50代、男のメガネは近視と乱視とお手元用~とまどいの正月
みなさん、本年もよろしくお願いします。
今年の正月はあんまり声高に「おめでとうございます」とは言えない身の上なので、ごくごく大人しく過ごしました。と言いながらお節も食べたし、雑煮も食べたし、参拝はしないまでもいろんな神社の近くに出没して、初詣気分も味わってしまって、ちとまずいのではないかと思うほどの正月気分でありました。
子どもの頃、私はお正月が苦手でした。嫌い、というのではなく苦手でした。とにかく身の置き所がないのです。友だちのなかには、お正月になると家族で温泉に行く、という豪勢なのもいました。田舎に帰省するというのもいました。でも、私の家は祖父母の家もすぐ近くだったので帰省というものがなく、豪勢な温泉旅行をするという財力もなかったのです。
そんな家でのお正月は前日の大晦日の喧噪から正月三が日の静まりかえった時間の中で、なにをどうすればいいのかわからない手持ち無沙汰に過ごさなければならないものでした。
大晦日の大掃除では、古くなった障子紙を破る、という役割が終わると手伝えることがなくなります。外で遊んでこいと言われても、なんだか気持ちがソワソワしていて、それどころではない。なんとなく遊びにも集中できないし、手伝いも出来ないという宙ぶらりんな気持ちを今でも思い出すのです。
もちろん、元旦にお年玉をもらうのは嬉しかったのですが、小学校の低学年くらいだとそれほどお金に執着もしていない。近所のおもちゃ屋で欲しかった小さなプラモデルでも買えば、それで満足でした。
それよりも、元日のお昼頃、家の外に遊びに出ても、近所はひっそりと静まりかえっていて人っ子一人歩いていない、という風景が私にとっては本当に怖かったのです。さすがに、家の中にいることはわかっていましたし、帰省している家も多いんだろうということも理解していました。でも、もしかしたら、これだけたくさんある家の中に誰もいないかもしれない、という想像は私にとってとてつもない恐怖をもたらすのです。
さらに怖いのは、もしかしたら家に帰っても両親や弟までいなくなっているかもしれない、という想像でした。いや、いるんですが、いないかもと考えるだけで、心底怖がっていたのです。いま考えると本当にただの馬鹿なのですが、そんなわけでお正月が苦手でした。
今なら大晦日から元旦にかけてオールナイトでやっている飲食店もあるし、駅前のスーパーやコンビニは年中無休で営業しています。テレビで民放各社が一斉の同じ「行く年来る年」を放送していたなんて嘘のようです。中学生や高校生が友だち同士で初詣に出かけるような時代ですから、元旦の街の静けさを語っても誰もうなずいてはくれないでしょう。
だけど、「正月が来たからって何も変わらない」という本音に追いやられている、「お正月というハレの日を迎えるのだ」という建前にこそ、なにか大切なものがあったような気がします。今年はそうした「大切な建前」を大切にする年にしたい。なんとなく、そんなふうに思っています。
今年もよろしくお願いします。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。