普通の声の大きさで言う「がんばろうね」を受け取って。
こんにちは、カリーナです。
昨夜は、去年11月に開いたオバフォー祭りの後夜祭&新年会ということで、メンバーや寄稿者のみなさん、祭りに参加くださった方がZOOMで顔を合わせました。
わたしは、毎度のことながら落ち着きをなくし、サービス精神が空回りしてしゃべりすぎる…という事態になり、そのせいで「もっとしゃべりたかったのに!」と思いつつ閉会を迎えた方が多かったのではないか、と反省しております。ごめんなちゃいね。
会の前半で、こんな話をしてくださった方がいました。
「オバフォー祭りが終わった後、参加した人と偶然3人で話しながら帰ったら、別れ際に『がんばろうね』と言われて、その言葉に胸が熱くなった」(ああ、ちょっと言葉が違う気がする!)と。
『がんばろうね』とさらっと言葉を発した方も、それを受け取った方も、どちらもなんて素敵なんだろう。言葉が一方的なものでなく、発する側と受け取る側の共同作業であり、その共同作業で、いくらでも「力のあるもの」「明日に希望を与えてくれるもの」になることを改めて感じました。
日常の会話も、一つ一つが「詩」なんだな。
わたしも、ベッドに入って自分のしゃべりすぎを反省し「あー、やだ、もー」と声に出して恥ずかしがりながらも、画面越しの女性たち(と植松さん)の表情を思い出して、つまるところ「がんばろうね」を送り、「がんばろうね」を受け取ったのだと感じました。
「がんばらなければならない」でも「がんばりなさい」でも「がんばるべき」でもなく、「(わたしもここで何とかやってるから)がんばろうね」という普通の声の大きさのエール。
お世辞に聞こえたらあれですが、画面越しに見てもみなさん、素敵だった。また会いたくなった。そして、あとで「しゃべりすぎた」と後悔しても、またしゃべりたくなった。
がんばろね。みなさま。
オバフォーは、今週もコツコツ更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。