ゾロメ的つれづれ・ずれずれ・ブレブレ日記⑪ 人生はいろんな呼称だ!
◆6月某日 実はマイスター?
わがやの猫の譲渡を仲介してくれたMさん(60代男性)と電話で話す。
用件を済ませた後の雑談で、うちに来た猫は、Mさんが今まで面倒を見てきたたくさんの猫の中でも上位の器量よし(ぐふふっ・・)、かつ、上位の甘えん坊で、しかも一度もらわれたものの上手くいかずMさん宅に出戻った経緯もあったことで、Mさん一家にとっては特別な猫だったことを知る。
月亭家にもらわれて行くにあたっては、Mさん曰く「手のかかった娘を嫁に出すような気持ちで、家内としんみりしてしまった」とのこと。この正月に出した猫の写真付き年賀状(Mさん宛には特別ヴァージョンを作成)に対するMさんからの返事が「幸せそうな顔を見て、しみじみ嬉しく、ああよかったなあと何度も写真を見てしまいます」だったことが、今まで以上に腑に落ちた。
Mさんに「実は昨日、うちに来て初めて、猫が脱走しました。数時間後に自分で戻ってきましたが、家族全員パニックになりました」とカミングアウトしたところ、それまでの朴訥口調がなりをひそめ、「そうですか」というクールな反応。
こりゃ、もしかして飼い主としての責任感の欠如を責められるのか!?と思いきや、続いたのは「そういうことはよくありますよ。大丈夫です!」という、まさかの肯定発言。
聞けばMさん、もらわれて行った先の猫も含めて、今まで関わった脱走猫の回収率はほぼ100%で、そのバックボーンあっての大丈夫宣言(?)らしい。
今度また脱走したら伺いますよ、という頼もしい物言いには「脱走猫回収マイスター」とでも呼びたいような威厳さえあった。
電話が終わってふと見ると、猫はこんなところに。マイスターの電話越しの気配だけで恐れをなして自分から回収された!?
◆6月某日 今回のゾロメ日記はエピソード11ですゾロメ回です
「天皇の料理番」episode9を見る。
どうでもいいけど、連続ドラマにおけるepisodeという言い方はいつからなのだろう。「スターウォーズ」あたりで日本の連ドラ関係者(ざっくりし過ぎ)がそのかっこよさに開眼し、採用すべ、となったのか。
兄やんの最期に泣いた。脚本と俳優陣が、命が消え逝く瞬間をリアルかつ丁寧に見せてくれたせいで、2006年に亡くした長兄のことをありありと思い出してしまった。
それにしても、トシの離れた兄弟だと思っていたのに、自分はもう、兄の生きた年齢を追い越してしまっているのだなあ。
写真は、戦後の混乱期の一家・・ではなく、昭和30年代なかばの乳飲み子(私)と母と兄。
◆6月某日 その名はMr.Taisho!
義父の通所リハビリ初日。視力を失ってもうすぐ2ヶ月。介護の認定も決まって、現実は次の段階の現実に駒を進めたのだ。このふた月、自分は何かと閉塞感を覚えてきたが、私がいちばん停滞してるんじゃないか?停滞は濁る。
義父は、もともと人付き合いがあまり得意ではなく、しかも目が見えないということで心配したが、リハビリからは存外に元気に帰って来た。「あの程度の運動なら続けられる。物足りないくらいだ」とのこと。大正生まれの底力!?
夜はすっごく早く寝てたけど。
◆6月某日 先生呼ばわり
小学校の図書室でパートを始めて1年が過ぎた。
30代のとき、看護学校の図書室で働いていて、その頃も学生の一部から「先生」と呼ばれていたが、あくまでもごくごく一部の層だった。でも、現在はほとんどの児童や教職員に先生と呼ばれる環境で、最初の頃にいちいち感じていた違和感が薄れた。
呼ばれることに慣れたというより、呼ばれることによって、自分が長年「先生」という呼称に抱いてきた過剰な意味付けがなくなった感じ。「先生」という呼び方は、単なる記号だったりもするのだということを実感している。
自分が気をつけていることといえば、「先生」と呼ばれて返事はしても、自分で自分を「先生」とは言わない、ぐらいだ。自分で言っちゃったら、過剰な意味付けは、第二部自意識編に突入する気がする。
それで思い出すのは、十代の頃に読んだ『スプーン一杯の幸せ』という落合恵子さんのエッセイだ。細部はうろ覚えだが、落合さんがファッションショーの司会をした話。リハーサルでデザイナーをさん付けで呼んだところ、本番までに、台本がデザイナー本人によって「先生」と書き直されていたという。
読んでから40年近く経っているのに、なぜか忘れられない。
今日も4年生にブックトーク(テーマに沿った何冊かの本の紹介)をした。依頼されたテーマは「平和」。学校公開日だったので、保護者などのギャラリーもいて緊張する・・かと思ったが、さほどでもなかった。
「本を読んで何を思うかは人それぞれ」の例として「好きなおかずを最初に食べるのが幸せな人と、最後に食べる方がいいと思う人がいるように、気持ちや感想はみんな同じじゃないですよね」と言ってみたが、児童はぽか~ん、担任は苦笑、みたいな。喩えがズレてたか。
でもまあ、『ランドセルは海を越えて』という写真集にあるアフガニスタンの「学校」に、みんなが「うそー?!」「これが?」「なんで?」と驚きの声を挙げたのが聞けただけでも、おいらはやってよかったと思ったぜ(自己満足。そしてなぜか最後は意味不明口調)。
by月亭つまみ
こんなブログもやってます♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
アメちゃん
こんにちわ。
ご兄妹の古い写真、いいお写真ですね。
長男は長男らしく、次男は次男らしく、末っ子は末っ子らしく
それぞれの雰囲気が出ていて、なんだか好もしいです。
3兄妹、5歳ずつぐらい離れていますか?
私も5歳ずつ離れた兄、姉を持つ末っ子なので
私の写真も、ちょうどこんな感じだな〜と思いました。
それにしても
落合さんのお話。
デザイナー自ら「先生」って書き換えるって、面白いですね。
えてして、クリエイターというかアーティストって
先生と呼ばれることを嫌がりそうに思うんですけど。。。
で、そこにアンテナがひっかかる落合恵子さんも落合さんらしい^^。
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんばんは。
コメントありがとうございます!
勢いでこんな写真を載せてしまって・・と思っていましたが、アメちゃんさんのコメントを読んでなんだかホッとしております。
そうですねー。長兄はいかにも長男で、だからこそ、いろんなことを背負い過ぎて逝ってしまった気がします。
年齢の差は、3才、4才です。
「スプーン一杯の幸せ」が書かれた頃は、クリエイティブな業界にもベタな権威がまだ幅をきかせていたのでしょうか。