【月刊★切実本屋】VOL.90 『雪夢往来』
十代なかばの三年間だが、雪国で暮らしたことは特別な経験だった。
それまでも同じ福島県内在住だったので雪を知らなかったわけではないが、会津の、特に高二の大雪の冬を知ってからは、それ以前の雪の思い出や苦労などが根こそぎ上書きされてしまい、以降も今日まで書き換わっていない。
雑貨屋兼タバコ屋を営む祖母の家に住んでいたわたしは重要な雪かき要員で、主に夜間担当だった。それまで住んでいた強風のメッカの福島市と違って、会津は風はあまり強くなかった。雪は、風に舞うというムダな動きをせずに真っ直ぐ真面目に地上に落下し続けた。そして、雪かきが進捗して店の前の雪が少しハケたと見るや、屋根の雪がこれまた真面目にどさっと落ちてきた。まるで在庫を補充する優秀な備品管理課職員のように。「わんこそばじゃないっつうの!」と毒つかないとやってられなかった。
雪の夜は案外明るく、ひたすら静かだった。雪は音を吸収するのだと実感し、そのうち自分も雪に吸収され消えてしまうんじゃないかと思った。祖母の家は女子高生の下宿屋もやっていたので、下宿生が雪かきに参戦することもあったはずなのだが、なぜかひとりで黙々と作業した記憶しか残っていない。好きな男子のことを思い浮かべたり、将来の夢やあらぬ妄想に浸りながら、表面上は黙々と目の前の雪をかいた。
始める前は凍えるほど寒くても、しばらくすると防寒着の中が発熱しだし、じきに汗をかいた。雪をかくと汗もかく。そしてやたら鼻水が出る。小一時間も過ぎると、祖母が窓から顔を出し「終わったらすぐ風呂に入っせよ!」と言った。ねぎらっているんだか急き立てているんだかわからない物言いだった。そう、祖母は、言葉なんかではなかなか気持ちが読めないバアサンだったのだ。
雪は捨てる場所に事欠くほど降ったし、水道管は凍るし、家中が湿気るし‥冬の会津は生活全般が不便極まりなかった。でも、会津の人々は、雪のない季節をとりたててありがたがる風でもなく過ごしていたように、冬になり暮らしの負荷が格段に上昇しても、わかりやすくはやさぐれもせず淡々と日常を送っていた。雪で学校が休校になることも、祖母の店の物流が滞ることもほとんどなかった気がする。諦観だか達観だかよくわからない平常心の人たちに対して、これが雪国のあたりまえの暮らしなのだなあと、畏敬の念のような、我慢強さに呆れるような気持ちになったものだった。
というようなことを、『雪夢往来』(木内昇/著)を読んで思い出した。
『雪夢往来』で描かれるのは、現在の大河ドラマ「べらぼう」の主人公である蔦屋重三郎が亡くなった直後あたりからの江戸の世だ。『北越雪譜』という書でその名を知らしめた鈴木牧之の、執筆から刊行までの長い年月が描かれている。
雪国越後の縮(ちぢみ)仲買商・鈴木儀三治(のちの牧之)は、商才に長け、親から引き継いだ店を繁盛させ大きくした男だが、文才も画才もあった。‥いや。彼は書くことに拘泥、執着する自分を若い頃から自覚していたからこそ、商売に結果を出すことにこだわったのだ。負い目なく執筆するための処世術だ。
儀三治は、若い頃に一度行った江戸で、町の人々に越後の冬の生活がまったく知られていないばかりか、説明しても信じてもらえない体験をし、雪の説話を執筆する。つてを探し、説話は、かの山東京伝の目に留まるのだが、出板(板行)されるかと思いきや、板元や仲介者の事情で頓挫し放置され、曲亭馬琴のもとに持ち込まれることになる。でも話はいっかな進まない。
説話は、京伝と弟の相四郎(京山)と馬琴の確執にも翻弄され、仲介者の度重なる死などもあって、以後も世に出ない。もどかしいこと、この上ない展開だが、視点が儀三治、京伝、馬琴、相四郎と推移し、それぞれの人生、執筆への思い、人間模様‥などが幾重にも膨らみ、もつれ合い、それで心の内が露わになってくるのでまったく飽きない。嫉妬も打算も底意地の悪さも描かれる人間臭い物語だが、なぜかイヤな生臭さは鼻孔に残らない。そこが木内昇だと思う。
木内作品を読むたびに感じることだが、素晴らしさを言葉にすることが難しい。今回も、山東京伝という明らかな天才は登場するものの、主人公の儀三治をはじめ、人物はほぼ地味だ。渋い。だからこそ、長き苦労ののちにわずかな隙間からようやっと挿し込む陽の目の輝きがまぶしく「映える」とも言えるかもしれないが、作者は必ずしも、苦汁をのまされ続けてもへこたれない人間を描こうとしたわけでもないと思うのだ。人はへこたれる。そして天才といえども満ち足りてはいないし、努力の末に盤石な地位を築いたように見えても本人に盤石感はない。そのあたりを描くのが本当に上手い作家だと思う。
誰の人生も移ろうしままならないのだ。だからといって生きる価値がないわけではないが、価値など、生き切ってみなければ、いや、生き切ってもわからないのかもしれない。だから、ことさら自分の人生を蔑まず、逆に劇場型に演出したりもせず、些事に一喜一憂しながら、同時に、晴れにも高ぶらず(ちょっとははしゃぎたい)、永遠に続くような雪空にも絶望せず、お迎えがくるまで生き続けるしかないのだ。老境の儀三治が「そもそもは書くことで心くつろいだのだ」と気づけるような、そんな、何か心くつろげるものに気づく人生を模索しながら。
なんてな。思うは易し、行なうは難しだ。今日も今日とて、へこたれたり、「ああ、めんどくさい」と対象すら不確かなのに口にしかけている。でも、まあ、あの雪の夜に雪に吸収されて消えてしまわなかった自分は、みっともなくてもしつこく消えないで居ろってことなのかもと、『雪夢往来』のおかげで、あれからほぼ半世紀経って思い起こし、妙に心強く思ったりしている。
by月亭つまみ
爽子
こんにちは。
やっと「水車小屋のネネ」を読んでいます。
つぎは、コレ、行ってみます。
よけい寒くなりそうやわ~~。
もう、1月が終わっちゃいますね。
いろいろ思うに任せないことありますが、ぽっと灯がともったよな明るいきぶんになるものを少しづつ探しながら、食べて寝て起きて、暮らしましょう。
ひとにはよく「趣味が多くていいね」と言われますが。
どれも「これ」と思うものがないんです。
コレ一筋が見つかることはあるのだろうか。
思う存分書き物を楽しめるように商売にせいをだした気持ちわかります。
わたしはなまけものなので、家事すらいい加減です。(すみません)
つまみ Post author
爽子さん、早々にコメントありがとうございます!
『雪夢往来』、ぜひぜひ!
意外と寒くはならない気がします。
『水車小屋のネネ』は、最初の方はため息が出そうになるかもしれませんが、ぞの先は違うのでよろしくお願いします。
そうですね、1月も終わっちゃいますね。
こんなもの12個で一年かとゾッとしてます。
そうか。私などから見ると、爽子さんは「これ」と言える趣味を見つけた人のように思っていましたが、模索中なのですね。
でも、そういうものなのかもしれませんね。
私は、寝食忘れても‥とは何につけならない気がしますが、やっぱりなにかに夢中になる時間はいいなあと何巡かして思ったり。
ホント、自分を少しでも上機嫌にさせる暮らしがいいですねえ。