『いまからでも楽しい数学』顛末記2
というわけで、本づくりの話は続く…。 ( 前回はコチラ )
中学時代の恩師・川勝先生と数学嫌いの生徒だった僕の35年ぶりの再会は、和やかで温かなものになった。それが3年ほど前の話。その頃から、僕は東京と大阪を行ったり来たりすることが多くなり、伊丹の実家に帰ることがあると、川勝先生を訪ねたりしていた。月に1度か2度、伊丹の駅前の中華料理のうまい居酒屋で、飲めない僕は梅酒のソーダ割りをなめながら、ビールの好きな先生は生中を飲み干しながら、近況報告や昔ばなしをして笑っていた。
ある時、先生が紙切れに三角形を描きだした。そして、「この辺が6センチやとするやろ。そしたら、ここは何センチになる?」と質問を始めた。僕は「ここは直角ですか?」と聞く。「そや、ここは直角。で、ここが6センチ」と先生。「ということは、まず、三角形の面積を求めればいいんですよね」と僕。「そや、よう覚えてたなあ。面積の出し方はわかるの?」と先生。「わかりますよ!底辺×高さ÷2、ですよね」とちょっと自信がない。「そや、よう覚えてた。えらいなあ」と先生は昔のまんまの表情でほめてくれる。結局、僕は先生のちょっとした引っかけ問題にやられて撃沈。
「そやから、数学は苦手なんですよ」と照れもあってグチる僕に、先生は「そやけど、いろいろ考えるっちゅうのは楽しいもんやろ」と話し始める。「最近の子は考えるっちゅうことが苦手やねん。もう考える前から『先生、無理やわ』とかいう子が増えたな」と。そこから話は、今時の先生と生徒の関係や教育そのものの話に…。
そのとき、何気なく僕がつぶやいた言葉がいけなかった。
「先生、問題をひとつ解いただけでこんなに話が広がるって、数学っておもしろいですねえ」
これを聞いた先生がすかさず
「あんた、あんだけ数学やらんかったくせに」
「いや、いまだからこそわかるのかもしれませんよ」
「ほんまかいな」
「だって、あの頃は『公式なんか覚えてなんの役に立つねん!』と思ってましたからね」
「そうやろなあ(笑)」
「いや、ほんま。あの頃数学を勉強しなくてごめんなさい」
「こっちこそ、うまいこと教えられへんでごめんなさい」
と、ここから、先生が問題を出す。僕が答える。その答えをさかなに、二人で話をする。というパターンができあがり、それがやがて一冊の本になるのであった。
このやりとり面白いから本にしましょうよ、と僕が言い出したあたりから雲行きが少し怪しくなってきた。
最初は楽しかった。先生も堰を切ったように問題を出し、僕は僕でこれまでの数学からの逃避をわびるかのように問題を解く。しかし、元来の数学嫌い。少し問題がややこしくなってくると、やっぱり逃げたくなる。
先生は先生で、校長まで出世したとは言いながら、やっぱり普通の中学校の先生。本の構成を考えた問題をうまい具合に繰り出してくる、という訳にもいかず、なんとなくマンネリ状態。
「私はもうこれ本にならんでもええわ。君と時々あって、数学の話をしているだけで楽しい」と言い出したときには「先生、本にしますよ。遊びじゃないんだから!」と趣旨を忘れて声を荒げてしまう始末。だって、そうしなきゃ先生が甘えた発言を連発してくるのだから仕方がない。それが、ちゃんと本にしましょう、と話してから半年くらい経ったときの話だ。僕も正直、これは本にはならないかもなあ、と思い始めていたのだった。(続く)
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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