生きるって「渦中にいる」ことよね。日々、わずらわしくてありがとう、と思う年末。
なんでも、そうなんですが、「渦中にいる」ってことなんですよね。生きるってことは
年末になるとスターが一挙出演する「歌謡祭」が放送されますが、あの華やかさの「渦中にいる」と、出演順や着席順やコラボ相手の格やカメラに撮られる時間の長さや、だれかれの挨拶の丁重さ加減が気になったり、落ち込んだり、勢いづいたりして、今後の身の処し方を深く考えたりするのだろうなあと門外漢ながら思います。「渦中」は「渦中」でも権力と名声と嫉妬が渦巻きやすい「政界」や「芸能界」の「渦中度」は、想像を絶するに違いありません。その中で浮き沈みしながら、自分の道を淡々と歩きつづける人もいるんですから、ほんとに心から尊敬します。ものすごく困難なことだと思います。
どんなことでも「当事者」になろうとすると「渦中」に身を投げなければならず、それは「外から見る」人の想像する「現実」とは異なるんですよね。些末なことに頭を悩ませたり、憂えたり、心配したりしなくてはなりません。政界や芸能界などといった政治や芸事の中枢だけでなく、仕事も家庭も恋愛も趣味も実は、なんでもそうですよね。「渦中」は「やりがい」や「充足感」だけでは作られていないのです。残念なことに。それと同じくらい、いや、それ以上に些末な「悩み」によってできあがっているのです。
もちろんわたしも、わたしの人生の渦中にいるので、いろいろ小さな悩みといっしょに過ごしています。しかも「渦中」とはよく言ったもので、渦の中にいるので「先がスパっと見えない」。でも、これ、ほとんどの人は見えていないんだろうなあと思います。その中にごくまれに、ソフトバンクの孫さんとか、ユニクロの柳井さんみたいに「渦の外に顔を出して全体が見える」人がいるのですが(ああ、でもやはり巨大な渦中にいるので、お二人の悩みは深そう)、私を含め多くの人は見えない。あの意見も正解に見えるし、別の意見も正解に見える。そんなふうにあれこれ考えながら、ずっと渦のなか。渦のなかでぐるぐる回りながら、前と思われる方向に何とか手を出して泳ぎ続ける。
クリスマスで華やかになった街を歩きながら、「ああ、今年もわたしは、渦のなかにいるなあ」と思います。ひとつとしてスパッと明快な成果を出したものはなく、ひとつとして明快に撤退したものもありません。ただ、若いころと異なるのは、「生きるってことは、渦中にいることなんだよなあ」と思えるようになったことです。用もないのにポストに入っているダイレクトメール、出そうか出すまいか迷う年賀状、しようかすまいか迷う大掃除、親族に送る変わり映えしない年賀のお菓子…そういったこともわたしの小さな「渦」を構成していて、わたしが社会のなかに存在していることを教えてくれます。
渦中に飛びこめば、わずらわしい。渦中の外に出てしまうと、淋しい。どちらにする?と問われたら、渦中にいる!と答えます。「日々、わずらわしくてありがとう」とでもいいますか、そんな感じの年末です。
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nao
わずらわしさに、ありがとうを言えるカリーナさん、偉いです!
煩わしい大音量のライブ感、以前は嫌いじゃなかったのですが
このところ渦の真ん中にバリアをはって、引きこもることが多くなりました。
目を点にして、半分口あけてぼんやりPC見てます(^^;)
しかしそんなネット上で、楽しい物もたくさん見つけたかな
元気をもらったら、また現場へ戻る。
煩わしさは生きてることですもんね。
爽子
読みながら、こくんと頷いてしまいました。
わたしも、しっかり当事者をやってます。
最近は、かかってこいや!の姿勢です。
時々、疲れないように、離れたりしながら、生きて行かなきゃ〜。
まだまだ、身体も動くし、めんどくさいことが降りかかるのも、ありがとう。と受け止めて。