侮れない。家の「細かな修繕」というハードルの高さ。
こんにちは、カリーナです。
築40年を超えるマンションに住んでいるので、あちこちガタが来ています。これまで何も修繕していないわけではなくて、前の持ち主が水回りや玄関、廊下、リビングなどを大がかりにリフォームし、わたしも一昨年、部分的にリフォームしました。それでも、どこかしら具合の悪いところが出てきます。
今は、トイレのドアと台所の網戸の調子が悪いです。台所はベランダに接して一間ほどの窓があるのですが、その網戸がはずれやすいのです。よーーく見ると、築40年の間に、金属の桟の部分が削り取られ、薄くなり、少し欠けています。網戸をひっかける本体のほうが劣化しているという状況。
トイレのドアは、ノブの不具合です。開きづらいし、閉めづらい。いつかトイレに入ったとき、開かなくなって閉じ込められるのではないかという恐怖現象(完全に閉まらないようにドアノブにテープを貼っています)。
「修理を頼まないといけないなー」と毎日、何度も思っています。「でも、そもそもこんな旧式の網戸、今もあるのかな。管理組合に聞かないといけないな」ということも何度も思います。ドアノブは、一度リビングを修理したことがあるのですが、それを誰に頼んだか忘れている。「同じ人に頼みたいな。でも、誰だったかな。探さないとな」とこれも何度も思っています。
そしてです。なぜか「娘が帰ってからにしようかな」と思うのです。
娘が帰ったからといって業者さんを見つけるのもわたし、交渉するのもわたし、お金を払うのもわたし。すべてわたしなのです。別段、娘が帰っている必要はなし。
なのに、思う。
おそらくですが、「業者さんを家に入れる」ということには、一定のストレスや気遣いや面倒くささがあり(犬をウロウロさせたくないということも含めて)、その精神的な負担を「明日、業者さん来るからねー」などと言葉するだけでも軽減したい、誰かとシェアしたいという思いがあるのでしょう。
そして、考えます。
こうやって家は、あちこち細かい不具合が増え、それを我慢することが増えるのだと。「修理」や「修繕」は、家に他人を招くということも含めて実は非常に面倒くさく、精神的なハードルが高いため、ついつい応急処置のまま放置しがち。さらに「これがこうなったら」「これが落ち着いたら」「だれかがこうなったら」とかすかな依存心を含んだ仮定の期限を設けて先延ばしにしがちです。
しかし、住環境の快適さを侮ってはいけません。からだの健康と同じくらい、住環境の健康は、人生の質を左右するからです。
サクサクと修理を頼まなければ。いまの仕事が一段落したら。
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りかさん
築15年で購入したこの家に住み始めて早15年が過ぎ………
毎朝結露でべちゃべちゃになったサッシを拭きながら「この家も実家っぽくなってきたなぁ」と最近よく思います。
後何年住むのか分かんないこの家に
お金かける意味あるんかな、と
リフォーム費用が無い言い訳をしながら
ちまちまと何とかして生活してるのですが、
そのちまちまとした工夫がまさに
実家で親がしていたような事なんですよねー。
もーびっくり笑。
うちはその貧乏臭さを指摘する子供が居ないから、ますます加速していきそうでそれも恐ろしー。
カリーナさんが言うように健康を害しますもんね、辛辣な住環境は………
リフォーム代より高くつかないように気をつけなくっちゃ!
コロナが収まったらぜひオバフォーの皆さんに点検しに来て頂きたいです。
カリーナさん初めてメンバーの皆さん、
今年もオバフォー楽しみにしています。
アメちゃん
カリーナさん。
私、一人暮らしなんで、
普段からトイレのドアはきっちり閉めないです。
なんかの弾みで開かなくなったらたいへんですもんね。
あと、部屋のドアもきっちり閉めません。
なんか、密閉されるのがちょとニガテなのです。
業者さんが家に来た時に、気を遣ってドアをきれいに閉められたりすると
わざわざ開け直したりします。