そこそこの「美貌」は、取り扱いがむずかしい。とくに本人にとって。
東京都議会のヤジ事件は、多くの女性たちに「状況は違うけれど、似たような経験」をしたことを思い出させるんじゃないでしょうか。
わたしなら、「たちの悪い中高年男性が出来上がっている居酒屋にまぎれ込んでしまい、イヤだなあと思いながら連れとまじめな話をしていると、遠くからいきなり『何、えらそうな話してるねん、おばはんが。アホか!』と言われてしまう」ような状況が思い浮かびます。そこまで露骨なヤジを飛ばされたことはないですけど、でも、一部の心ない男性に「いきなり侮辱されるかもしれない恐怖感」を感じることがあるのは事実。
女性が何か目立つことをしたときに運悪く、ぶしつけで下品な男性に遭遇することがあります。このとき「何やってんだよ、ブスが!」と言われるか、「あれ?結構かわいいじゃん❤」と言われるかは、その後の女性の人生を大きく左右するんじゃないでしょうか。
わたしは前者だったので、若いころは、「かわいいっていいなあ。美人に生まれたかったなあ!!」とうらやましく思っていましたが、最近、いや、本当にそうなのだろうか?と考えるようになりました。
今回の女性議員のはかなげな身の処し方や、リケジョの星として騒がれた女性研究者の立ち居ふるまいを見ていると、「そこそこの美貌を自分自身が取り扱うことの難しさ」を感じるからです。また、「かわいいじゃん」と評されるレベルの「そこそこの美貌」によって与えられてきたであろう加点は、本人がそれを求めたか否かに関係なく、やすやすと奪われ、好奇の視点にすりかわっていく。美貌でさえも「劣化」というレッテルが、すぐそこにニヤニヤとしながら待っている。人生の武器として期待するには、リスクが高すぎる!
女性をその属性によって安易に侮辱したり、外見的な美醜をことさらに言い立てる男性たちは、やたらと声が大きいので常に目立ちますが、権威に弱く、虚勢を張る人が多いように思います。最後は、長いものに巻かれるので、さっきまで「ちやほやしていた」のに最後は守ってくれない。今回も、隠れていますもんね。
takeume
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#yesallwomen
今回の騒動を見ていて、これもその一種だなと思いました。
いまねえ
なにやら「名乗り出た」ようですが、完全に名乗り出るタイミングを逸したという意味でも
大醜態をさらしているようですね。。これから観るニュースで報じられるその姿。。奥さんも子供もいるというのに。。
ヤジをとばした本人もさることながら、それに同調して笑い声を上げた男達、
倒れた相手の背中を足蹴にするようなとどめの刺し方、自覚もないのでしょうが
より傷は深くえぐられると思うのです。
それにしても一連のやじ、議長には聞こえなかったのですね。。