病院の待合室ではみんな少し気配を消して、小さく静かになる。
こんにちは、カリーナです。
友だちが糖尿病性網膜症で目に注射をすることになったのですが、アレルギーがあるため、万が一の対処を考えて総合病院の眼科に紹介状をもらって行ったそうです。
その後、彼女から突然うちに電話がかかってきて「電車に乗りまちがう夢を見た。何かの暗示ではないか」と心配しています。
話を聞くとどうも、その総合病院のお医者さんが事務的で冷たく、苦手なタイプだった様子。さらにその病院のトイレなどが古くて陰気だったこと。「ここに通うのか…」と暗い気分になっていたようです。
気持ちはとてもよくわかります。大切な目の治療。もともと病状に不安を抱えているうえに、その病院のいろんなことが気になって悲観的になってしまう…。
一応、予約はとったもののキャンセルは可能と言われていたらしく、「近隣の病院の情報を調べてくれないか」と頼まれました。
結果から言うと、ちょっと調べたら、もともとかかりつけだった眼科の先生が先に紹介しようとしてくれていた総合病院(なぜ、そこから変更になったのかは不明)に有名なお医者さんがいるらしいとわかったので、彼女にそのことを伝えました。
友だちは、予約した病院に平謝りしてキャンセルし、かかりつけのお医者さんにも平謝りしてもう一度、新しく紹介状を書いてくれないかと頼んだところ、予想に反して、嫌な顔ひとつされず、「わかった、わかった」とまた紹介状を書いてもらえたそうです。
友だちは複数の病院にかかっていますが、いつも、お医者さんに何か伝えるとき、ものすごく気をつかっています。「こう言うと、気を悪くされるのではないか」と思って言葉を飲み込んでいる。
世の中には確かにモンスター患者もいるのだと思いますが、大半の人は、わたしの友だちみたいにお医者さんに気をつかっているんじゃないかなあ。
自分の体のことなのに、はっきりとわからない病状と今後。病院という大きな大きな目に見えない仕組みで支えられている建物と組織と段取りとルール。そこにポツンといる小さな自分。小さな体。でも、たった一つの、かけがえのない体。痛みも治癒も引き受けるのは自分ただ一人という、この体への責任と使命。
小さな町の病院の待合室でも、そこに入った途端に人はみんなちょっと気配を消して、小さく静かになります。
自ら従順な「患者」になって、これから起きる運命(それが1回きりの注射であれ)を黙って受け入れようとするかのように。それが運命の好転につながるたった一つの方法と信じようとするかのように。
わたしも、受付を済ませて待合室の椅子に座るとき、そうなります。この、当事者でありながら「受け身でありつづけること」も病気の難しさの一つですね。
友だちの治療はまだ先。効果が出て、視力の悪化が止まることを祈っています。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。

















































































