あちら側とこちら側 : キムやっこ
前回に続き、カナダのお話。
2年間の滞在中、前半はカレッジで英語と文学の勉強をし、
後半は同じカレッジで介護士資格を取得するコースを取りました。
直接仕事につながっていくコースのため、
若い生徒ばかりではなく上は60代まで、バックグラウンドもさまざまな人が集まる
とても面白いクラスでした。
30人弱のクラスに、日本人1人、ポーランド出身1人。
座学と実習室での実習が続くコース前半が終わると、
生徒たちはあちこちの介護施設での実地研修に出ます。
私も3つの施設で実際に仕事をするのと同じ形で実習をしました。
その中のひとつ、ある認知症の高齢者向け施設で
今でも忘れることのできない体験をしました。
その施設には、日系カナダ人の女性が入居していました。
仮にMs. Mと呼ぶことにしましょう。
日本人である両親がカナダへ移り住んだということで、
Ms.Mは見た目は完全に日本人のおばあちゃんです。
しかし、施設のスタッフ曰く
「Ms.Mはカナダ生まれのカナダ育ちだから、ご両親と話す以外はすべて英語だったのでしょうね。
彼女はまったく日本語を話さないわ」
英語がメインの生活を長く送り、しかも、記憶の力に支障が出ているとなれば
それも仕方のないことです。
私はMs.Mの部屋があるフロアとは別の場所で実習をしていたので、
時折見かけることはあっても、直接彼女と接触する機会はありませんでした。
ある日のこと、実習担当の先生が私のところへやってきて
「Ms.Mのお部屋へ行ってごらんなさい」と言います。
私が 「でも、彼女はまったく日本語を話さないというし」と言うと、
先生は「言葉だけがコミュニケーションの手段じゃないわ。
日本人のあなたの顔を見ることが彼女にとって何か刺激になるかもしれない」
そんなものかな。
半信半疑でした。
Ms. Mの部屋へ行き、
「こんにちは。ご機嫌いかがですか」とご挨拶。
もちろん英語で。
「元気よ。遊びに来てくれたのね」とMs.M。
もちろん英語で。
後は他愛のない会話です。
Ms.Mの態度も、他のスタッフに対するものと何も変わらないように思えました。
が・・・
突然Ms.Mがこれまでの口調とは明らかに違うスピードで話し始めました。
「私、もっと短いスカートがいいの。
これくらい。(スカートをひざ上10センチくらいにたくし上げる)
でも、先生はダメって言うのよ」
日本語で。
呆気にとられました。
でも、なぜか、できるだけ長くこの会話を続けなきゃと思いました。
「学校には服装のルールがあるんですか?」と私。
「ええ、とても厳しいのよ」
「じゃあ、短いスカートはおうちにいる時にはいたら?」
「お母さんもダメだと言うの」
「大人は頭が固いですね。ミニスカート、素敵なのに」
「そうでしょ。あなたもそう思うでしょ?!」
「でも、今はいているこのスカートも素敵」
「Oh, I really want ・・・・・・」
英語に戻っていました。
その後は、どんなに日本語で話しかけても、彼女が日本語を話すことはありませんでした。
ほんの数分間の出来事でした。
ほんの一瞬のようにも思えました。
でも、とてもとても不思議な時間でした。
まるで、彼女があちら側の世界とこちら側の世界を行き来したかのような。
Ms. Mは、あちらとこちらの境目にある扉をふっと抜けて私のすぐ目の前にやって来て、
ミニスカートに憧れて大人に抵抗する少女になった。
そして、またしなやかにその境目を通り抜けて、子供にも孫にも恵まれた白髪の女性に戻っていった。
もう20年も経っているというのに、いまだにあの時の記憶は強烈に残っていて、
思い出すたびに考えさせられるのです。
Ms.Mだけでなく、記憶の力に悩まされるお年寄りたちの多くが
私があの瞬間に「あちら側とこちら側」と感じた2つの空間の行き来をしているのかしら、と。
Ms.Mが日本語で話し出した瞬間は、感動的でもありました。
彼女の中にしっかりと根付いている記憶がある、と。
でも、2つの空間を行き来するということは、お年寄り本人にとっては辛いことなのかもしれない。
今の自分が本来はどちらに属しているのかが曖昧であるということを薄々感じているのだとしたら、
私たちには想像もできないほどの不安の中にいるということではないのか、と考えるのです。
だけどね、そんな体験や、そんな考えをするにもかかわらず、
記憶の力が衰えていく自分の親を目の前にすると、なぜかうろたえてしまうんです。
異国でとはいえ介護士の勉強をして、たくさんのお年寄りと接したというらのに、
相手が自分の親となると、何をどうしたらいいのかがわからなくて、途方に暮れて、
誰か助けて! と感情が先走ってしまいます。
勉強した理論なんて、これっぽっちも役立てることはできない。
どうして上手にできないのかなぁ。
どうしてでしょうね。
と、最後は愚痴のような話になってしまいましたが、
今回もカナダとはまったく関係のないレシピをご紹介。
キムチと冷奴を和えて、「キムやっこ」でございます。
どんどん手抜きレベルが上がってきているような気がしますが・・・・
『キムやっこ』
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暑さはもちろんのこと、母のことで気力を消耗してしまった時などは
到底料理をする気持ちにはなれません。
とはいえ、しないわけにはいかない・・・
介護に限らず、皆さん色々な事情があるはず。
手を抜いてもいい時はある!
