4つのステップ : カレーポテト
前回、自分の老いや衰えを受け入れられない、という話をしました。
あれから数日経っただけですしね、己の老いはまだまだ受け入れられません。
ただ、最近私が受け入れたものがひとつあります。
母が認知症を患っていて、
彼女との会話や生活がこれまでと同じようにはいかないという事実です。
「受け入れるも受け入れないも、そんなこと当たり前じゃないか」
という人もいらっしゃるかもしれません。
でも、認知症という病は、本人はもちろんのこと家族も、
それを受け入れるまでに強い葛藤を伴うものなのです。
認知症介護をする家族は、必ず4つの心理ステップをたどると言われています。
第1ステップ 『とまどい、否定』
第2ステップ 『混乱、怒り、拒絶』
第3ステップ 『割り切り、あるいはあきらめ』
第4ステップ 『人間的、人格的理解』
だそうです。
思い返してみると、母にもの忘れの徴候が表れて以降、
私はまんまとこのステップをたどってきているのです。
最初に「あれ?ちょっと変だ」と感じてから物忘れ外来へ母を連れていくまでに、
少し時間がかかりました。
それは、私の中に「きっと違う」という、何の根拠もない否定の気持ちがあったからです。
しかし、病院での検査で、既にそれが始まっていると証明されてしまってからは、
私の中で凄まじい混乱が生じました。
認知症が始まってるとはいえ、表向きはまだ会話が通じるようにも思えます。
だとしたらまだすべてが以前のようにいくのではないか、と考えて
こちらの論理で説得したり、「なぜわからないの?!」と理解を強制したり。
まだ議論が成り立つと、成り立つはずだと躍起になっていたのです。
ほぼ一日中怒鳴りあったこともありました。
母は、実際には起きていない事で私を責め立て、
私はそれが現実ではないということを母にわからせるために声を荒げました。
一体何度言ったらわかるのよ!
わかるわけはないのです。何度言っても、その回数だけ忘れてしまうのだから。
母は私にリモコンを投げつけ、
私は母の頭上から粉薬をまき散らしました。
残酷でしょ? どちらにとっても。
どちらも満身創痍です。
そんな日々にへとへとになったある日、
物忘れ外来の先生とケアマネージャーさんに同じことを言われました。
「そういう時は、お母さんを他人だと思うようにしましょう。
難しいのはわかっています。
でも、他人を介護する介護士のような冷静な目でお母さんを見るようにしましょう。
でないと、共倒れです」
できないと思いました。
他人じゃないもの。
他人じゃないから、こんなに腹が立って、こんなに苦しいんだもの。
でも、暴言・興奮を抑える薬を処方してもらい、わずかながらも母の状態が落ち着いてくると
不思議と私の気持ちにも、母の様子を観察する落ち着きが出てきました。
そして、私は受け入れました。
「母は母だけれど、私たちの生活は今までとは違うものなんだ。
母は認知症なんだ」
これが第3ステップです。
頻度は減りましたが、母は、まだ突然怒り出すことがあります。
怒りのスイッチが入ってしまうきっかけはわかりませんが、
怒りの矛先は毎回ほぼ一緒です。
怒りの中で繰り出される言葉は毎回同じものです。
以前の私だったら、
「だから、それはこの間も言ったじゃないの!」から始まって、
母との怒鳴り合いになったでしょう。
でも、「この間も言った」ということをすっかり忘れてしまっている母にとって、
毎回が初めての出来事なのです。
だから、私も毎回初めてのように話を聞きます。
そして、私は決して母の敵ではないと思わせるように話をして、
ゆっくりと話題をそらします。
すると大抵は落ち着くのです。
そして、幸か不幸か、自分が怒っていたということすら忘れてしまう。
とはいえ、私はまだ第3ステップに立ち尽くしています。
割り切り、あきらめているだけで、「理解する」第4ステップには至っていません。
冷静に対応しながらも、心の中では母に対してありとあらゆる悪態をついていますし、
こんな毎日からなんとか逃げ出せないものかと祈ったりもします。
いつになったら新しいステップに進めるのか、皆目わかりません。
ひょっとしたら、最後のステップにたどり着けないままに終わるのかもしれません。
経験された方はわかると思いますが、
介護はきれいごとだけでは絶対に太刀打ちできません。
参考になるかもしれないと思って色々な本を読みましたが、
大抵は「そんなに上手くいくなら苦労はしないよ」というものでした。
この病気を理解するのは本当に難しい。
毎日一緒にいながら本当に申し訳ないけれど、
母の中に生まれた「新しいシステム」を理解するのは不可能ではないかとすら思います。
組み伏せるにはあまりにも強すぎる敵と対峙する毎日は、
介護者の神経を少しずつ脆く危ういものにしていきます。
いつまで私はつぶれずにいられるだろうか。
とはいえ、数年前まで、母はしっかりとした主婦でした。
私には真似ができないほどきっちりと家事をこなし、
24時間わがまま放題で107歳まで生きた姑の世話をし。(この介護も大変でした)
手抜きモノながらも私が料理をすることができるようになったのは、
母の仕事をそばで見てきたからです。
ここで紹介したレシピのいくつかは
母が実際に作っていたり、母の料理からヒントを得たものです。
今日のレシピも、母が
「結婚したばかりで、まだ貧乏だった時に考え出したのよ。安くて美味しい!」
と言いながらよく作ってくれた料理。
安くて、簡単で、美味しいですよ。
『カレーポテト』
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あらあら。
「捨てないで!」と泣きながらすがりつく女くらいに重い話になってしまいましたね。
恐縮です。
ひどくストレスが溜まっているわけではないのですが、
なぜかふと書きたくなりました。
これまではなぜか人にさらしてはいけないと思っていたことを、
こうして書けるようになったのも、第3ステップへ到達した証なのでしょうかね。
ミカスでした。
ゆうちゃ
ミカスさん、おはようございます。
カレーポテトの鮮やかなイエローに釘付けになりました。夏にぴったりのレシピですね。
ミカスさんの辿ってこられたステップは、階段を昇るような感じではなく、お掃除ロボのようにクルクル回ってあちこちぶつかって傷を負いながら模索されてきた道なのだろうと思いました。
本当に、綺麗事では済まないことばかりですよね。仕事だと思って…とか、無理しない頑張らない抱え込まないとか色々周囲から言われますけど、乾いた引きつった笑顔で、ははは~そうですね~と返すのが精一杯だったり。
ミカスさんの第3ステップに敬意を表します。蒸し暑い毎日なのでご自愛くださいね。
ミカス Post author
ゆうちゃさん
こんにちは。
とても性能の悪いお掃除ロボなんですよ。
全然汚れを吸い取らないし、自分で充電器のところまで戻れないし(笑)
第3ステップに到達というと聞こえがいいのですが、諦めの境地に至ったという方が正解なのかもしれません。
ありがとうございます。
お互いに暑さ負けせず、ゆっくりいきましょうね。