罪悪感の行方 : 揚げ茄子もどきのみぞれ和え
これを書いている今日、パンダの赤ちゃん誕生という
嬉しいニュースが飛び込んできました。
まだ赤ちゃんの性別はわからないそうですが、
息子くんかな?それとも娘ちゃんかな?
先日、同年代の友人と話をしました。
70代に入った彼女のお母さん、娘への依存が日に日に強くなってきたというのです。
詳しく話を聞いてみると、確かにちょっと普通ではない。
そんなお母さんの言動に、友人は疲れた様子でした。
「それはしんどいわ。イヤになっちゃうよね」と私が言うと、
彼女は一瞬目を見開いて言いました。
「私、嫌だと思っていいのかな?」
ああ、これはどこかで…
そう、彼女はまるで少し前の私のようでした。
親を嫌だと思う気持ち。
若い頃もありました。
有り余るエネルギーのせいで、些細な事にも反発して、
わかってくれない親に腹を立てました。
だけど、あの頃は親の方が圧倒的に強かった。
どんなに反発しても、敵うわけがなかった。
でも、今は違う。
私たちはあの頃の親を超える年になり、
年を重ねた親はあの頃の私たちよりもはるかに弱くなっている。
弱さゆえの理不尽な言動は、私たちを振り回す。
振り回された私たちは少しずつ摩耗し、疲弊していく。
そんなの、嫌に決まってる。
でも、その理不尽が親の弱さから来ていると思うと、
若いころのように反発することにためらいを感じてしまう。
反発する自分に罪悪感を抱いていしまうのです。
ご存じのように、母は最近ショートステイを利用するようになりました。
少しずつ試すように始めたショートステイのおかげで、
崩れそうだった私の心身はゆっくりと楽になりました。
でも「それならば、もう少し回数を増やしましょう」という
ケアマネージャーさんの提案に、私は一瞬ためらいました。
自分が楽をするために親を人に預けてもいいのか…
その時、ケアマネージャーさんが言いました。
「罪悪感は捨ててください」
私の気持ちは見透かされていました。
「年を取った親御さんに優しくしたいという気持ちはわかります。
それは素晴らしいことです。
でも、できない事もあります。
できない事に対する罪悪感で自分を追い込んではいけません」
私はその言葉で気持ちがとても楽になりました。
友人も、日増しに変わっていくお母さんの言動を重いと感じながらも、
親の変化を全面的に受け入れられない自分に罪悪感を感じていたのです。
嫌だと感じてしまうこと自体は全然悪くないんだよ。
罪悪感と言えば、先週もお話しした「料理作る気ガタ落ち期」ゆえに
手抜き料理が続く日々にも罪悪感を抱いている私。
やらなきゃって気持ちはあるんです。
こんなんじゃいけない!って思うんです。
でも、やっぱりやる気が起きない。
そうか、この点でも罪悪感を捨ててみよう!
