自転車ところ変われば
町中にある大学図書館で働いていて、仕事がある日は自転車で通っている。
町のはずれの我が家から、大学のある町の反対側のエリアまで、歩くとだいたい35分、自転車なら15分足らず。遅番勤務の日は仕事が終わるのがだいたい夜の8時なのだが、自転車なら、夜、暗いなかを帰ってくるのもこわくない。
というと、なんだか軽やかに自転車ライフを謳歌しているように聞こえますが、じつは、イギリスに引っ越してきて自転車に乗り始めるまでの心理的ハードルは高かった。
わたしの自転車歴は長い。小学3年生で補助輪なしの自転車が乗れるようになってからというもの(遅)、友だちの家に行くにも、児童館にマンガを読みに行くにも、塾に行くにも、自転車はいつもわたしのかたわらにあったものだ。
大人になってからも、千駄木に住んだ4年間(駅もスーパーもすべて5分圏内にあった)をのぞいて、自転車に乗らない日はほぼなかったといってさしつかえない。
そんなわけで、こちらでの暮らしを始めるにあたっても、当然自転車は必需品、だってそしたらちょっと離れたところの大型スーパーにも楽に行けるし、休みの日にはサイクリングもできるしね。
…と元気に思えたらよかったのだが、このコラムを読み続けてくれている方はすでにお察しの通り、わたしは極度の心配性、そうは問屋がおろさなかった。
まずだいいちに、自転車に乗る人の感じが日本とは違いすぎる。みなちゃんとしたBike(イギリスでは自転車のことをバイクと呼ぶことが多い)に乗って颯爽としているし、ヘルメットはマスト、反射板のついた蛍光色ジャケットを身につけているのも普通の光景だ。ママチャリにのってふらふらと走っているあぶなっかしいおばちゃん(わたしのことだ)などは、どこを見渡してもみつからない。というか、ママチャリ自体が見当たらない。
そして、わたしを怖気付かせたものは、なんといっても交通ルールだ。
こちらでは、自転車はまごうことなくれっきとした「車両」であり、「車両」としてふるまうことを要求されている。つまり、車のルール=自転車のルール。
歩道を自転車で走るなんて許されないし、道路の右側を走行したりしようものなら、気が狂っていると思われることまちがいなしだ。
わたしの住む町は、わりと自転車道が整備されているほうなのだが、それでも車道を走るかぎりはそれなりの速度を保たなければならないし、着ているものがひっかかったとか、道がちょっとわからなくなったとかいって、突然止まったり方向転換したりするわけにもいかない。自転車に求められているのは、「マナー」ではなく「ルール」なんである。
したがっておそろしいのは交差点での作法で、右に曲がりたいと思ったら、道路の内側に向けて車線変更し、道の真ん中で居並ぶ車のあいだにはさまって待たなければならない。ちっぽけな自転車のぶんざいで!
前にトラック、後ろにバスなどという布陣で、混雑する交差点で挟まれたときの緊張たるや、理不尽としかいいようがない。あんたら鉄に守られてますけど、こちとらはだかんぼうなんですけれど!ヘルメットが必需品なわけだよ。
そんなわけで、オットの再三の励ましにもかかわらず、自転車に乗る自信が微塵も感じられないわたしだった。
しかし機がめぐり、とうとうわたしも腹をすえるときがやってきた(大げさ)。オットの同僚が、「FacebookのMarket Placeでいい自転車がすごく安く出てるよ」と教えてくれたのである。
ちなみにイギリスでは、日本で買えるみたいな廉価なシティサイクルは普及しておらず、自転車はとても高い(300〜400ポンド(6〜8万円)くらいする)。なので、ネットの売買サイトなどを通じて個人から買うのも一般的だ。
オットの同僚め、よけいなことを…。と思いつつMarket Placeを見てみると、RaleighというちゃんとしたブランドのきれいなLady’s Bikeで、価格はたったの40ポンド、オットの職場から歩いて取りに行けそうなところである。出品している人も女性で、盗品などでもなさそうだ(これ重要)
うーん、これは年貢の納めどきか…。ダメ元で連絡してみようよ、たぶんもう誰かが申し込んじゃってると思うけど、というオットに押されて出品者に連絡してみると、速攻「まだ買えます」と返事が来た。ああもう引き返せない…。
数日後、オットが仕事帰りに引き取りにいってくれ、我が家に自転車がやってきた。
いちおう自転車屋さんに持っていってメンテナンスしてもらい、ライトなどの付属品やヘルメットも買って、時は2024年1月、自転車ライフの始まりだ。まったく気が進まない。

