やればできる子
やればできる子だと言われて育ってきた。
初めてそう言われたのは忘れもしない小学二年生の時。学校の先生に算数の問題に答えるように指名され、まったく答えがわからずに呆然としていると、座るように言われてしまった。
まあ、小学生のことなので、答えられなかったという恥ずかしさはあったものの、のど元過ぎればですぐに忘れてしまう。ただ、先生は「もしかしたら、傷ついたかも」と思ったのだろう。授業が終わってから、職員室にみんなのノートを集めて持ってくるように言われた。
職員室は苦手だ。どんなに正直に話をしても、嘘をついているような後ろめたさを感じる。できることなら立ち入りたくない場所だろう。そして、そこは教室とは違い、圧倒的に先生の場所である。生徒はどんなに頭の良い子でも居心地が悪い。ましてや勉強が苦手な僕は、そこに足を踏み入れるだけで落ち着きをなくしてしまう。
それでも、先生に頼まれたのだから仕方がない。みんなのノートを先生に渡すために意を決して職員室に入る。担任の先生の席を目がけて一直線に歩き、先生の机の上にノートを置くと、きびすを返して帰りかけたのである。その時、先生に言われたのだ。
「やればできる子なんだけどな」
なんだか、テレビアニメの主人公の可愛い魔女のようなしゃべり方で、まだ大学を出て数年しか経っていない若い女の先生が言った。
「きっと、やればできる子なんだと思うの。だから、もう少し頑張ってみようか」
もう僕はいても立ってもいられない。いたたまれないとはまさにこのこと。その先生がどんな言い方をしようが、僕が授業の時に答えられなかったということが、いまここで問題になっているのだ、ということがよくわかる。つまり、先生に慰められなければいけないほど簡単な問題を間違ってしまった、ということなのだろう。
僕は職員室という苦手な空間で、「やればできる子」という恥の上塗りをするような言葉をきっちりと耳の奥底に刻み込まれたのである。
さて、以来、何度「やればできる子」という言葉を聞いただろうか。それこそ、小学校から中学校にかけては本気で励まされ、高校に入る頃には半ばギャグのように言われ、働き始めてからは新人に向かって「やればできる子なんでしょ」と、やってもできなさそうな子に言うのが流行のようになっていたりもした。
結論から言うと、誰だってやればできる子なんだろう。そりゃそうだ。100m走で世界新記録を出せといっているわけじゃない。八割型の人間にできることを「やればできる」と言っているんだから。
おそらく、「やればできる」と言われたことのある人たちは、最初の数回は「そうか、オレはやればできるのか」と納得もしたし、なんなら「よし、がんばろう」と意を決して事もあるだろう。ただ、恐ろしいことに、そのときには「やらなければできない」ということに気付いていなかったりする。
中学校にあがったころに、小学二年生のあの日とほぼ同じシチュエーションで「やればできるんだけどなあ」と言われた瞬間の恐怖はいまだに忘れられない。「やればできる」が「やらなければできない」というまさに諸刃の剣であることを気付いた時の、背中をひんやりとした汗が伝っていったあの感覚。
たまたま、専門学校で学生を前に話しているときに、「どうしてやらないんだろうね、君たちは」と思った時に「やればできるんだけどね」と、「やらなければできないんだけどね」ありきで話してみたりすることもあるのだけれど、学生のほうはアッケラカンと「そうなんです、やれば出来る子なんです」と自ら口にして自嘲するふうでもない。
その明るさに安堵し、その軽さを訝りながら、さて振り返って、自分は「やればできること」を「やらなければできない」と自覚して、「やってできたこと」にしてきただろうか、あれやこれやをひとつひとつ指折り数えて、その数の少なさに呆然とし、憤然として、小さくため息をつくのである。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
きゃらめる
やればできる子も
やらねばできない子のまま
やればできる子も
何でも全てできるとは限らない
通り過ぎないと気づかないんだなぁ~
uematsu Post author
きゃらめるさん
いやもう、本当にそう思います。
通り過ぎないと気付けない。
だけど、気づいた大人は、
「やればできるんだから、やりなよ」
と、自分のことは棚にあげて、言い続けてやらないと
いけないんだなあ、と最近つくづく思います。