【エピソード19】主婦ミツコさんの幸せ生活 (昭和40年代)
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしいエピソードをご紹介していきます。
【エピソード 19】
約半世紀前の主婦の生活、そのごく一部を、ミツコさんが語ってくれました。サラリーマンの夫と専業主婦の妻、そして2人の子ども。当時の平均値よりちょっと裕福なモダンファミリーの暮らしです。
・家の前は田んぼ、裏は竹林
ミツコさんは当時35歳。サラリーマンの夫と小学校低学年の息子と娘を持つ4人家族。当時の平均的な専業主婦でした。家は地方都市の中心街まで電車で30分ほどの小さな町です。町と言っても、田んぼの中に少しずつ家が建ち始め、農家以外のサラリーマンが徐々に住み始めた場所。ミツコさんの家の前は、道路を隔てて広大な田んぼが広がり、裏は竹林でした(今や、その町は市となり、田んぼも山もすべて開発され、都心近くの便利な住宅都市に変貌しています)。
裏の竹林は、もちろん所有者がいたはずですが、柵も何もなく、とにかく家のすぐ裏なので、春になると次から次に生えてくるタケノコを何の疑問もなく毎年採り続けました。おかげで春の食卓はタケノコ尽くし。子どもたちからはブーイングも起こりましたが、とれたてのタケノコはどんな料理でもおいしく、女学生時代に戦時下の飢えを体験しているミツコさんは、自然のありがたい恵みの料理を出し続けました。当時の主婦は、食べ物をけっして粗末にせず、倹約精神は誰もが持っていたと思います。
道の駅やしまやHPより
・月に一度のレストラン
子どもたちの世話はシンプルでした。学校から帰ってきたら、家の前の田んぼが子供たちの遊び場。生活道路は車が走るわけでもなく、放っておいても安心です。受験戦争もなく、塾もなく、子供たちは外で元気に遊んでいればOKです。春には、つくしやセリなどを一緒に摘んで料理したり、田んぼに咲くレンゲ草で冠を作ったり、それが親子の遊びでもありました。
夫は、高度成長期のモーレツサラリーマン。当時のサラリーマンの休みは週1回、日曜日だけでした。さらに休日出勤も多く、家のことは奥さんに全て任せるのが当たり前でした。ミツコさんの夫はほぼ毎週休日出勤していましたが、月1回くらい休日出勤した夕方、ミツコさんと子どもたちを会社に呼んでくれました。誰もいない社内で夫はうれしそうに子どもたちを迎えます。子どもたちは興味津々の大人の世界をのぞき見ることができるので、いつも大はしゃぎ。
それから、会社の接待で使っているらしいステーキレストランに行き、ごちそう夕食です。もちろんミツコさんも子どもたちも毎回大喜び。ミツコさん一家の楽しいイベントでした(たぶん夫は交際費で支払っていたのでしょう。高度成長期のおおらかな時代でした)。
1961年発行の『装苑』(文化出版局)
夏休みには、必ず家族旅行に行きました。ミツコさんは、毎回、その家族旅行用に子どもたちの服を手作りしました。当時、既製服自体少なく、かわいい服はあまりありませんでした。子どもたちにおしゃれでかわいい服を着せたかったミツコさんは、この時とばかりにがんばりました。しかし毎日忙しい主婦ですから、仕上がりは毎回ギリギリ。旅行前日にほぼ徹夜で完成させました。
旅行中、夫は子どもたちを八ミリで撮り続けます。オシャレな服の子どもたちはさらにかわいく撮られるわけで、親バカとは思いつつもミツコさんは徹夜の疲れも吹き飛び、旅行の楽しさも倍増しました。
専業主婦ミツコさんの、今から半世紀前の“幸せな”生活の一コマでした。
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