料理の神様も許してくれるに決まってる。
神様が許さなくても私が許す!
頑張りすぎないでください。
はらぷ
ミカスさん、こんばんは。
ミカスさんの文章、大好きです。でもコメントを書くのは初めてです。なぜならうまく言葉にできないから(という人は多いのではないか)
でも、今回は書かずにいられなくなりました。
というのは、これを読んで泣いてしまったからです。もう、えーんって感じで泣きました。
私も、心理学や精神医学の本を読んでいろいろわかってたつもりでいても(←興味もあったし、自分の心配もあった)、いざ父や姉や義弟のいろいろに直面すると、そんなの全然役に立ちません。
公共図書館で働いていると、いろんな人が来て、ほとんど介護みたいなこともたくさんあるのですが、そういうことにはいくらでも気が長くいられるし、なにがどうしてこうなった、ってことをちゃんと見通すこともできる。面白いと思いさえする。
ほんとうに、どうしてでしょうね。
家族だって別の個体、ちがう人ってふだんは思っているのに、そう簡単じゃないみたいです。
それから、Ms. Mとの邂逅…ミカスさんのその応え!!小さい扉がそのときだけ開いたんですよね…。
私のなかで、この逸話が色と光をともなって記憶されてしまいました。まるで自分が体験したみたいに。
スカートひるがえして少女が扉をぬけてきたとき、白髪のMs.Mは入れ替わるのでしょうか、それとも、その様子をどこかで眺めているのかな。
ヒンジの緩んだ戸棚が勝手にあいてしまうみたいに、記憶の扉が開いたり閉まったりしてしまうんだとしたら、どういう気持ちなのか。
二つの世界を行き来してしまう不安、輪郭が曖昧になっていく不安、その不安すら、忘れていく恐怖、読んでいて、Ms.Mの気持ちになりかわっている自分もいました。
六車由美さんの『驚きの介護民俗学』や、福岡の「よりあい」が出している冊子「よれよれ」のことなんかも思い出しました。
ミカスさんと働いたら面白いだろな、ミカスさんに介護もしてもらいたいけど、両方は無理ですよね…。
ミカスさんは、書いてる自分とほんとの自分はべつべつと思っているかもしれないけれど、ほんとにそう思います。
ばばあになったら、他人に介護されて悪態つきながら死にたいです。
あと、レシピがほんとうに関係なさすぎてシビレました。
ミカス Post author
はらぷさん
コメント、ありがとうございます。
大好き、なんて言われちゃうと、私、ドキドキしちゃいます(笑)
殊、家族の介護に関しては、お勉強したことはほとんど役に立ちませんね。
だって、お勉強は、身内を介護することによって生まれるどろどろとした感情との向き合い方までは教えてくれないから。
介護に関する本もいくつか読みましたが、
「そんなにきれいな話では済まないんだよなぁ」と思うこともしばしば。
そんなどろどろをすくい取って、少しでも薄めてくれるアドバイスや教科書があればいいのに
と思ったりもします。
Ms.Mとの出来事は、いまだに奇跡のような瞬間だったと思っています。
私たち2人だけの部屋で起きた出来事で、誰も見てはいません。
だから、時々、あれは夢だったのかしら?と思うくらいです。
あの日、「行きなさい」と言ってくれた先生に感謝です。
Ms.Mのことや、母のこと、実習で出会ったお年寄りたちのこと、その中に私の未来の姿があるのかどうか・・・。
私にもいつか、あちら側とこちら側を行き来する日がやってくるのか・・・。
考えても詮無いことですが、考えずにはいられません。
私に介護されるのは大変ですよ、きっと。
私、口が悪いから(笑)
でも、母以外の悪態ばあさんの対応は割と上手ですよ。
なかなか話と結び付きそうなレシピがなくて、毎回唐突な感じになってしまいます。
そこを面白がっていただければうれしいです!