というわけで今週は、
揚げない、味付けもしない、完全手抜きの『揚げ茄子もどきのみぞれ和え』。
完全無欠のロックンローラーみたいだな。
『揚げ茄子もどきのみぞれ和え』
- 茄子は縦割り半分にした後で、1/3ほどの乱切りにして、
しばらく水に浸けておきます。 - フライパンにたっぷり油をひき、加熱します。
- 1の茄子の水をしっかりと切り、2の茄子を焼きます。
ちゃっちゃと炒めるのではなく、じっくり焼いて焼き色を付けましょう。 - 大根をおろします。
大根をおろすのはなかなかの手間。もう手抜きとは言わせない! - 適当な濃さに調整しためんつゆに4の大根おろしを軽く絞って加えます。
大根おろしの水分も考えた上でつゆの濃さを調整しましょう。 - 焼き上がった茄子を5のみぞれづゆに加えたら出来上がり。
優しいことは素晴らしいことだけど、
優しくするために自分を苦しめる程の無理をしなければならないのなら、
立ち止まって少し考える必要があると思います。
決して、自分を犠牲にし切れないことに罪悪感を感じないこと。
だから私は、明日も明後日も、満面の笑みで手抜き晩ご飯を作るのです。
ミカスでした。
ジャスミン
一人っ子です 一緒に暮らす実父が最近、年のせいで色々「不潔だなぁ」と
思う事が多くなり、仕方がないとは言え、罪悪感を感じます(+_+)
ミカス Post author
ジャスミンさん
わかります。
年を取るにつれて身だしなみに無頓着になっていく人は多いような気がします。
母も、入浴を面倒がったり、黙っていると同じ服を続けて着たりしますから。
本人の気持ちを傷つけることなくうまく誘導できればいいのですが。
デリケートな問題だから難しいですよね。
どうしても、若く、もっと元気だった頃の親と比べてしまうから辛くなりますね。
ジャスミンさんの気持ち、よくわかりますよ。
お1人で頑張り過ぎないように。
問題があれば、専門の方に相談することも考えてくださいね。
ぺるそな
ミカスさん、こんにちは。
私も親に疲れている一人です。
母がパーキンソン病になってしまい、父が老々介護をしています。身体機能は日によって波があるのですが、要介護4の判定です。
それに加えて妄想がひどく、しょっちゅう電話をかけてくるので、電話がなると動悸がするほどです。妄想も色々タイプがあるようなのですが、母の妄想は男女関係。遠縁の○○は父の愛人だ、子供まで産まれている、最近自分とは全然してくれない、等々、本当に嫌です。母自身が今父に頼り切って生きている、という現実とそのことへの不安がそういう妄想を生んでいるようです。
母は自分の不満や不安を私に聞かせるタイプの母親だったので、私は子供の頃から兄も弟も知らないような大人の事情みたいなことを知っていました。「ぺるそなには何を言ってもいい」と言う認識があるのは確かで、父が出かけたりすると「待ってました」という感じで豹変します。父がいた時の弱々しい態度とは打って変わって、変な目つきをして父の外での性的なアクテビティを私に訴える母を見ていると、「こういう病気になってしまった人が生きていくための術」として俯瞰的に見れば感心することもできますが、血の繋がった人間としては嫌悪感の方が圧倒的で、毒でも飲まされたような嫌な感覚が後々までも消えません。先々週に手伝いに行った後は解毒にだいぶ時間がかかりました。
同居しているわけでもないのに、ヘタレです。
ミカス Post author
ぺるそなさん
ヘタレなんかじゃありませんよ。
それは本当に辛いはずです。
疲れて当たり前です。
嫌悪感を持って当たり前です。
実は、うちもちょっと似たような状況です。
母は妄想はないのですが、元来夫婦仲が悪かったので、今になって時折母が父に対する不満を爆発させます。
これまでに父がどんなことをしたか、それに対して自分がどんな思いをしたかを非常に興奮したキツい口調で私にまくし立てるのです。
今となってはどうしようもないことをそんな風にぶつけられても、こちらは答えようもありません。
状況は少し違うものの、ぺるそなさんのお気持ちは痛いほどわかります。飛んで行って抱きしめてあげたいくらいです。
ぺるそなさん、その辛さをそっくり吐き出せる相手はいますか?
