「心のやる気」と「からだのやる気」の不均衡問題
こんにちは、カリーナです。
適度に運動をすることが体にいいと、あちこちで言われていて、確かにそうだと思いますが、そのベストな方法は人それぞれなのではないでしょうか。
わたしは、冬は毎朝6時半ごろから1時間、犬のスーと散歩して、それから20分ほどヨガをしています。
いわば、強制的に早朝から運動をしているのですが、これが自分には合っている。
なぜかというと「心のやる気」が元々あまり強くないので、無理やり体を動かして「体のやる気」を高めるほうが気分よく一日を過ごせて、それなりに充実するからです。
ところが、「心のやる気」がとても強くて朝から「あれもやろう、これもやろう」と思える人がこの方式をとると「体のやる気」がまったくない、というか、むしろ悲鳴を上げているのに「心がやりたがるから、運動をする」ってことになる危険性があります。
心のやる気に引っ張られて体はやる気がないままに無理をする、わけです。
なんで、こんなことを思ったかというと、1998年に62歳で亡くなった建築家・宮脇壇さんの著書を再読したから。もともと「父たちよ、家に帰れ」や「最後の昼餐」などのエッセイが好きで、何度も読み返しているんです。
いつ読んでも、楽しくてワクワクしておいしそうで美しい。
でも、改めて読むと宮脇さん、まあ、心も体も動かしすぎです。仕事も家事も遊びも、とにかく大忙し。建築家として全国を飛び回っているのに、娘さんがいるときは料理を作り、いっしょに食卓を囲み、洗濯をし、娘さんの独立後は、パートナーとガーデニングをし、パーティーで料理の腕を奮い、そしていつだって夜は、エッセイなどの締め切りに追われる!
関西に出張しても京都の名店であれを食べ、これを買い…自分の「これがしたい。これが欲しい」に一切妥協なし!
「最後の昼餐」は、パートナーの根津りえさんのイラストもすばらしく、できれば、10年、20年とおふたりの暮らしが読みたかったけれど、残念ながら、この本の執筆中に宮脇さんはがんになり、その後、亡くなってしまいます。
宮脇さんの発病と多忙な暮らしを安易に関連づけるつもりはないけれど、「心のやる気」が大きすぎて「体のやる気」の有無にあまり耳を傾けなかったのではないか。充実した幸せな人生だっただろうけど、もう少し、ペースを落としていれば、もっと長く健やかに過ごせたのではないか…とファンとしてはどうしても残念に思ってしまいます。
わたしのように「心のやる気」が「体のやる気」を引っ張り出すほど強くもなく、大きくもない人間は、「強制的に動く」のがちょうどいい。でも、「心のやる気」が大きすぎてなんでも楽しみながらがんばってしまえる人は、「強制的に動く」は向いていないんじゃないかな。
この、「楽しみながら」というのが曲者なんです。
「心のやる気」の大きい人は、楽しみながら無理ができてしまう。
すこーしだけ、ペースを落とすのがいいんじゃないかなと思います。
今週もオバフォーはコツコツ更新します。よかったら、遊びにきてください。「よもじ猫」が「よもじ猫同然」となって生まれ変わりました。詳しくはこちらの記事をどうぞ。わたしもスーとの写真を投稿しましたー。