傘がない。
『都会では、自殺する若者が増えている』
井上陽水がそう歌ったのは1972年、僕がまだ小学生の頃だ。
学生運動が退廃的なムードを醸し出し、しらけ世代を言われた頃に『傘がない』を収録した陽水のアルバム『断絶』はリリースされた。社会問題よりもなによりも、恋人に会いに行くための傘がないことのほうが大問題だと陽水は歌ったのだった。
僕が初めてのこの曲をちゃんと聞いたのは、中学生になってしばらくしてから。友だちの家に遊びにいくと、そこの兄ちゃんが陽水ファンでアルバム『断絶』を聞かせてくれたのだった。
正直、驚いた。恋人に会いに行くための傘がない、というだけのことを、こんなにも切々と歌い上げるなんて、なんて女々しい奴なんだと思った。そして、こんな女々しい歌を真剣に歌うなんて、なんて面白いんだと思ったのだった。
さて、井上陽水の話ではないのだ。本当に傘がない、という話。
神楽坂の事務所から近い飯田橋のタリーズ。昼飯を食べ、お茶でも飲もうとタリーズに立ち寄ったのである。秋雨の降る日に。
いつも僕は折りたたみ傘かビニール傘を使うようにしている。最近はビニール傘を勝手に持って行くような奴も多いので、傘立てに傘を入れるのがとても怖いのだ。だから、なるべく折りたたみ傘を持つようにして、どこかに入るときには折りたたんで店内に持ち込むようにしているのだ。そして、ビニール傘の場合は「もう、盗まれてもいい」くらいの気持ちである。それでも、盗まれた、という気持ちを味わうのが嫌なので、なるべくビニールの傘入れなどを使って店内に持ち込むのだ。
しかし、その日、僕が持っていたのは骨が12本のちょっと良い傘で、なんとなく「こんな傘を持っていく奴は逆にいないだろう」という甘い気持ちがあった。それで、僕は一瞬ためらった後に、傘立てに傘を立ててタリーズに入り、三十分ばかりコーヒーを飲んで出てきたのである。
そうすると、見事にない。似たような傘さえないので、探すようなそぶりをする必要もない。ただただ、ない。しばし、傘立ての前でぼんやりしてしまうほど、見事に僕の傘はなくなっていたのである。
一緒にコーヒーを飲んでいた僕の事務所のデザイナー女子は、僕よりもわなわなと震えながら、「人の傘を盗むなんて、ろくなもんじゃない」と怒気を含んだ声で言う。でも、僕はなんだか本当に呆然としてしまい、なんとなく地面と足の裏に1センチほど空間があるかのように、ふわふわと歩いている感覚になっていた。
いやいや、僕も今までにビニール傘を盗まれたことはある。あるけれど、今日みたいにちょっと良い傘を盗まれたのは初体験だったのだ。そのことのショックに加えて、久しぶりに傘を盗まれたという事実に、僕は軽くやられてしまっていたのだと思う。正直なところ、僕はタリーズの傘立ての前で、少し泣きそうだった。
それほど雨も降っていない。なんなら、小走りで地下鉄の入り口を降りていけば、傘などいらないくらいの小降りの雨。それでも、人の傘を盗んでまで行くのかと思うと、なんだか背中がざわざわとしてしまったのだった。
もともと、ちょっとくらいの雨なら、僕は傘を差さない。「フランス人だから」とギャグで言っているけれど、本当のところは傘を差すのも邪魔くさいし、今回のように傘を盗られたりしたら、ショックを受けるから、というのが本当の理由だ。
例えば、喫茶店でコーヒーを飲んでいるときに、急に土砂降りの雨が降ってきて、店の人が「いろんなお客さんが置いていったビニール傘があるので使ってください」と言われれば僕も傘を借りるかもしれない。でも、それと今回のは違う。完璧に窃盗だ。
しかも、それが小さいのが本当にいやだ。盗るときにだって、持ち主本人さえ見ていなければ、絶対に犯人だとはばれない。ばれたところで、「間違えました」と言えば済む。そんな小さな悪事だから、余計にがっかりするのかもしれない。
幼稚園のころ、近所に住んでいた友だちのミニカーを勝手に家に持って帰ってきたことがある。その時、僕は泥棒だとか全く考えずに、ただただ友だちのミニカーで、もう少し遊びたい、という気持ちで、隠しもせずにミニカーを手に持ったまま帰ってきたのだった。ちゃんと覚えているのだが、友だちも、そのミニカーの話をしながら見送ってくれたので、彼も盗まれたとは思っていなかったと思う。言ってみれば、なんの会話もないまま、僕は友だちのミニカーを借りたような気持ちだったのかもしれない。
それを見て、激怒したのが父だった。友だちのおもちゃを勝手に持って帰ってくるだけで泥棒だ、と父は僕を平手打ちにした。僕が泣いて謝っても許してくれなかった。そして、「○○君も僕がミニカー持ってたこと知ってるねん」と言っても「言い訳はいらない」とまた平手をくらったのだった。
いま思うと、それほど裕福ではなかった父は、立派なミニカーを持っている友だちの家に遊びに行くだけでも、良い気持ちはしなかったのだと思う。そして、そのおもちゃを借りてくるほどに欲しがる僕自身に、腹が立って仕方がなかったのだろう。
いまになると、父の気持ちはよくわかる。そして、少しでも「盗んだ」と思われるような行動は許せなかったのだろう。僕はそのまま引きずられるように、友だちの家に連れて行かれて、ミニカーを返させられたのだった。
以来、僕は人のものなど盗ったことがない。雨が降って自分が濡れるのが嫌だからといって、人の傘を盗ろうなんて思ったこともない。でも、それがまかり通っている世の中だということは知っている。たぶん、それを知っていることが、たかだか傘を盗られたくらいで、僕がこんなにへこんでしまう理由なのかもしれない。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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okosama
uematsuさん、こんばんは…。
お父様のお気持ち、よく分かります。
子育てしている間は、そういう事には本当に気を配って、自分んちの子供も他所のお子さん達も見てましたね。
傘、本当に残念でした。
今もそういう人がいるのですね。
え?どうしたんやろ…。て呆然としますよ。
私もとあるスーパーマーケットで、良い傘を盗られた事があります。まだ傘袋のサービスが行き渡っていない20年程前のことです。
雨でも出かけるのが楽しくなるように、子育て中の気晴らしにと、買い求めたものです。珍しい色で、柄に名前を彫ってもらいました。
後日同じ店で、同じ傘をカートに掛けて買い物をしている人を見つけました。こっそり近づいて見ると名前の部分にやすりをかけてあるんです。なので、自分の傘かどうか分かりません。でもなぁ…普通、持ち手にヤスリかけます?
それ以来そのお店に行くのをやめました。
今、手持ちの良い傘は折りたたみ傘です。
uematsu Post author
okosamaさん
やすり…、すごいなあ。
やすりがかけてあるって…。
あかん、短編が書ける。
人間の出来心とか、諦めとか、
憎悪とか、開き直りとか、
いろんなものが、名前にやすりをかける、
という行為に隠れてそうですねえ。