第31回 私家版『問いのない答え』~日常はミルフィーユ~の巻
私はその日、有給休暇を取りながらどこにも行かず、東京の東の外れにある自宅であの瞬間を迎えました。
そこから遡ること5年前の2006年、50代前半で亡くなった私の長兄は、私たち家族がまだかろうじて家族として機能していた頃に住んでいた土地に眠っています。
かつての家族がもう誰ひとり住んでいない土地に。
私は、兄の墓参りに行くつもりでその日、休暇願を出していたのでした。
前年、私は新しい図書館の開館準備の仕事に翻弄されました。
仕事は冗談のようなアクシデント続きで、合間には人生初の骨折やひどいジンマシンに見舞われるというおまけつき。
年末になんとかオープンにこぎつけ、その後は自分が企画した開館記念行事の準備にほぼかかりっきりになり、それも終わって、ようやく「これで心おきなく墓参りに行けるぞ」という心持ちになったのです。
当日は早めに起床。
新幹線に乗れば2時間弱で着くとはいえ、距離にすれば250キロ強のそれなりに遠い場所です。
ところが、家を出る予定時刻が近づいても私はぐずぐずしていました。
準備が、気が、進まないのです。
結局、私はさしたる理由もないのに墓参りを延期しました。
今日じゃなくても、休みの日はいつでも行けるし、と言い訳しつつ。
でも、その日を境に世の中は一変してしまいました。
その日は2011年3月11日、お墓の場所は福島でした。
2013年12月に刊行された長嶋有の『問いのない答え』は、震災直後、ひとりの小説家がツイッター上で呼びかけた「言葉遊び」に参加した人々を描いた小説です。
総勢数十人にも及ぶ、現実社会ではほぼ関連性のない人物が、次々と小説内を出たり入ったりする群像小説(?)で、それはまさに、時系列で自分のフォロアーのつぶやきが並ぶ、ツイッターのTL(タイムライン)のようです。
被災地からこの言葉遊びに参加している人もいますが、震災について多く語られることはありません。
いろいろなことが内包されたそれぞれの日常が、ミルフィーユ(mille-feuille)のように堆積され続けて行くだけです。
それが徐々になにか具体的な形になって行くというような暗喩もありません。
震災の後、私も、あの日福島行きを理由なく取り止めたことについて考えたり、怯えたり案じたり、ふと職場の本を被災地に送ることを思い立って実行し、そのせいで新聞の取材を受けさせられて名前だけではなく年齢まで一般公開(?)され「罰ゲームかよっ!」と憮然としたり、心を痛めたり泣いたり笑ったり忘れたりしながら、日常というミルフィーユを重ね続け、その積算枚数(日数)は3年経った現在、まさにmille(千)を超え、今もずっと堆積され続けています。
震災から10日後、私はこんな日記を書きました。
我が家に、近所に住む中三と中一の姉妹が来訪した。
職場の同僚のお嬢さん。来訪の経緯はこうだ。
お姉ちゃんのMちゃん(中三)は隣県の私立の中高一貫校に通っていて、学校のオーケストラ部に入っている。
担当楽器はコントラバス。
今回の地震で生徒は全員自宅待機になり、フライングで春休みに入っている。
中高一貫校とはいえ形だけはある中等部の卒業式は中止になったそうだ。
そんななか、Mちゃんの現在の心配事は、来月下旬に控えた定期演奏会のための練習ができないこと。
バイオリンやチェロなどは皆、家に持ち帰ったそうだが、さすがにコントラバスはそうはいかない。
真面目な Mちゃんにとってはそれがプレッシャーなのだ。
「みんな家で自主練をしているのに・・どうしよう」と。
その話を聞いた我が夫が「うちに弾きに来れば。使っていないサイレントベースもあるからよかったら貸しますよ」と申し出たという次第。(注:夫は、ガテン業ときどきコンバス奏者なのです)
・・というわけで、Mちゃんが妹を連れて嬉々としてやってきたという次第。
試し弾きしたところ、夫のコントラバスはデカくて、しかもガット弦(牛の腸)なので中学女子には弾きづらいことが判明。
でも小ぶりなサイレントベースの方は、日々の練習に使えそうとのことだったのでそれを貸し出すことに。
