【エピソード17】元武士の息子の経済事情
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしいエピソードをご紹介していきます。
【エピソード 17】
今回は、時代がぐっとさかのぼり、明治29年生まれのエイさんが見聞きした、エイさんの祖父チュウハチさん(元武士)と、エイさんの父シンイチロウさん(鉄道会社勤務)の話です。
エイさんの孫に当たるキミコさん(70代)が、エイさんの残した日記を見ながら話してくださいました。
・「武士の商法」で失敗。シンイチロウさんが若くして一家を支えることに
エイさんの家は代々信州松本藩の武士。明治4年の廃藩置県で、藩の禄で生活できなくなったチュウハチさんは、一家を上げて新天地・東京に出てきました。
チュウハチさんはおっとりとした人の良い性格で、東京で勤めに出ましたが、世間知らずの田舎武士でしたから、悪い人の口車に乗せられて廃藩置県の時に殿様からいただいた奉還金をだまし取られてしまいました。先祖代々の家禄を失った武士が、騙されて無一文になったり、慣れない商売に手を出して失敗したりという例は当時数えきれないほどあり、「武士の商法」という言葉ができたほどでした。
チュウハチさんは落胆のあまり気うつ病(現代の「うつ病」)になって勤めができず、一家は生活にも困るようになりました。そのため勉強がよく出来たシンイチロウさんでしたが上級学校へ進めず、明治20年に日給15銭の電信見習生として鉄道会社に就職しました。まもなく一人前の電信係として地方に転勤し、日給は20銭に。日給20銭なので月収は6円、このうち3円は下宿代(食事付き)、残り3円から東京の両親へ2円送金し、自分は1円の小使いで一か月暮らしたということです。
1889年から流通した一円札
・シンイチロウさん、偉くなって結婚する
その後、シンイチロウさんは車掌、改札係、助役心得、助役を経て、明治24年に22歳で駅長になりました。こんなに若い駅長は、日本鉄道会社で最初だったといいます。またシンイチロウさんは当時の日本鉄道では一番の美男子(!)といわれ、小唄にまで謡われたそうで、料理屋では芸妓や中居たちにさわがれたとか。
田舎の小さい駅とはいえ、駅長ともなれば村長、郡長、小学校長、警察署長などと同様に名士の一人として遇されますから、宴会も多くずいぶん飲んでいたそうです。ある時料亭で酔いつぶれて眠り込んでしまい、翌朝、出勤するのが遅れてしまいました。まずいことに、その朝、鉄道会社の重役連の乗り込む列車がシンイチロウさんが駅長を務める駅に着き、駅長が出迎えていないため全く面目を失うという事件がありました。シンイチロウさんは深く反省し、独身だからこういう野放図なことになると考えて身を固める決心をし、明治25年に結婚しました。
歌川広重「東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図」
・4人家族から8人家族へ。そして…。
シンイチロウさんは結婚後まもなく転任、俸給も月15円になりましたが、両親に5円送金し10円で生活していたということです。米一俵(60キロ)2円50銭、酒一升20銭、靴一足50銭、宴会費が一流の料亭でも一人前50銭という時代でしたが、それでも一家をかまえて月10円では、やりくりも大変だったことと思われます(1円が現在の1.5万円くらいの感覚でしょうか)。
明治27年に長女が、2年後の29年にエイさんが生まれ、親子4人暮らしとなりました。明治31年に東京のチュウハチさんが突然亡くなり残された4人の家族(シンイチロウさんの母と弟3人)を、シンイチロウさんが引き取ることになりました。会社に頼んで東京へ転勤させてもらい、貨物係と副業の家作の差配人仕事で8人家族を養いました。
同居することになったシンイチロウさんの母親は、武士の娘で金銭に無頓着、大家族で生活が苦しいのにお金を浪費します。シンイチロウさんの奥さんはもっぱら節約に努めるタイプでしたから、どうしてもうまくいかなくなりました。 “嫁姑”の争いが絶えず、結局一家は別居することになりました。エイさんが6歳になる直前のことだったそうです。
武士の時代から明治の時代へ。元武士の子孫たちは、激変する生活習慣や経済感覚に合わせ、いろいろやりくりしながら、庶民生活を営んでいたんですね。
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カラシ
興味を持って読ませててもらってます。現代版宇治拾遺物語?
お話してくれる方との信頼関係が無いとここまでお聞きできませんよね。
楽しみにしてますね。
まゆぽ Post author
カラシさん、
すてきなコメントいただいて、うれしいです‼︎
教養不足で宇治拾遺物語と言われても、
よく知らないのですが、
「こんなことがありました」みたいなお話を拾い集めた感じなんでしょうか?
知っていれば、月亭さんのお許しを得て、
「帰ってきた宇治拾遺」ってタイトルにしたのになぁ。