正月から、ジョナス・メカス!
ジョナス・メカスという映画作家のことは、何回か書いた気がする(①、②)。で、何回書いても書き足りない気がする。一般の映画ファンにとっては、なかなか作品を見る機会もないだろうし、いわゆる商業映画ではないので、有名な役者も、わかりやすいストーリーもない。カテゴリーとしてはドキュメンタリーに入るのかもしれないけれど、わかりやすく社会的な映画でもないし、何かに物申しているわけでもない。
だけど、こんなにも語り継がれ、愛され、細々とではあるけれど、若いファンも引きつける商業映画はないだろうし、この映画に出てくるメカスのお母さんほど有名なお母さんもいないだろう。
それならこの映画はなんなんだ、という公開当時の1972年に、この映画に魅了された人たちが付けたジャンルが、日記映画だった。
第二次大戦時、ドイツ軍の侵攻が始まったリトアニアから、メカスは弟と共にアメリカへ亡命した。博学だった叔父さんの「西へ行け」という言葉がきっかけだった。紆余曲折あって、アメリカ・ブルックリンにたどり着いたメカスたちは、他の亡命者たちと肩を寄せ合うように生きた。片言の英語で話す孤独な日々を、メカスは手に入れた16ミリカメラ、ボレックスで記録し始めた。
ブルックリンの日々、そして20年ぶりに帰郷したときの記録、さらに、もう一度アメリカへと渡るところで映画は終わる。
日記映画と言えば、『リトアニアへの旅の追憶』だし、『リトアニアへの旅の追憶』とは何かと言われれば、日記映画としか言いようがない。しかも、1972年の公開当時、ニューヨークでこの映画は大ヒットし、その余波は日本にも及び、ブラッケージやウォーホルなど、当時、実験的な映画を撮っていた作家たちを一足飛びに越えて、映像作家としてスターの地位を手に入れた。
いや、正月から何をそんなにメカスを熱く語っているのだと言われると、それは正月からメカスが上映されているからだ。あと1週間ほど、足立区北千住のシネマブルースタジオで、フィルム上映されている。見たことがない人には、ぜひ見てほしい。
1950年代、アメリカの片隅で、肩を寄せ合う難民たちが、ピクニックで歌い、踊り、語り合う風景。数十年ぶりに会った故郷の母や親戚たちの照れくさそうな笑顔。そして、メカス自身の瞬きを再現したかのような自由自在な撮影。すべてが瑞々しい。ぜひ、見てください。放送なんてこの20年ほどされていないし、ソフトは大昔のVHSがあるだけ。日本語版のDVDは出ていない。ごくたまに、美術館や小さなホールで上映はされるけれど、こんな鑑賞機会は滅多にないのです。
もしかしたら、「画面が動いて見にくいなあ」とか、「人の日記映画を観て、なにがおもしろいんだ」とか、合わない人もいると思いますが、シネマブルースタジオは「日本で一番人が少ないミニシアター」だと、自虐に走るくらい、ゆとりのある環境で見ることができるし、しかも1000円ポッキリです。別に回し者じゃないが、もったいないのは確か。
まだ間に合う。
まだ、メカスに間に合うよ!!!
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植松事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。

















































