初代Raleighさん。かっこいい。
また誤算だったのはこの自転車、Lady’s Bikeというのはそのとおりなのだけど、足の間のバーが高めで、後ろから足を上げる形でしか乗り降りできない。とっさのときに前から降りようとしちゃって足をひっかけそうだなあ。
自転車はどれも似たようでいて、乗り心地がみんな違う。久しぶりに乗る自転車は、急に目線が高くなってちょっとこわい。
尻込みしすぎでオットから呆れられつつ、交通量のすくない場所から少しずつ練習してなんとか路上に。出かける前には、目的地までのルートをチェックして、交差点の有無や右折の場所を確認、脳内シミュレーションが必須である。
万一洋服がチェーンに巻き込まれたりしないように着るものにも注意を払い、ヘルメットをかぶり、安全ジャケットをはおって出発だ。着いたら着いたで、日本のように簡単な鍵をかけてお店の前に駐輪、というわけにはいかない。自転車置き場を探し、がっちりしたチェーンのロックを車輪に通して施錠、盗難防止にライトなど取り外しできるものは外して持ち歩く。
つ、疲れる…。歩いたほうが早いんじゃないの。

これが自転車用装備だ!わたしの反射板ジャケットはベストタイプ
そんなわけで、なにかと理由をつけては自転車をさけて過ごしていたが、折しも仕事のシフトに夜番が増え、帰りが暗いので自転車で通勤せざるをえない状況がやってきた。職場までのルートには、右折ポイントが2つ。南無三!
さいしょのうちは、右折ポイントに近づくたびに心臓が早鐘をうち、職場に着くだけでぐったり疲れる日々だったが、いつのまにか慣れて、そう苦もなく走れるようになってきた(といってもお馴染みのルートのみ)。無理だな、と思ったら自転車を降りて、押して歩くかぎりは歩行者として歩道を使ってもいい、というライフハックも学んだ。
いつものことだが、じっさいできるかできないかより、始める前にあれこれ心配しすぎて一歩がふみだせないのが問題なのだ、わたしのばあい。
そしてだんだん目が慣れて、路上のさまざまな自転車を見る余裕がでてきたところで気がついた。イギリスにもママチャリ型がないわけではない、ということに。
日本のデザインに比べるとスポーティで、ヘルメットや安全ジャケットに惑わされていたが、よく見りゃスカート×ママチャリで疾走している人もいるではないか。
そこで先日、町中のリサイクル自転車ショップを覗いてみると、ちょうど入荷したばかりの一台が、なんとシマノの正統派Lady’s Bike。足元のバーが低く、前から楽に乗り降りできるタイプだ。つまりママチャリ!
店員さんは親切にも、わたしのRaleighを買い取ってくれると言ってくれ、差額分を支払って、シマノ氏はわたしのものになった。
もうこれで、乗降時にうっかり足を引っかけて転ぶ心配もなくなったし、いっつもジーンズばっかりはかなくてもいいんだ。やったー!
ついでに、チェーンが硬すぎて使いにくいな…と思っていたロックも買い替えたら、ものすごく毎日が楽になった。ささいな「いやだな」が人生に落とす影は思いのほか大きい。

2代目シマノさん。紫×桜柄なのは「Made in Japan」を意識しているのか

SHIMANO!
おかげをもって、わたしの自転車ライフはついに盤石なものとなりつつある。最初はなんだか恥ずかしかった、手を横に伸ばして曲がる方向を指示するのにも慣れてきたし。
いまだにこわいのは、Roundaboutという環状の交差点で、車といっしょにリング道路をぐるっと回りながら方向転換していくわけだが、そのさい、自分の右手から来る車は待たなければならないが、左手からやってくる車に対しては優先権がある、というルールがある。
しかし、車第一優先、自転車≒歩行者の日本に慣れきったわたしは、左手からの車に対しても、つい道を譲りそうになってしまうくせが抜けずちょっとあぶない。わたくしは車両ですよという顔をして通り過ぎる肝のふとさがほしい。

川沿いの通勤路。ぜんぶがこんな道だったらいいんだけど。
ところで、今気がついたけれど、この颯爽とした人もよくみりゃママチャリですね。
Byはらぷ