【月刊★切実本屋】VOL.92 私にとってラジオとは‥
昭和~平成~令和を思うとき、何を当てはめていくと自分の過去としっくり結びつくかというとそれはもうラジオである。
昭和歌謡にはわりとくわしい自分だが、これは文字どおり昭和だけだ。でもラジオは時を選ばず常に近くにいてくれたので、元号より短いスパンで番組名が浮かぶのである。テレビも浮かぶが、分母が大きすぎて自分の時系列というより時代の時系列みたいでつまらない。その点、ラジオはちょうどいい‥と、『いつものラジオ リスナーに聞いた16の話』(村上謙三久 著)を読んで思った。以下、自分が聴いて来た番組名を挙げてみる。
いつものラジオ 月亭つまみ編
●1970年代前半
①小沢昭一の小沢昭一的こころ ②三菱ドライビングポップス 〇〇と歌おう ③欽ちゃんのドンといってみよう!
●1970年代中旬~後半
④NHK FMリクエストアワー ⑤谷村新司のセイヤング ⑥たむたむたいむ ⑦全日空ミュージックスカイホリデー
●1980年代
⑧久米宏の土曜ワイドラジオTOKYO ⑨タモリで失敬 ⑩だんとつタモリのおもしろ大放送!
●1990年代
⑪タモリの週刊ダイナマイク ⑫爆笑問題カーボーイ ⑬ラジオビバリー昼ズ(木曜日限定)
●2000年以降
⑭久米宏ラジオなんですけど ⑮小島慶子キラ☆キラ ⑯たまむすび ⑰すっぴん! ⑱伊集院光のタネ
番組解説
①と②は十代前半、平日の夕方のラジオ福島でセットで聴いていた。小沢昭一の語り口はオッサンくさかったが、こども心にも聴きやすかった。毎回「それはまた明日のこころだ!」で終わり、同じく毎回「おはやし山本直純」という紹介もあったが「おはやしって?」とずっと不可解だった。②は担当パーソナリティが変わるたび〇〇のところが変わったが、いちばん覚えているのが芹洋子の「洋子と歌おう」だ。「(渡辺)真知子と歌おう」「(中原)理恵と歌おう」もあった。
③「しゅーえいしゃーの雑誌です♪」というCMが印象的。近い時間に全国津々浦々の地方局でやっていたので、夜9時から10時ぐらいの間に宮城や新潟や東京などから流れてくる同じ回を何度も聴いた。ヒマだな。
④土曜日の午後3~6時のNHK各都道府県の独自枠。福島では聴き手の年齢層に合わせて、たいていは若いアナウンサーがNHK的な無難さでちょっとアニキ風を吹かせて進行していた。でも高3のときは違った。初赴任で福島に来た伊藤博英アナウンサーが担当だったが、この人は無難なアニキじゃなく、理屈っぽい新任教師みたいだった。ビジュアルこそイケメン系(ふてほどの安森先生を見たとき「イトウヒロヒデに似てる!」と思った)だったものの、コメントの端々に偏屈さが漏れ出ていた。リクエストが多かった上位3曲をかける「今週のベスト3」コーナーでは「リクエストが多いのはベストではなくてモースト。だからモースト3です」と言ってはばからず、めんどくせーヤツだなと思ったものである。
その後はけっこう全国に名前と顔が知られるアナウンサーになったが、何十年も経って東日本大震災と原発事故が起こったとき、エグゼクティブアナウンサーだった伊藤氏は上から「異動があったらどうしますか」と聞かれ「初赴任地でお世話になった福島だったら行ってもいい」と答えて福島に異動し、県民から大歓迎を受けたのは局地的に有名な話だ。
⑤この番組のために一週間生きていたといっても過言じゃないくらい好きだった。高校時代の深夜放送ドハマりの轍で、聴くようになってからテストの順位は順調に下がって、そりゃそうだなと思った。
