振り回される日々に、あらゆる知恵と生活技術が詰まっている。
あたりまえですが親が存命であれば、自分が若いと親も若い。若者の自由は、親の若さによって支えられています。
もちろん若者もいろいろ悩みが多くて大変ですが、それでも多くの人が比較的、自由に行動できるのは「親が若い」からでもあります。
先日、40歳で子どもを産んだ友だちは、認知症のお母さんをグループホームに預けてほっとする間もなく、高校1年生の娘さんに「学校に行きたくない」と泣きながら悩みを打ち明けられたと言っていました。親の介護と思春期の子育てという問題にダブルで直面するのはものすごくヘビーです。でも、遅めに子どもを産んだ50代女性には、そのふたつの時期がちょうど重なってしまうことがしばしばあります。
一概にはいえないけれど、40代が「自分自身も老いるのだ」という心とカラダの変化にふりまわされるとしたら、50代は、親をはじめとした近しい人々のあれこれにふりまわされる時期といえるかもしれません。
わたしの友人たちも、このウェブマガジンOver40(オバフォー)のメンバーも、50代の人たちは「自分以外の家族のケアをする」ことに時間と心と体力を割いています。そうか。50代は、そういう年代なんだな。ちょっと考えれば、不思議でもなんでもないのですが、かつては思いもしませんでした。いま、50代と書いたけれど60代の人もそうかもしれません。
いま、「ふりまわされる」という雑な表現を用いてしまったけど、それは日常のあらゆる雑務を含んだ営みの蓄積なのですよね。わたしのまわりの人たちは、みんな愚痴りこそすれ自慢しないけれど、その営みのなかに突発的に起こる事態を受け止める度胸、ふみこたえて日常を続ける度量、一つ一つを裁いていく技量、自分がつぶれないためのリスク管理などあらゆる知恵と生活技術が詰まっていると感じます。きっと、わたしにもちょっとはあるでしょう。
今日、わたしは、どんな営みを蓄積して一日を過ごすのでしょうか。そして、これを読むあなたは、どんな営みを蓄積し、どんな思いを心のなかで言葉にして過ごすのでしょう。その言葉には、どれぐらいの嘆きや呪詛がまじり、どれぐらいの喜びや感謝が混じるでしょう。
明暗・善悪・好悪・美醜の感情がまじりあった一日。その日々の連なりである一週間が、はじまりました。時間のあるときにオバフォーに遊びにきて、同じように「まじりあった一日」を過ごす私たちを感じてください。
今日は、プリ子さんの「ただいま、閉活中」が更新されています。「うっとり」っていい言葉だ。一日のまじりあう感情に微量の「うっとり」を、プリーズ。
カレー記念日、執拗にプッシュしていますが、ツイッターのフォローを熱くおすすめしています。そして今日のカレー短歌もどうぞ。投稿、お待ちしています。
パプリカ
カリーナさん、
こんにちは。お久しぶりです。
今日のエントリー、
いいね ❌ 100
言葉にならないモヤモヤした感情を
因数分解のように、綺麗にすぱっと
まとめてくださって有り難うございます。
89歳の母を介護する日々ですが、
カリーナさんの言葉と
プリ子さんの言葉で、勇気でました。
うっとりは50代のビタミン剤
①ソフィアコッポラの椿姫を見たい
②GUのベロアのパンプス、2490円を買いたい
カリーナ Post author
パプリカさん
わああ。
いいね×100もいただけてうれしいです!
うまく書けていませんが
自分でも「本当にそうだよなあ」と考えながら書きました。
うっとりは50代のビタミン剤、ほんとうにそうですねー。
ソフィアコッポラの椿姫、いいですね!
生で、ローマで見たら、余計すごいだろうなー。
GUのパンプスですか。わたしもチェックします!