さようなら、そしてこんにちは
うちには二匹の猫がいる。名前は茶々丸としまじろう。去年の10月に保護猫活動をしているKさん宅から引き取ってきた。総勢10匹の大所帯で暮らしていたせいか、二匹ともいまどき珍しいどろぼう猫っぷりを発揮し、隙を見せると食卓のおかずをかっさらわれる。そのくせ寝るときは2匹で枕元に寄ってくるので、寝返りを打てないほどにぎゅうぎゅうの状態で寝ている。猫の群れの一員になったような最高の気分を味わっている。
きじとらがしまじろうでチャ白が茶々丸
一年前までうちにはサバというオス猫がいた。
サバが初めてうちに来た日のことはよく覚えている。ネットの里親募集サイトに載っていた「超美猫」の触れ込み付きの写真をみてひと目で気に入ったのだった。
やってきたオス猫は超美猫というにはやせっぽちで三角形の顔をしていた。
サバは一風変わった猫で、抱っこは嫌い、こびたり甘えたりすることのない孤高の一匹猫だった。
そんな変わった性格もわたしは好きだった。
そんなサバに老いの兆しがみえたのはいつごろだったろうか。
ふさふさだったしっぼの毛が抜け落ちてひとまわり細くなり、大車輪のようだった太ももも頼りなくなってきた。16歳の誕生日を越えたある日のことサバがごはんを食べなくなった。毎日私がお風呂に入っていると、外から「ニャー」と鳴いてとびらを開けさせ、中に入ってきてお風呂のふたの上にのっかって一緒に時間を過ごすのが常だった。
そのお風呂にもパタリと来なくなった。
16歳といえば立派な老猫だ。いつ何があってもおかしくない年だ。でも私はサバがいなくなることに耐えられず空に向かって祈った。「お願いです。サバを元気にしてください」渾身の祈りだった。
翌朝、奇跡が起こった。カリカリという音に飛び起きてみると、サバがいい音をさせてフードを食べているのだった。そこから何事もなかったかのようにサバは元気になり、お風呂にも毎晩来るようになった。一日の終わりにサバと一緒にお風呂にはいるのは、なにより幸せな時間だった。
ところが、喜んだものつかの間で、サバはひと月ほどすると日に日に衰えていった。昨日できていたことが今日はできなくなり、どんどん痩せていき、みるみる背骨が浮き出てきた。私の顔も一切見なくなり、きりっと前を向いたまま厳しい表情を見せるようになった。ああ、もう終わりなんだなと思った。
今回は祈る気にならなかった。受け入れるしかないと悟った。この子はすべてをわかった上で死を受け入れようとしている。もう何もしてあげることはない。ただ見守ることしかできない。そう思った。
そんなある朝、目が覚めると、サバの下あごが下がり舌の先がだらりと出ているのに気づいた。私はハッとした。今日がサバの最後の日だ。そう直感した。
涙があふれ止まらなかった。出勤前の夫に「サバが死んじゃう。死んじゃうよ」と涙ながらに訴えると
「そんなこと言ったって会社休むわけにはいかないから、早く帰るようにするよ」
と言い残し夫は出かけていった。
その後、私はなんとか気を取り直して家事を終え、いつも通りパソコンに向かって仕事を始めた。
サバは廊下に静かに横たわっていた。
ほどなくして背中に気配を感じて振り向くと、サバがふらつく足取りで書斎に入ってくるところだった。ここ何週間もこの部屋には入ったことがなかったのに、部屋の真ん中まで歩いてきて、そこでゆっくりと辺りを見回した。それからよろよろと出て行き、となりの部屋に入っていった。そっとついて行くと、そこでもおんなじように部屋の真ん中でぐるりと辺りを見回していた。そうやってすべての部屋を見て回ってから、もとの廊下の位置に戻り、どさりとそこに横たわった。まるで、これで見納めだから自分が過ごした家をよく見ておこうという感じだった。その後は、二度と立ち上がることはなかった。それが午前中のことだった。
午後はずっとサバのそばにいようと思った。動かなくなったサバのそばに座って
「いろんなことがあったよね。」「夏はセミをとって遊んだね」「山の家にもいったよね」たくさんの思い出を話しながら背骨が浮き出た身体をなで続けた。静かな落ち着いた時間だった。
夕方になり、ゴミを出しに行こうと思い、「ちょっと外に行ってくるね」と声をかけてから外にでて、
すぐに戻ってみると、サバが大きな声で「ニャー」と鳴いた。
「この大事なときにどこ行ってるんだよ」といわんばかりの抗議のニャーであった。
思えばこれがサバの声を聞いた最後だった。
夜になり夫が帰宅した。サバは小康状態を保っているようだったのでとりあえず晩ごはんにした。黙って食べているなあと思って夫の顔を見ると、目を真っ赤にしており、それを見た私も涙があふれてきて結局何を食べているのかわからないまま食事を終えた。
それから二人でサバのそばへ行って両側から見守った。「サバは立派な猫だね」「えらい猫だよね」二人でサバをほめちぎった。見守り始めてからほどなくして、サバはぶるっと大きく身体を震わせたかと思うと、そのまま逝ってしまった。何か大きくて温かいものがサバの身体から抜けていったのがわかった。
夫が会社から帰ってくるのを待って、我々の食事が済むのを待って、万全のタイミングでサバはあの世に旅立っていった。完璧すぎて泣いた。
気高く崇高な姿だった。最後の最後に人生の幕引きのお手本を見せてくれた。
サバはまったくすごい猫だった。
のびのびやってます