ゾロメ日記 №54 バカ男ふたりとその周辺のボランティア劇場
【主な登場人物】
★Mクン・・・夫の空手の後輩。養護学校(現:特別支援学校)元教諭。現在、都下で空手の指導をしているらしい。なにかとスケールの大きいバカ。
以前、ボランティア活動の一環でみんなでTDLに行ったとき、ミッキーやグーフィーと一緒に近づいてきた見慣れないキャラクターを指差して、私にデカい声で「先輩の奥さん!この人、知ってます?」と聞いてきた男。私が小声で「し、しらない…」と言うと、「あ、やっぱり知らないんだ!マイナーなヤツだ!」とこれまた大声で言い、周囲の顰蹙と失笑を買った男。言われたキャラクターは地団駄を踏み、泣きながら去って行ったが、離れたところでも地団駄を踏んでいた。プロ意識に脱帽した。
◆9月某日
夫が参加している重度重複障害児のボランティアの会が正式発足から20周年を迎えた。この会は、都立の養護学校の教員数名が「休みの日に自分たちが子ども達を預かって、保護者に一息入れてもらおう」という主旨で結成した。首謀者のひとりであるMクンが夫の後輩だったことから、そのへんにいた夫が「先輩も手伝ってくれませんか」と誘われたのだった。
Mクンは数年後、教員も短い結婚生活もボランティアもいっぺんにやめ、外国へ旅に出た。その後、行方不明説や死亡説が流れたが、いつのまにか帰国していて、しばらくして、酔っ払ってどこかの2階から落下し、大ケガを負ったのだった。
夫が、複雑骨折の手術をしたというMクンのお見舞いに行ったところ、手術翌日のMクンはいつもと同じ感じで、ヘラヘラしながら「傷口が開くから笑えないんすよ。先輩、ゼッタイ笑わせないでくださいね」と懇願したというが、それを“フリ”だと受け取った夫は、Mクンを悶絶するまで笑わせた。そして、そこにMクンの親が来て非常に気まずくなったらしい。
夫とMクン、どちらも相当バカだ。
あ、話が脱線した。
とにかく、Mクンなき後も夫はボランティアとして参加し続け現在に至る。Mクンの脱退以外にもいろいろなことがあった。20年は短くない。
Mクンの教え子で、夫とよく映画やカラオケに一緒に行き、わが家にも何回か遊びに来た、重い身体の障害と明晰な頭脳を持つS君が亡くなったのは2004年の春だった。S君は数日後に高校卒業を控えていた。
中央線沿線の、エレベーターと、特注の車椅子が可動できる廊下のある家に住むS君は、東京の東のはずれのちっぽけな月亭家に初来訪したとき、悪びれもせず、「狭くて超楽しい」と言ったもんだ。…ああ、なつかしい。
ボランティアの会では、当初から音楽療法士のT先生の指導の下、音楽に合わせて身体を動かしたり歌を歌ったりしていたが、T先生が亡くなってからは、子どもたちと保護者が楽器で曲を演奏する活動が中心になった。そして今では年に1~2回、ホールや特別支援学校、老人ホームのイベントスペースなどでコンサートを開いている。
夫は、演奏する曲の譜面を書いたり(ピアニカを演奏する保護者達が「とにかくどんな曲でもハ長調に直して」と依頼してくるらしい。気持ちはわかる)、コントラバスで伴奏をしたり、ときには指揮をしたり、自分たちのバンドのジャズ演奏をしたり、してコンサートに参加している。
今回、会の20周年の記念誌が発行されることになり、夫も寄稿を依頼された。20年間の思いや思い出を書いて欲しいと。
夫は「なんのスキルもなく参加した自分をあたたかく受け入れ、教員と分け隔てなく接し、どんどん自分に役割を与えることで居場所を作ってくれたT先生への感謝の気持ちと、音楽は、人の内側に響くように意識して演奏しなければ表面にすら届かない、それは障害を持った子ども達も、いわゆる健常者も同じであることを知った、ということをぜひ書きたいと思っているのだが、このところ、朝4時半に出勤する生活をしているので原稿を書く時間がない」と私をちらちら見て言うのであった。なので私が「しょーがねーな」と立ち上がってちょっと手伝った。
まあ、それだけの話である。
どうしてこんなことを長々書いたかというと、24時間テレビとバリバラのことがあったからだ。「感動ポルノ」というセンセーショナルな文言と、障害を持つ人のバリバラでの率直な物言いは、健常者が障害者に抱きたいと思っている「素直で従順で生々しくない弱者」というイメージを覆したのだと思う。毎年、24時間テレビに涙してきた、自分が善男善女だと思ってる人々は、裏切られたみたいで不快な気分になったのかもしれない。だとしたら、ものすごく不遜だと思うけど。
もうさ、みんな、『無敵のハンディキャップ』(北島行徳/著)を読めばいいのだ。
