〈 晴れ、時々やさぐれ日記 〉 ああ、おじいさん。義父と実父のあいだ
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
「 お前は、気持ちはあるのに、できないから、おかしい 」 これは、義母から聞いた義父の言葉です。
義母はお片付けが得意ではありません。(お義母さん、先回に引き続き何度もごめんね。)中でも義母の台所はビックリ箱なので、もしここで何かの事件が起こったとしたら、捜査はさぞ混乱をきたすことでしょう。(お義母さん、ごめんね。)
ところで義母は「人寄せ」の好きなひとです。うちの実母にもいつも、「お遊びにいらしてくださいね」と言ってくれます。義母はまたお出掛けも好きなので、うちの実家に遊びに来ることも度々あって、後日電話で報告をしてくれます。「居心地がいいものだから、すっかり長居をさせていただいてしまって。なんだかね、自分の家のような気がしちゃったりしたもんだから」
「人寄せ」の好きな義母は、「お正月は是非うちで」とうちの両親とわたしたち家族を誘ってくれます。「どうぞどうぞご遠慮なく。お正月は是非是非うちで」
お正月当日、義母は朝から着物の上に割烹着を着け、キッチンカウンターに山盛りの布巾(新品)を積んで、上気した顔でこう言います。
「サヴァランちゃん。嬉しいわ~。わたし嬉しくって、一体何をしたらいいのかわからないの~」
「サヴァランちゃん、今日はいろいろありがとう。あなた一人働かせて、いろいろ本当にごめんなさいね。あのね、わたし前にお父さんに言われたの。お前は気持ちはあるのにできないからおかしいって。」
「おかしい」というのはいろいろな意味にとれてしまう言葉ですが、義母、いえ義父の言う「おかしい」は、「可笑しい」という漢字が当たる方の「おかしい」です。
片付けようという気持ちはあるのに、それが空回りして片付けられないから可笑しい。お料理の段取りをしようと思うのに、それも何から手をつけるべきかわからなくてうろうろしてしまうから可笑しい。
ケロッとした顔でわたしにこれを言う義母もすごいけれど、「可笑しい」という言葉を使う義父もすごいとわたしは思います。
義父は50代の頃、何かの病気がきっかけで聴力が著しく落ちてしまい、今は特殊な補聴器を使って日常生活を送っています。わたしがこの家にお邪魔するようになった頃は、ちょうど緑内障の手術のあととかで、自宅に戻られた義父にお見舞いの品を持参した記憶があります。
「 まあまあサヴァランさん。ご丁寧にどうもありがとう。お父さんはね、何でも一人でさっさとやってしまうんで、今度の入院も自分でさっさと決めてきて、自分でさっさと準備して、わたし一度もお見舞いに行かないうちに、一週間くらいでさっさと一人で退院して来ちゃったのよ~♪ 」
義母は最初からとんでいまいた。
義父はいつも静かに笑っています。食卓では「やっぱり、大勢だと食事がおいしい」と言います。お耳の関係なのか、もともと義父の性格なのかはわたしにはわかりませんが、ほとんど込み入ったことはおっしゃいません。日中はパソコンやカメラを熱心に研究し、日に一万歩以上の散歩を欠かさず、365日早寝早起き、静かににこやかに日々を過ごしている印象です。
実家の父が、最近耳が遠くなりました。父は自分がそこにいる以上、すべての会話を理解し、すべての会話の中心に自分がいないと気が済まない性分です。
実母は実母で「補聴器なんてそんな、おじいさんくさいもの、わたしの前で着けないちょうだい!」と歯に衣着せません。
ヤレヤレ。たいへんだ。
「会話の中心でワレを主張する」タイプの父には、わたしは昔から頭を痛めてきました。「好きな物はなんでも着るが、家庭内では決して歯に衣着せることはしない」実母には、「あのね、パパのあれ、いい加減になんとか言ったら?」とわたしからこっそり意見することも度々。
父が退職をしてしばらくの頃、母はこう言いました。
「お父さんはね、今さびしいんです。今まで何十年と続けて来た生活が全部変わってしまって。だからしばらくは仕方ないんです。少々の我儘は目をつぶってあげなくちゃ。でもまあ、このままにはしませんよ。それはお父さんのためにもね」
そして数年前にはこう言いました。
