、オープニングアクトとしてトークイベントに招聘したフードスタイリストの飯島奈美さんのマネージャーと打ち合わせをして当日の台本を作成し、間隙を縫って、カウンターなどの業務を請け負う民間の会社のスタッフ用の業務別の詳細なマニュアルを手分けして作り(これが地味にいちばん大変だった)スタッフたちの研修もわれわれが担当した。
他にも、パソコン使用可能席のシステムと予約札を作り、大人向けと子ども向けに別々の「図書館のしおり」と館内案内図を作り、開館告知のポスターとフライヤーを作り(作り漬け作り続け)、それを駅やコンビニに持って行って「置いてもらえますか」「貼っていただけますか」と頼んだ。
そうそう、【散歩のついでにT図書館】というキャッチフレーズの目玉であるお散歩MAP作成も忘れてはいけない…とやっているうちに、開館日は刻々と近づいていった。
あまりに仕事が立て込んでいたので、助っ人に来てくれた区内の他の図書館員たち(今も感謝に堪えない)も巻き込んで、だんだんとみんながおかしなテンションになっていた。かつての同僚で、イグチさんという、美形で頭脳明晰な女性(バイオリニストの川井郁子さん似)が、われわれの窮状を救うべく予告なしにヒーローのようにさっそうと登場したとき、わたしは感激の涙まで流したのに、彼女は「ふだん運転しないのに勢いで車で来ちゃった。外、まだ暗くなってないよね。暗くなったら運転が怖い。どう?どう?」と気にし続け、結局わりと早々に帰ってしまい、感激して損したとちょっと思った。

オープン直前の12月中旬の夕方、人の多さ(助っ人がたくさん来てくれていた日だった)と暖房で頭がぼおっとし眠くなったわたしは、その日手伝いに来てくれたミユキさん(あのミユキさん!実名でゴメン)を誘って、休憩がてら屋上に行ってみた。屋上のドアを開けると冷気が顔に当たり、一瞬で目が覚めた。そして覚めた目の前には、沈みそうな太陽と、真っ赤な夕焼けをバックにした富士山がびっくりするほどクリアに大きく見えた。ミユキさんと私は、しばし無言でその光景に見入った。神々しいってこのことか、と思った。わたしは携帯ではらぷとよっちゃんとうさみーるを呼び出した。「とにかく今すぐ屋上に来て」と。

みんなは、「なに?どうした?」「こんなところでサボってた!」と姦しく階段を上がってきたが、西に広がる、東京とは思えない、遮るもののない広くて真っ赤な空、沈みゆく太陽、そそり立つ富士山を見ると一瞬にして静かになった。われわれは東京とは思えない(二度言った)空を堪能しながら、「なんか…すごいね」「空、広いなあ」「こんなに真っ赤になるんだー」「わたし、一生この光景を忘れないかも」と口々に言い合い、涙さえ流した。ドラマのワンシーンのようだった。
ある程度長く生きていると、ドラマでしか起こらないと思っていた、まさにドラマティックなことがまれに起こります。他者から見ればたいしたことではないし、それで具体的に自分の何かが変わったわけではない。もしかしたら過大評価かもしれない。でも、そんな経験や記憶がそれからの自分の糧になったりする。あれがあったのだからこれからも高を括らずやっていこう、そう思える。今もそう思って、99%はドラマティックじゃない人生を腐らずに‥いや、時に腐りなが暮らして行こうと思います。
2010年の12月下旬、図書館はオープンした。そのとき、図書館は2013年度から完全に民営化されることがすでに決まっていた。2013年3月末日を持って雇用終了になることがわかっていた上での開館準備の日々だったのだ。
「新しい図書館の思い出」終わり
by月亭つまみ

















































































