「我慢する」より、「伝える」ほうが難しいね。
人に何かを教えたり、こうしてほしいと伝えたりするのは、教壇に立たなくても日常生活のさまざまな場面で必要とされます。
職場などももちろんそうですが、家庭のなか。家族の間でもたくさんの「こうしてほしい」がある。たとえば、使ったヘアアイロンが冷めたらちゃんとしまえ、犬の足を拭いたタオルは洗って干しておけ、リビングで勉強した教科書はテーブルの上に置きっぱなしにせず自分の部屋に持っていけ、なんなら自分の部屋で勉強しろ…など。
以上は全部、わたしが娘に言いたいことですが、「あ。ヘアアイロン出しっぱなし」と思った瞬間に、それを伝えようとすると「ちゃんと片付けて!」というプンスカした口調になり、毎度毎度のプチ怒りとしてしか伝わらず「はーい」と流されます。まあ、言わないより言ったほうがいいけど、究極の目標は「ヘアアイロンは常に本人の手によって片付けられている」状態になることなので、その実現は遠いまま。
家族が多いと、さらに複雑化しますよね。家事の主体となる人は、「ああ。また散らかってる」「おいおい、何もしないのか」「これぐらいやってくれてもいいだろう」「いつもわたしばかりだ」という残念な現象に頻繁に遭遇し、その度にプンスカするエネルギーもなく、「ちっ」と思いながら、イラつきながら、怒りや不満を飲みこんで黙ってやってしまうことが多いです。
「こうしてくれ」という要望を伝えて相手を導く努力より、不平・不満をため込みつつ自分でやるほうが簡単なのです。
「我慢する」という難しいことをしていそうですが、実は、そっちのほうが楽だし、難易度的にも簡単なんですね。黙らす相手は自分だから。
「こうしてほしい」をしっかりと伝えて、相手からその行動を引き出そうとすると、そうしてほしい理由、そうしたほうがいい利点、そうしない場合の不便や苦労に加えて、それを忘れずに実行できるコツなんかも教えないといけない。そして、一度でわかってもらえる保証はない。というか、ほとんどの場合、わかってもらえない。伝え続けて、何年もたって、相手にも転機があってはじめてわかってもらえることもある。いずれにしろ、気の長い話なのです。
ほんと、誰かに、何かを教えたり、伝えたりするのって継続的な努力と根気が必要ですなあ。
でも、これをやらないと、いつまでも「やるのは、いつも私ばっかり」になってしまうんですよねえ。「教える」ことや「伝える」ことを面倒くさがらない努力しようと思います。
オバフォーは、今週もコツコツ更新しています。カレー記念日、今週は、Janeさん。もんのすごいわかります!
ふくっぺきょん
娘が居なくなってからの「ぱなし人間」との生活はストレスの毎日です。でも、おっしゃる通り自分でやった方が早いし、楽です。特に還暦過ぎた相方に要求するのは諦めました。育った環境の違いって大きい!