一見おとなしそうだが、人懐こくてお話し好きな可愛い姉妹だった。
なにより、今のこの情勢で「イチバンの関心事が来月の部活の発表会」であることを全身で示している十代と話せたことが、なんだかすごく頼もしいというか気持ちが晴れ晴れとした。
地震以降、つい「我が家はみんな人生の後半だからいいけれど、子どもを持つ人は、現在の日本の状況はさぞや心配だろうなあ」と思ってしまうけれど、確かにそうなのだけれど、そんな心配の種でもある子どもの存在が、世の中の不安を忘れさせてくれるということもいっぱいあるんだよなあ。
夫がMちゃんに「来月、近くでライブをするんでよかったら来ませんか?」と誘ったところ、「その日は発表会の直前でそれどころじゃないと思うから行けないです。でもお父さんなら行かせられるかも」とソッコーで断られた。笑った。
そんな理由で「行かせられる」かもしれないお父さんって。
世の十代の娘を持つお父さんはそういう方向でも大変なのだな。 頑張れ。
今読むとこの日記は、当時の自分にとって、dix-feuille(十の葉っぱ)をmille-feuille(千の葉っぱ)に重ねて行くための心も持ちように対するひとつの答えだった気がします。
人は、具体的な問いに対する答えを出すためだけに生きているわけではありませんが、全ての問いに対する答えは、頭や書物の中にではなく、ありきたりな日常の中にあるような気がします。
無数の「問いのない答え」もそこにあるはずで、だからこそ、私たちの日常は、一見どんなにしょぼくても価値が、可能性があるように思うのです。
ポジティブシンキングでも机上の人生賛歌でもなく、単なる事実としてそう思います。
あのときプレ高校生だったMちゃんも、この春からは大学生。
3年というのはそういう月日なのだなあ。
まもなく、twitter文学賞が発表されます。
twitterを扱っているこの『問いのない答え』が本命かと予想していますが、『想像ラジオ』も強そうだし、個人的には『昨夜のカレー、明日のパン』『世界でいちばん美しい』の健闘も期待したい。
その実、自分が投票したのは『ポースケ』なんですけどね。
投票締切日直前に読み終わったので、ついこれにしてしまった。
・・そんなんでいいのか私。
by月亭つまみ
こんなブログもやってます♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
ひろ
お兄さん、お気の毒でした
果たせなかったお墓参りは、お兄さんが来ないようはからってくれた様に感じます
虫の知らせではないですが、そういう事ってあると思います
ami
すごい。お兄さんが来させなかったんですね。
日常というミルフィーユ。ありきたりな日常の積み重ね。
そのありきたりな日常を過ごせるありがたさをあのとき感じました。
で、そういう流れからいきなりすみませんが、、
”チチカカ湖”にはまってます 笑 (今ごろ)
もう、電車の中や職場でかなり危ない人です。
わたし、可笑しくて窒息しそうになっても電車降りませんし、
職場でも声を出して笑ってます。
まだ読み始めたばかりですが、いろいろもろもろ可笑しい。
それではまた、チチカカタイムに戻りますので失礼します。
つまみ Post author
ひろさん、コメントありがとうございます。
やっぱりそういうことなのでしょうか。
しばらくしてから、兄のお墓の近くに住んでいる親戚に当時のことを聞きましたが、家屋の損壊や被災者の受け入れ、なにより長い時間停電だったせいで、しばらくの間、原発の状況などよく知らずにいた、とのことでした。
半年後、ようやく墓参りに行ったのですが、かつて自分が住んでいた家の近くに仮設住宅がびっちり建っていてちょっと呆然としました。
つまみ Post author
amiさん、コメントありがとうございます。
ありきたりの日常も、1個1個はありきたりじゃないんだよなあと思ったりもするくせに、退屈したりする自分・・人間ってやつは!(^^;
わーい!チチカカ湖の感想うれしいです!
まゆぽさんも喜んでいます。
これからもよろしくお願いします。