夏から冬へ
先月は夏休みで「なんかすごい。」はお休み。その間に夏は駆け足でやってきて去り、というか、やってきたっけ?
7月の記事では、「寒くて雨ばっかり降る」と書いていた。9月18日現在、季節はもはや冬の入り口である。先週は最低気温がまさかの3度を記録し、朝、屋根に霜が降りていた。信じがたい。
とはいえここのところは秋らしい晴れの日が続いて、昼間は「セーターやカーディガン一枚はおってちょうどいい気温」だ。春秋のよさってこれこれ、この気持ちよさだよなあと思い出す。
ここ10年ほど日本では、春はあっというまに夏日になってしまうし、秋はいつまでも残暑厳しいままで、季節がうつっていくときの、つかのまの木漏れ日のような日々はすっかり希少なものになってしまった。昔のアルバム写真を見ると、子ども時代のわたしたち姉妹は、セーターやベストにスカート、ハイソックス姿で外を飛び回っている。
とはいえ、真夏だろうとなんだろうと、おかまいなしに寒い日がやってくるのがイギリスという国らしく、8月末にすでにセーターを着ている人を見かけたときは「季節感!!!」と詰め寄りたくなった。そして半月経ったいま、わたしもほぼ毎日ニットのカーディガンを着て仕事に行っている。しかしその隣では、マネージャーがTシャツ姿でうろうろしており、「寒くないの?」と思わず聞いたところ、「寒いってなにが?おれは北方人(Northerner)だぞ、寒いわけあるか!」といばっていた。好きにしてほしい。このように、町なかで信号待ってる人たちが、かたや半袖、かたやダウンというのが、わが町の日常の光景となっている。
わずかな夏、人々は競うように服を脱ぎだす。18度を超える晴れの日は基本的に夏日と認定されるようで、アイスクリーム・ボートが川べりに出現し、ノースリーブやワンピース姿のにんげんたちがカフェや緑地で頻繁に目撃されるようになる。最初は「クレイジー…」と思っていた彼らの生態も、だんだんこちらの気候に慣れてくると、「20度超え=暑」と感じるようになってくるのがふしぎだ。何より彼らの気持ちがちょっとわかるようになってしまった!だって、このチャンスを逃したら、せっかくの夏のワンピースを着る機会がもうないかもしれない(比喩ではない)。さほどの天気ではないと思って外出してみたら、途中でパーッと陽が差してきて気温が上昇したときの、「ああ、しまった!」という気持ち。それだからみんな、当てが外れて寒い目にあっても、チャンスを逃さない方にかけるんだな。
夏をまんきつしたい!という気持ちを反映してか、ワンピースの柄は明るく華やかなものが多い。花柄、水玉にギンガムチェック。セクシーなスタイルと、ノスタルジックでモデストなデザインと、好みは大きく分かれるようである。わたしはだんぜんノスタルジックなほうが好き。若い学生たちは、シンプルでスポーティなおしゃれが主流。
そして秋の気配が漂いだすと、パタンと札がひっくり返るように、中間色が溢れ出す。レンガ色、栗色、淡い冬の空のような水色、白、灰、黒のグラデーション。「ジャンパー」(こちらではニットのセーターのことを「ジャンパー」とよぶ、ふしぎ!)の季節の到来である。チャリティーショップなどで買ったと思われるノルディック風「ジャンパー」を着ている女の子たちはほんとうにかわいい。わたしもつい、青×白のスコティッシュ柄カーディガンと、紫のチェックのウールスカートを買ってしまった。
ヨークは、北部の主要都市ではあるけれど、じっさいには中心部から20分も歩けば緑が広がるちいさな田舎町で、こういう、いかにもな、ちょっと野暮なかんじがすごくしっくりきて私は好きだ。
朝、窓にうっすら結露ができて、玄関をあけると冷気とともに、わずかにカビ臭いような、何かを燃やしたあとのような匂いが朝もやの中に漂っている。冬がくるな、と鼻腔が知らせる。その匂いをかぐと、義母の島の家を思い出し、わずかな罪悪感とともに、ここに住んでるんだなあ、と思う。去年もそうだった、わたしにとって、ほんとのイギリスはいつも冬である。
<おまけ>
秋は「Season of mists and mellow fruitfulness」(by John Keats)というわけで、オットは近所で実っていた野生のりんごをもいできてジェリーを作った。その写真を載せないの?と横から言ってくるもので(自慢らしい)、以下はオット提供の写真です。
By はらぷ