あずみ
初めまして。
いきなりですが、ミカスさんの唐突なレシピ、大好きですっ!
さて、読んでいて、うちの母を思い出しました。
母は看護師だし介護のこともよく知っている。
でも、病院でほかの家族の人にアドバイスはできても、
自分のことにはまるっきりその知識を使えなかったのでした。
私は祖母のこととか自分の義父のこととか、
まだまだ自分の実の親じゃないから比較的冷静でいられるのかもと思います。
今、台湾の家族は、義父の介護をしています。
私は最初の頃、同居してつきっきりの介護を担当しましたが、
症状がひどくなってきたのと嫁姑のこととかで、
距離をおくことを選びました。
台湾の家族は、上手に病院や制度、外国人の住み込みヘルパーさんを使って、
家族が疲れないようにしています。
料理だって、外食、持ち帰りで済ませるのも、全然問題無し!
もしかすると、日本より「割り切る」っていうのが上手なのかもしれません。
しかし、本当に気が楽です。なんといっても、仕事を続けられること。これが素晴らしい。
仕事を続けないと、自分の子どもも(私はいないけど)老後も守れないですからね。
日本もこれから外国の人に介護を手伝ってもらえるようになると聞きました。
最初は慣れないでしょうが、仕事を続け、自分の生活を守り、老後の準備をするためには、
赤の他人にお金で解決してもらうことも、選択肢のひとつとして受け入れられるといいなあと思います。
料理の神様だけじゃなくて、
台湾の女性陣も、料理の手抜き、応援します!!
ここに訪れるみなさんも、みなさんの周りで介護に疲れちゃってるひとも、
がんばりすぎないでー。(明日は我が身だが)
いまねえ
こんにちは。
Ms.Mのお話し、私自身は認知症の人が周囲におりません、
そのため見聞きしたことでしかイメージできないのですが
「なにもかもわからなくなっている」状態ではなく
「わからない」状態と「わかる」状態とが混在していて
それが自分でコントロールできないことが認識できるために
混乱し恐怖感を感じるもののようだ、ということ
最近知るようになりました。
「あちら側とこちら側」!
すごくストンと腑に落ちた表現です。
生きている人は「こちら側」にしか存在しない、
と考えていると
周囲も混乱するのでしょうね。
とはいえ距離感を保てる他人さまと
客観視が困難な身内とでは混乱具合も異なるのだろうな。。
近い将来、「認知症」と向き合うことになったとき
この「あちら側とこちら側」が頭の整理の手助けになりそう。
キムやっこ、我が家も作ります。
でも我が家は豆腐にのせるだけ、でしたので
このレシピで作ってみよう。
ごはんの支度が気乗りしないとき
疲れていたり、食欲ないとき
これがあれば敵なし!て感じの応援レシピですね。
昨夜揚げワンタンの甘酢あんかけ、作りました。
甘酢を利用して、おいなりさんも作りました。
ミカス Post author
あずみさん
はじめまして。
唐突レシピが好きなんて言われたら、私、どんどん唐突になっちゃいますよー。
看護のプロであったお母さまも、難しかったのですね。
やはり、お仕事で他人に対する時にはどろりとした感情のからまりはないですものね。
あずみさんがおっしゃるように、国(文化)が違うと、考え方・対応の仕方が違ってきますね。
台湾でのご家族の対応、うらやましいです。
他人(でも、プロ)に任せることの方が、介護者だけでなく介護される者にとっても楽で安心なのかもしれないのに、
割り切れないのはなぜなんでしょうね。
台湾からも心強い応援、うれしいです!