⑥夜、日付が変わってすぐのニッポン放送の「あおい君と佐藤クン」の次にやっていた10分番組。カセットに録音したリスナーの生メッセージなどがよく紹介されていた、まさに青春ど真ん中の番組。パーソナリティはかぜ耕士。ちなみに、NHKの「ステージ101」という番組のテーマ曲ともいえる「涙をこえて」は彼の作詞だ。「ステージ101」の最終回のラストは、番組ユニットのヤング101によるこの曲のお別れ歌唱だったが今動画を見てもグッとくる。
⑦東京に出てきた頃に聴いていた日曜夜の番組。そらまめさんこと滝良子さんの声は心地よく、かかる曲も好みが多かった。好きな曲を募集しベスト10を発表したことがあったが、1位に「青春の影」を予想して当てた。チューリップは有名だったが、この曲はまだそれほどメジャーじゃなくて、友人に「どうしてこれが1位になるってわかったの?!」と驚かれた。
⑧久米宏のおもしろさはラジオで知った。立花隆『宇宙からの帰還』はこの番組で知った。
⑨⑩⑪タモリのおもしろさもラジオで知った。MD(!)に録音して聴いたりした。⑩⑪の堂尾弘子さんは私のラジオクイーン。⑨の白石まるみさんも頭の回転の早い人だった。
⑫これも、1990年代後半は録音して聴いていた。特に「学校」のコーナーはお腹の筋肉が攣るんじゃないかと思うほど笑った。
⑬今も続く長寿番組だが、清水ミチコさんの木曜日しか聴いたことがない。
⑭小島慶子さんとは丁々発止、堀井美香さんとはパワハラ寸前の上司と部下、みたいだった。唐突に終わった印象。権力者の地雷を踏んだのかな、やっぱり。
⑮小島慶子さんのトーク力、初見で原稿を読む力に惚れ惚れした。平日の昼下がりなのに、時として緊張感があり、それもおもしろかった。
⑯パートナの男性陣がからかいながらもどんどん赤江珠緒ファンになっていく感じ、それを絶妙に受け止めつつ躱すたまちゃんのコミュニケーション力、ずっと楽しかった。最終回は本当に素晴らしかった。
⑰そもそもの下地はあったにせよ、現在の麒麟川島明の打てば響く感じはこの番組の「日本一早い大喜利コーナー」のパートナーの藤井彩子アナウンサーとの掛け合いで培われたものが大きいと思っている。リスナーの投稿からのふたりの妄想が毎回おもしろかった。
⑱今、この番組があるから夕食のしたくが苦じゃない。ありがとう伊集院&radiko!伊集院さんは、リスナーに聴かせるためというより、投稿者の気持ちを汲むことに重きを置いて読んでいることを、友達の投稿が読まれたときに気づいた。ちょっと泣きそうになった。
『いつものラジオ リスナーに聞いた16の話』ではリスナー全員に下記の質問があったので勝手に私も答えてみた。
◎私が思うラジオの魅力
音だけの情報であること。言葉と文字(投稿)がバリバリ主役なところ。
◎ラジオを聴いて人生が変わった瞬間、感動した瞬間
あったはずなのに思い出せない。でも、思い出せないのもラジオっぽい。
◎特にハマった番組
タモリの週刊ダイナマイク。タモリ、堂尾、上柳昌彦、3人の掛け合いがサイコーだった。
◎印象に残る個人的な神回
たまむすびの最終回
◎ラジオを聴いて学んだこと・変わったこと
心打たれることは身近にこそ存在する。よどみなくなめらかに話さなくていい。考えて言葉が止まったら伊集院さんのマネして「えっと‥」と言うようになった。
◎私にとってラジオとは〇〇である
私にとってラジオとは懐の深い友人である
by月亭つまみ
Comet
記憶の蓋が開きまくってキリがないので、ひとつだけ。
⑩清水由貴子と原田真二が出てたヤツだっけ、と思って検索したら、この番組よりも前にやってた電リク番組だった。ソバヤを初めて聴いたのもこの番組で、最終回だったか原田真二と清水由貴子も一緒にソバヤを延々とセッションして、楽しそうだったなあ。
つまみさんが谷村新司のセイヤングのために一週間生きていた頃、私は吉田照美のてるてるワイドが一日の中心だったよー。
私が思うラジオの魅力は、居場所になりうることだなあ。