「大学生の娘が彼氏と旅行でそっちに行くから、頼む!」と言われて自立について考えた。
ちょっと前でしたか。小さい子どもにつけるリードが話題になりましたね。わたしは、実際には使っていなかったけれど(なかったから)、子育ては「リードの長さ延長問題」だなとずっと思ってきました。
乳児のころは、リードもなにも、ともかく抱くしかないのですが、その後、犬のリードぐらいになり、5メートルぐらいになり、10メートルぐらいになり、1キロになり、5キロになり…と「子どもと親を結ぶ目に見えないリード」の長さはぐんぐん伸びていきます。中学生や高校生になるとその距離はもっとずーっと長くなりますが、まだ、リードの端は、親が、その手にかろうじて握っています。ここぞというときには、グイッと力を入れて引き戻すつもりで(できるかどうかはともかく)。
そのリードを、いつ、切るか。
子どもがひきちぎるのか。
自分が自分の手元で切るのか。
なんでこんなことを書いているかというとですね、先日、友人から電話があって
「大学生の娘が彼氏と大阪に旅行に行くんだけど、ホテルはここだからさ。なんかあったら、よろしく」と言われてぶったまげたからです。
「は?どういうこと?」
「いや、もしなんかあったら」
「なんかあったらって、なんかあるでしょ。フツー。そのための旅行でしょ」
「うーん。あるかなあ」
「しかも、ろくに知りもしないおばちゃんに親が勝手によろしく頼んでも、
娘さん、迷惑なだけでしょ。ってか、わたし、頼まれてなにすんの?意味、わからん」
なんか、そこから「ほんというと、もっと、いい大学の男の子とつきあってほしい」という話になったので「ああ、ああ。そんなこと言ってると『あのときのあの人が一番よかったねえ』ってことになるよ」と言いました。
リードを切る、って
テープカットみたいに
麗々しくカッコいい儀式じゃなくて
「失望」を黙って受け入れることなのかもな。
ガックリを受け入れ、
ションボリを受け入れ、
言葉をのんで黙っている。
思えば、わたしもずいぶんと
親をガッカリさせました。
自立とは、ガッカリさせることなり。
これって、あらゆる自立に言えるんじゃないでしょうか。
nao
親には、子どもにいつもずっと先にある最高の幸せになって欲しいような
強迫的な欲求があるのではないかしら。
はえば立て、立てば歩めの親心で。
でもこれって親の欲求であって子のためになるかどうかは二の次だし
それに自覚的にならないと、子には負担でしかなくなるような。。
そんな順調に進歩し続ける人間なんていないのなんかわかっているのに
どうしてか我が子にそんな欲求を、、やっぱり私も持ってしまうんですよ。
mity
ガックリをうけいれ
しょぼんを受け入れ、
言葉を飲んで黙っている。
笑ってしまいました。年代的に私も、周りのもこういう人わんさかいます。
なんだかとってもかわいいんですけど~。