バリバラの見解は、当然ながら今始まったことじゃない。健常者にいろんな人がいるように、障害者にもいる。その比率はたぶん一緒だ。でも人は、固定観念やイメージを先行させ、感動やけなげさを強要する。
そんなもので障害者を捉えているうちは、世界はいっかな成熟していかない。感動もいい。パラリンピックでの感動に理屈は要らないし、それはただただ感じてしまうものだから。でも、感動を意識的に誘発させている自覚が少しでも送り手にあるのなら、その先にも責任を持てよ、と思う。日常は、ある意味、感動とは真逆の時間の連続だし、平穏な時間をかき回すって、多くの残酷さを孕んでいると思うから。
この本が出版された頃、夫とMクンは障害者プロレスの指導をしていた。それで著者と面識があったこともあって、私は刊行直後にこの本を読んだ。そして、やみくもに周囲に感想を語った。
福島県郡山市に住む古くからの友人にもそうしたところ、友人も周囲に語るという語りの伝播(?)が、図らずも郡山の一角で起こった。それは福祉施設の人にまで行き着き、著者を郡山に呼ぼうという話まで出たのであった。実現はしなかったけれど。郡山って濃いと思った。
ちなみに、この本にちらっと登場するMクンは、なんだかものすごくまっとうな人みたいで笑ってしまう。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
★毎月第三木曜日は、はらぷさんの「なんかすごい。」です。
あきら
つまみさん!お陰でポチりました。
ボランティア、セックスボランティアの本などツンドク中ですが、おそらく同じ山に。
いえ、積むだけで無く、涼しくなったら読もうと思います!
つまみ Post author
あきらさん、こんばんは。
おおっ!ポチっと!
あきらさんには、どのように映るのだろうかと想像しつつ、感想、気長に待っとりますです!
アメちゃん
つまみさん、おはようございます。
あきらさんがツンドク中のセックスボランティアの本、私読みました。
かなり昔に読んだのと
実際にボランティアをされてる女性を取材した映像(もちろんお仕事中の現場も)を
YouTubeで見て、そちらが衝撃的だったので本の内容は忘れてしまいましたが~~;。
プロレスもYouTubeで見たことがあるんですけど
「これ、笑っていいのかなぁ?笑っちゃダメなのかな?」って困惑しました。
このプロレスの面白さって、身体が思うように動かないことが前提ですよね。
昔の見せ物小屋みたいな感じもするし、
逆にそんなこと考えず、単純に楽しめばいいのかも?とも思うし、いまでもフクザツです。
しかし、24時間テレビって最初はもっと単純なチャリティ番組でしたよね。
私は親族に自閉症の子がいるので、いつもモヤモヤする気持ちを抱えるのですが
健常者が障がい者にたいして、感動ストーリーや、例えば「天使」を求めるのは
心の底では障がい者(特に知的)を怖がってる自分の免罪符?なんじゃないかなぁと思ったりします。
私だって正直、赤の他人で知的障害の人は怖いですもん。。。
だから、この手の感動ストーリーを障がい者に求めるのはイヤだなぁと思います。
アメちゃん
朝コメント送ってから、なんか気になってしまって
再度の登場でスミマセンm(__)m。
「赤の他人で知的障害の人は怖い・・」っていうのは
語弊がありますね。(表現がちょっとキツかったなぁ~~;)
怖いっていうより、「身構えてしまう」っていうのが近いかな。
でもやっぱり、心の底では私も怖がってるのかもしれません。
こんな風に、いろいろ気を使ってしまうことも
つまみさんの言う「世界はいっかな成熟していかない」要因にもなるのかもしれませんね。
つまみ Post author
アメちゃんさん、コメントありがとうございます。
怖い、身構える、って正直な気持ちですよね。
私も、初めて重度の障害者に接したとき、どうしていいかわからなくてものすごく緊張しました。
その日の帰り、Mクンに「先輩の奥さん!気持ち悪くなかったっすか」と聞かれたので、「…いや、気持ち悪いっていうんじゃないけど」と感想の言葉を選びかけたら、「そうっすか!自分は最初、気持ち悪くて吐きそうになりましたよー。しばらく学校では飯が食えなかった」とあっけらかんと言われ、なんだか、言葉を選ぼうとする自分の方がいやらしいなあと思いました。
よくわからないで言ってますが、正解をひとつにしようとしたり、同じ方向を見るべき風潮にしたり、あらかじめ着地点を決めて考えることをやめてしまうこと、カンタンにわかろうとすること、成熟の邪魔の要因なのではないかと思います。
気を使ったり、近寄ったり離れたりしたり、身近な人で考えるって、ものすごく大事なのじゃないかなあと思いました。