道の真ん中に落ちていたもの
先日、友達の車に乗せてもらっていたときのこと。
歩道をあるいていた小学生の女の子が道の真ん中を避けるように大きく遠回りするのが目に入りました。もっていた鞄を胸の前で抱きしめ、こわごわとよける様子が不自然にみえ、そこに目をやると、なんとそこに大きなカブトムシがぽつんと落ちていたのです。
アスファルトの歩道の真ん中にいるカブトムシは、異様な光景でした。おもわず「わたし、ここで降りる」と言い残し、あっけにとられる友人を残し、私は車から降りてカブトムシに駆け寄りました。近くでみるそれは思った以上に大きく、私の記憶の中のカブトムシとはちがう生き物に見えました。
本物のカブトムシを見えるのは何十年かぶりで、周りの車も、人も、建物もみんな消え去って、この世にカブトムシと私しかいない。そんな感覚に陥ったのでした。
そっと手の平に乗せてみると、つのを動かし、足をばたつかせ、抵抗して私の手の平にかみついてきました。「いたたたた、ちょっと、助けるから、かまないでよ」、「もうちょっと待っててね、今、木のあるところに連れて行くから」などと、ぶつぶつと手の平のカブトムシに話しかけながら歩道を小走りで通り過ぎる私はさぞ変人にみえたことでしょう(でもそんなの全然気にしないのです)。
大きいでしょ~
5分ほどいったところに小さな公園があり、高木が数本生えていました。その場所がカブトムシに適した場所だったかは分かりません。でも私にできる最善のことはそのときは、それしかありませんでした。一番入口にある木の幹に載せると、迷うことなく上へ上へと登っていきました。それはとても力強い生命力にあふれた姿でした。
なぜ、私は、車から降りてまでカブトムシを助けずにはいられなかったのか。それは過去に何度も助けたいと思いながらも行動ができなかった自分がいたからなのです。それは動物だったり、高齢の方だったり、具合の悪そうな人だったり、いろいろです。自分の中に逡巡があって、どうしよう、どうしようと思っているうちに、その瞬間を逃してばかりでした。いつだってタイミングは一瞬なんです。それを逃すとどうにも動けなくなる。そしてその後ひとりで後悔するのです。
行動しなかったときの後悔は後を引きます。ときには何週間も、何ヶ月も。何年もたってから、ふと思い出すときさえあります。それとは反対に行動して思い通りの結果がでなかったときの後悔はすぐに忘れてしまいます。あ~あ、こんなことやらなきゃよかったと一度は思ったとしても、何日も後をひくことはないのです。
だから、私は、やらなかったことの後悔をしないことに決めました。後悔の念はじわじわと自分を疲弊させます。過去の行動を後悔をしているだけで心が疲れてしまうのです。
だったら、行動する!やらないよりやる。変な人と思われてもいい、自分がとりたい行動をとる。
そういう風に決めました。