「あのね。震災を見て御覧なさい。世の中で一番過酷で、一番たいへんなところで働いてくれるのは、なんだかんだ言ってもやっぱり男のひとでしょう。女のひとはあの渦中ではどうしたって非力でしょう。わたしたちはそのことを、しかと肝に銘じてなきゃいけません」
う~む。そのこととこのことの間には、いろいろ少し考えなきゃいけないことがあるんじゃないかな~とわたしは思いますが、ま、母の言うことも一理あるので、今のところはすごすごと意見を飲みこむことになります。
ところで、毎回の帰省で義父と父を見て思うことは、「補聴器」ではなく「入れ歯」のことです。
「入れ歯」というのは、内田樹先生がよく使われる「入れ歯のたとえ」のこと。内田樹先生の「入れ歯のたとえ」というのは、先生はあちこちで用いられているように拝見しますが、こちらやこちら、こちらのブログでも先生ご自身が語られていますので、その一部分をご紹介させていただくことに致します。
父は結局、母の許しの範囲の「あんまりおじいさんくさくない」補聴器を使っています。それでもいろいろと不都合はあるらしく、ああでもないこうでもないと常に不満を漏らしています。そして父も最近、義父と同じように緑内障の手術を受けました。
「いやあ、まいった。手術を受ければ前のように見えるもんだと思ったのに、そうじゃない。医者にそう言うと、この手術とはそういう性格の手術だと今頃言う。だったらそれを事前にきちんと説明するべきなのに、今度は現状に合う新しいメガネを誂えろと言う。はなしがかみ合わん」
かみ合わん、か。。。
口数の少ない義父の口からは、耳がどうの、目がどうの、という言葉は聞かれません。父はきっと、入れ歯を入れるとしたら「何度作り直しても合わない患者」になることでしょう。
現状をどうとらえるか。変化をどう受け入れるか。そこはまったくひとそれぞれなのだろうな~と思います。いつも穏やかな義父と、いつも何かの「意見」がしたい実父。いつも穏やかで、涼しい笑顔のおじいさんの方が若い人から歓迎されるのよ~と思う一方で、いや待てよ、と思います。これはこれで父の「自分時間のおもしろがり方」なのかも知れない。
義父の言葉をここで借りれば、 「パパは、いっつも文句言ってるから可笑しい」ということに………なる?
帰省した実家で、母が室内でピンチで止めた洗濯ものを、父が庭下駄を履いて干しに行く光景がありました。
「お父さん!それじゃダメでしょ! もっと間を開けて! お日さまと風がよく通るように。何度言ったらわかるんでしょうね。まったく!」
あんず
初めまして、あんずと申します。
いつも楽しく読ませていただいています。
サヴァランさまは、対照的なお父様お義父様をお持ちで、
比較文化論が書けておもしろいですね。
男のすなるお説教、をされそうもないお義父さまに、一票w
さて、このメルマガではご法度のひぼーちゅーしょーを、
少しだけさせてください。
わたしもファンだったことがあり、
講演に行って御尊顔を拝見させていただいたこともある内田先生様、
ハンサムですし、
おっしゃったり書いたりされてる中身は
言葉遣いがアカデミックなので惑わされてしまいますが、
よく考えると、とんでもないことが多いです。
患者さんを、○○さま、と呼ぶようになったから、
患者さんが思い上がり、クレーマーが増えた、とか、
クラスでトップになろうとしたら、苦労して勉強するより、
人の足を引っ張るほうが楽なので、
授業の邪魔をするようになり、学校が荒れるようになった、とか。
え~~?
ネタとしてなら、ユニークな着眼点で、
名誉関西人の称号をさしあげたいくらいですが、
トンデモな内容をまじめにお説教されると困るっつうか。
と、お説教がこの世で一番苦手な”あんず”でございました。
サヴァラン Post author
あんずさま
コメントありがとうございます!
お説教をしない義父への一票もありがとうございます!(笑)
ほんとうに
時と場を選ばないお説教というのは困りものです(笑)
内田先生
じぇじぇじぇ~ってことをおっしゃいますよね~。
わたしは自分のアタマをぐいぐい揉んでいただくために
内田先生のおはなしを伺いに行くように思います。
ご自身は「おじさん的思考」とおっしゃってるようですが、
内田先生はもしかしたら確信犯的に
お説教をするおじさん役を買って出ておられるのかな?と。
どうなのかな?違うかな?