「やる気」より「よき惰性」で、今日という日に何とかちょっとの実りを。
こんにちは、カリーナです。
何ごともそうですが、「やりたくてたまらないこと」ってそんなにないですね、人生。
「好きなことならできる」とか「好きなことのある人は幸せ」っていうけれど、「好きなこと」という大きなくくりのなかには、いくつかの「嫌い」やわりと多めの「好きというほどではない」ということが含まれているはずで、「好き」だからといって四六時中「やりたくてたまらない」わけじゃなかろうと思います。
わたしも「やりたくてたまらないこと」なんて、ひとっつもありません。
若いころは劇団を主宰していて、若気の至りですごく一生懸命だったから、きっと好きだったのと思うけど、そのせいで人生の計画が全然立てられず、つねに不安定で逃げたくもありました。
人生を、というと大げさだけど、毎日を機嫌よくしたり、少しいいものに変えるのは「やる気」じゃないんだなあと思います。
やる気なんてそうそう、出るもんじゃないし、体調が気分や結果や周囲の評価に左右されるし、何より持続性がない。「あのやる気、もう一度、出てこい!」と到来を待っていても、なしのつぶてで生あくびが出て時間だけが過ぎる。そのうちにすごくだるくなる。
やる気とだるさは背中合わせ。やる気を待っているうちに、だるさと懇意になって先延ばしがクセになったりして。
年とともに「やる気」より「よき惰性」や「ましな惰性」のほうがずっと頼りになると思うようになりました。冴えない顔をしているけど。ちっとも輝いていないけど。
惰性でも、手を動かしはじめると、「ここ、こうしておこうかな」とか「あそこはやっぱり、ああしたほうがいいな」とひらめくことがある。それは、小さな小さな「やる気」の灯だ。
…というわけで今日も惰性で書いてみました。
いま、日曜の午後11時。先延ばしせず、何とか書けたというだけで気分がやや晴れやか。
やる気がなくても、やったほうがいいという体験をまた一つ重ねました。
今週もオバフォーはコツコツと更新します。やる気はなくても時間のあるときに遊びにきてください(笑)。待ってます。
夕焼けパンダ
こんにちは。
いつも楽しく拝読しております。
今回の「やる気」と「よき惰性」は
大きく頷いてしまいました。
何だかうまく表現できないことをサラッと
言ってもらえた気がしてスッキリしておりました。
そしたら何と!
東大の脳科学者の池谷裕二さんも
同じような事をおっしゃってるではありませんか!
「やる気」は最初からあるものではなくて
やり始めてから「やる気」がでると。
やり始める「システム」が大切であると。
この「システム」こそが「よき惰性」なのねー。と納得。
いやぁ、カリーナさんすごい❤️
ままならない事が多い日常ですが
より良い惰性でご機嫌ならOKで
過ごして行きたいと思います。
まとまりのない文で失礼しました。
カリーナ Post author
夕焼けパンダさん
コメントありがとうございます!うれしいです!
脳科学者の池谷さん、ずっと昔にほぼ日の対談に登場されていたのを拝見した記憶があります。
私の「よき惰性」を「システム」と結び付けてとらえてくださって光栄です。
「よき習慣」というと、これまた「うん。習慣化が難しいのよね」と少しハードルが高くなるので
「惰性をちょこっとよいものに」…ぐらいがとっつきやすくていいなーと思いました笑
ふだん、何の気なしにしていることが
すこーし前向きだと毎日が好転していきますもんね。
良き惰性でごきげんにいきましょうーーー!