(12)女性の仕事
子どものころ、よその親が子を褒めたり、かわいがったりするような場面を見かけると、「世の中にはそんなことがあるんだ!」と本気で驚いたものだ。親は子を叱り、あれこれ干渉し、思い通りに支配しようとするものだとしか思っていなかった。
自分はさみしかったのだと思う。しかし、さみしいと思ってしまうと、あんな母親に愛されたいと思っていることになってしまう。あんな奴には愛されたくない。というか、それはあり得ない。私の母は、親の希望を100%叶えた子しか愛せないだろう。それは「愛」ではない。
ということは、自分には永遠に「親からの愛」とか「親にかわいがられる」とかは、無いのだなあ。
こたつの天板の裏に「ママのバカ」と書いたことがあった。一方で、仕事で帰りが遅い母に手紙を書いたこともあった。何をしてたんだ、自分は。あんな人しかいなかっただなんて、幼い私、気の毒すぎる。
母が倒れて1か月以上経つと、「連絡が取れないのですが」という手紙が実家のポストに入っていることがあり、母の知人と連絡を取りあうことも発生した。なんと、あの母に、連絡を取りたい人がいたのだ! 驚き!
私が子どもの頃は、家に母を尋ねてくる友人などほとんどいなかった。仕事で知り合った、家を訪ね合う習慣のある文化圏の人ぐらい。それ以外で友達は一人しか来たことがなく、その一人に対しても、あとで陰口をたたいていた。
今連絡を取りたがっているのは、反原発などの活動を一緒にしていた人たちだった。なるほど、同じ社宅に住んでいるというだけのソサエティには馴染めなかったが、同じ目的を持った人たちとは仲良くなれたのだろう。
しかし、その人たちの母への評が、「こだわりが強く、妥協を許さない方で」「資料をじっくり読み込んでこられて熱心に発言されていた姿が」「独特の格調高いお話声が」…笑! ウザい様子が目に浮かぶ。
母は大学進学が決まっていたが、祖父への反発でそれをふいにし、精神を病み、何年も休養したあとに入り直し、卒業後は中学の英語教師となった。しかし、見合い結婚を機に辞めてしまった。そして、私を産んだあと、社会とつながらないことが耐えられず(と言っていた)、観光客相手の通訳をはじめ、専門的な通訳や翻訳の仕事に手を広げた。
今思うと、どうして教師を辞めたのだろう? 母の姉は大手ゼネコンのキャリアウーマンで一生独身だったので、親から「結婚しろ」と言われたわけではないことは確かだ。しかし当時の世間一般として、大卒の女性が長くできる仕事は教師ぐらいしかなくて(母の姉は例外中の例外)、教師というのも誰にでもできる仕事ではないだろうから、性に合わなかったから結婚するしかなかった、ということなんだろうか。
信田さよ子の本を読んでいると、母やそれより少し下の世代は戦後教育で男女平等を教えこまれたのに、現実社会では女性の働く場が少ないことで落胆し、娘に代わりに出世してもらおうと必死になる、というパターンが多く書かれている。
確かにそれはそうなんだろう。母は仕事を続けはしたが、フルタイムだったり、部下がいるようなポジションに就くことはなかった。
自治体の国際部門で非常勤として働いていたときに、管理職が無能だ、自分ならもっとこうできるのに、としきりに言っていた。自分こそが管理職にふさわしい、とでも言うように。仕事の準備で徹夜することも多く、そのことを自慢げに話す。出世など存在しないポジションでも徹夜するほど仕事を頑張っている自分、に酔っているようで気持ち悪かった。
私に「東大(でないとしても、少なくとも4年制の有名大学)に入って、ステータスのあるフルタイムの仕事について、出世して、ステータスのある男性と結婚するべし」を課したのは、自分の持ち物である娘の価値を高めたいだけではなく、そもそも自分の代わりをしてほしいという欲望もあったのだと思う。というか、そこは切り離せないものなのかもしれない。
つくづく、フルタイムでないにせよ、母が(処遇は不満でも、そこそこ打ち込める)仕事をしてくれていて本当に良かった。もし何もしていなかったら、そしてもし私が男の子に生まれていたら、私はどうなっていただろうか。
母の支配はもっと強く激しくなって、「一族の男子は全員東大」の呪いで、いとこのように私が死ぬか、反対に母を殺すかだったかもしれない。
と、医学部9浪事件の本を読んで思った。この事件で殺された母親は、自分では納得のいかないパートをしていたぐらいで、娘に医学部のみを強いて9浪もさせ、娘が看護師になっても許さなかった。しかし母親自身もその母親(殺した娘からみたら祖母)に実質捨てられており、捨てた母親(祖母)の再婚相手は医者だったという。
ある特殊なステータスを得なければ生きていけないと思い込んでいたのだろう。殺された母親の心理は、私の母親を参照すれば、とてもとてもよくわかる。
母は50代半ばで仕事を辞め、大学院に入った。それは、仕事では大成できなかったが、研究者という道があると思ったからのようだ。しかし、検索しても論文は一つしか見つからない。
1959年のミュージカル『ジプシー』は、伝説的ストリッパー「ジプシー・ローズ・リー」となった娘と、子役時代からステージママとして支配してきた毒親ローズの話。クライマックスは「ローズの出番」というナンバーで、ローズが、ショービジネスの世界で女性にはプロデュースや演出が許されていないこと、ステージママとしてしか才能を発揮できなかったことを吐露し、娘と和解して終わる。
いや、私は和解しませんけどね。『ジプシー』を作詞したソンドハイムだって母親を憎んでいて、その葬式に出なかったんだから。まあ、作品としては和解したほうがまとまりがいいのはわかるけど、現実はそんなハッピーエンドではない。
でも、娘に殺されないまでも、そういう親がたくさんいるのだろう。