私は妹にぶつけては、2人で母への不満を言い合います。親の悪口なんて!と思う人もいるでしょうが、そうでもしなければ自分の心と体を守ることはできません。
ぺるそなさんにもそういう人がいればいいのですが。
もしお母様に妄想による極度の興奮や暴言などの症状があるようなら、お医者様へ相談するのも一つの手だと思います。薬である程度抑えることができる場合もありますので。
親子だからといって、優しく受け止めるのにも限界はあります。
受け止められなくて当たり前です。
どうか、それこそ罪悪感を抱いたりしませんように。
まずはご自分の心と体を一番大切にしてくださいね。
ぺるそな
ミカスさん、こんばんは。
優しい言葉、嬉しいです。ありがとうございます。
ミカスさんもお母様の娘への気遣いの一片もない感情の吐露に困っていらっしゃるのですね。しかもミカスさんはお母様の感情(怒りかな?)の対象人物ですらないのですからどうしようもないですよね。そして妹さん、良い理解者なんですね。共に怒ってくれる、なんてサイコーです。
私にも話を聞いてくれる人はいます。夫と高校からの付き合いの友人です。
夫の言うところの「ぺるそなのおかんの妄想劇場」については、夫は面白がって不謹慎な相槌を打ちつつ聞いていますが、私には
「なるべく母からの電話には出るな、父へも親孝行しようとか思い過ぎるな」などの具体的な対応策を意見します。
一方、友人に聞いてもらう場合は、彼女の困ったお母さんの話を聞くのももれなくセットで「どの家にもあることだよ〜」と言う感じの共感型のセッション?です。
先日ミカスさんからのコメントを読んでいて気づいてしまったのですが、私はどうも母の妄想の浅ましさ(最近はおぞましいくらいに進化しています。私が父の愛人になっていて子供を産むそうです。「体調(妊婦としての)はどうですか?」という留守電がしょっちゅう入っています。)だけがそんなに嫌なのではないかもしれません。
もちろん「……」となる妄想ですが、介護される弱者だからこその庇護してくれる人への執着心や独占欲が醜い形で表現されているわけで、ある意味人間らしい、とも言えないこともないかな?と思うのです。
うまく言えるかどうか分からないのですが、私が嫌なのは、そういう父の不在時を狙ってするような話が「母娘でする女同士の話」という括りになっていて、ぺるそながそれに参加するのは当然である、という母の認識のようなのです。話の終わりに必ず母は
「この話は兄や弟には言わないでね。ぺるそなだから言うのよ。」と言うようなことを言うのですが、それを聞くときが多分私の中では、嫌悪感や無力感や後悔、などの様々なネガティブな感情にノックアウトされる時のような気がします。
この感情をもっとずっと見つめていくと、ちょっとヤバい方向に行ってしまいそうですね。
あ、全然関係ないですけど、私厚揚げはよく食べます。お豆腐とお揚げを入れて煮る場合→厚揚げ投入、炒め物にお肉を使いたくない場合→厚揚げ投入、と言う感じです。
ミカス Post author
ぺるそなさん
こちらこそ、お気持ちを聞かせてくださってありがとうございます。
ぺるそなさんが思いを吐き出すことができる相手がいるとわかってほっとしました。
ひとりで抱えるにはあまりに重いことですものね。
「親孝行しようと思いすぎるな」という言葉は本当に重要だと思います。
私が言う罪悪感も「いい子供なら親のためにもっとやらなきゃいけない、やれるはず」という自らが自らに課すプレッシャーから生じているものだと思うのです。
でも、絶対に限界はあるはずなのです。
だから、それを認めてくれている「親孝行しようと思いすぎるな」という言葉は、介護や親との対応に苦しむ者にとって本当に大切な救いの言葉だと思います。
「母娘でする女同士の話」、ぺるそなさんが言わんとしていることは分かります。
おそらく、母親との関係に苦しむ娘の多くは、母親のその認識に潜む「無意識の毒」にやられてしまっているのではないかと思います。
確かに女同士ではあるけれど、基本は親と子なのだということを母親たちは忘れてしまうのでしょうね。
大人になった娘を、何でも聞いてくれる女友達、でも友達よりも深い関係だから友達よりも深い感情をぶつけてもいい相手と思っているのかもしれません。
よしんばそうだとしても、私たち娘のとらえ方はやはり親なのです。
あちらは身近な存在だからどろどろした感情すらも隠すことなくぶつけるのでしょうけれど、こちらは身近な存在だからこそ受け止めきれないのです。
もちろん、すべての母娘がそうだというわけではないでしょうけれど。
見つめ方によってはたしかにヤバい方向へ行ってしまうかもしれませんが、見つめ方によって救いになるかもしれませんよ。
この感情に蓋をしてしまうのも、いつかまとめて暴発してしまいそうで怖いですから。
少しずつ向き合ってみましょう。
厚揚げ、お肉代わりに使うのはよさそうですね。
いろいろな料理に挑戦してみようかな。