罪悪感など持たずに、上手に手を抜く。頑張りすぎない。
自分を大事にしながらいきましょう!
ミカス Post author
いまねえさん
こんにちは。
目の前に認知症の人間がいても、やっぱり実感としてイメージすることはできません。
ただ、母の焦りや怒り、恐れを見るたびに
底の知れない不安を感じます。
自分では実感できない深い闇のような感覚を、どこまで受け止めてやることができるのか。
ましてやそれが身内に起こっているとなると、やはり簡単には解決できませんよね。
いまねえさんがおっしゃる通り、客観視ができないのです。
キムやっこ、ざっくりと混ぜてみてください。
食感が変わって、また面白いですよ。
揚げワンタンとおいなりさんなんて、私にとってはベスト献立です。
いまねえさんちで晩御飯食べたーい!
mikity
ミカスさん、こんにちは。
昨晩の我が家は、ミカススペシャルでした。
キャベツの卵とじに、切り干し大根のサラダ、それにキムやっこ。
自家製梅酒を添えて・・・
切り干し大根のサラダは、タコが苦手なので、ささかまぼこで代用しました。それと隠し味にゆず胡椒をちょこっと入れて味を引き締めてみましたよ。
キムやっこには、韓国のりをトッピングするとまたおいしくなります。
どれも大変おいしゅうございました♬
ミカスさん、大変ごちそうさまでした。
ミカス Post author
mikityさん
まぁ、ミカススペシャルなんて、うれしい!
だけど、mikityさんの方がおしゃれに仕上がってます。
素敵な食卓!
タコの代わりに酒蒸ししたササミも美味しいですよ。
キムやっこに韓国海苔は真似しちゃおう(笑)
皆さんのアイデアでレシピが色々な形に広がっていくのが楽しいです。
匿名
ブロッコリーの肉巻きフライ。美味しゅうこざいました
匿名
全くコメントをしたことがなくら困っています
ミカス Post author
匿名さん
初めてコメントをしてくださったのですね。
ありがとうございます。
ミカス Post author
匿名さん
ありがとうございます。
うれしいです。
モリミー
ジム通い。私もなんちゃってジムを始めて一年半。キチンとジムになって4ヶ月が経ちました。用事のない日にジムにでも行くかという甘い気持ちで始めたジム。1か月に4回くらい。ジムに行っていることに満足していました。たまたま、ジムでご一緒した方に10年後の 自分のために今出来ることをしているとお聞きしました。全くその通りと思いました。その時から、なんちゃってジムは卒業しました。
ジムを始めて身体が変わるのに3ヶ月程かかると聞いていましたが、もっと早く実感できます。歩く時も、しゃがんだりする時も、違いが分かります。違いが分かるとやめられなくなります。ツライことを頑張るとイヤになるので、ツライと思うほどのことはやりません(笑)細マッチョ、太マッチョのお兄ちゃんを見ながら、楽しんでいます。
ミカスさんのジムのお話、楽しみにしています。
ミカス Post author
モリミーさん
まずは3ヵ月頑張らなきゃ、ですね。
私もなんちゃってジムになりそうな予感満載なので、十分気を付けてなんとか続けようと思います。
私か通っているのは町営のジムなところへもってきて平日の日中に行っているので、9割が中高年です。
細マッチョ、太マッチョのお兄さんを眺めながら楽しみたいよ~。
モリミーさん、このコメント、昔の記事(2018.9.13)に書き込まれていましたが、これでいいのかな?
ご本人に確認ができないので、とりあえずこのままお返事しました。
モリミー
ミカスさん,お返事ありがとうございました。
まさかこちらにコメントを寄せているとは思っていませんでした。最近のジムについての記事にコメントしたつもりでいました。間違えました。すみません。
ミカス Post author
モリミーさん
多分、この記事へのコメントではないのだろうな、と思ったのですが、モリミーさんに個人的に確認する方法がなかったので、そのままお返事しました。
ごめんなさい。
なんか、みんなが気づかない場所で人知れず逢い引きしているような感じですね(笑)