はじめてのおつかい。
この間、テレビで『はじめてのおつかい』を見たのだけれど、以前と見え方が違っていて驚いた。この番組もとても長く続いていて、若い頃は自分が初めてお使いした頃のことを思い出して泣き笑いしながら見ていた。子ども出来てからは、うちの子だったらこういうときどうするんだろう、と実の子どもを見るようにドキドキしながら見ていた。
ところが、娘が20歳になり、息子が17歳になると、出てくる子どもたちがこれから生まれてくる孫のように思えるのだ。これには驚いた。もう、小さな子が一生懸命に歩いているだけで涙が出てくる。端から見てるとただのアホではないかと思う。
そんなアホなオッサンである僕ですが、こんな僕でも初めてお使いしたような可愛い幼少のころがあったわけです。
たぶん、もっと小さなころからお使いはしていたのだろうけれど、覚えているのは小学校の1年生の時のことだ。
母から「豆腐を買ってきて」と頼まれた僕は、家から歩いて十分くらいの市場へと出かけた。肉屋があり、八百屋があり、駄菓子屋があり、洋装品屋があり、文房具屋もパン屋も荒物屋もある、という昔ながらの市場だ。
家を出る僕に母は「もめん豆腐と生姜を買ってきて」と頼んだ。いつもの市場、いつもの豆腐屋さん、そして、いつもの八百屋に行けば、豆腐も生姜も手に入る。お安いご用だ!とばかり僕はお金を握りしめて市場へと走った。
そして、いつもの豆腐屋さんで、顔なじみのオバサンに「豆腐ちょうだい」と声をかけた。
「ほい、もめん?きぬごし?」
「もめん!」
「えっ?あんたとこのお母ちゃん、いつもきぬごしやで」
「えっと、でも、今日はもめんやねん」
「ほんまかいな。間違えちゃうか?あんたとこのお母ちゃんがもめん買うとこ見たことないで」
「えっと、えっと」
「大丈夫大丈夫、きぬごしにしとき。まちがいない」
「ほ、ほんならきぬごしで」
正直、僕はまだきぬごしともめんの違いなどわかってはいなかったのだ。ただ、母が「もめん」と言ったことは間違いないと思っていた。でも、豆腐屋のオバサンの自信たっぷりな「きぬごし」という声に抗うことなんてできなかったのだ。
僕はいつもなら大好きな、豆腐をプラスチックの容器に入れて、それをビニールパックする機械をオバサンが操作するのを泣きそうになりながら見ていた。
きっと怒られる。だけど、「オバサンがきぬごしって言ったから」という言い訳が通用するかも知れない。僕は呆然とした足取りで、とりあえず生姜を買いに八百屋へいった。チューブのすり下ろした生姜なんてなかった時代だ。皮の付いた生姜を八百屋で買うのが常識だった。
今度は失敗できない。そんな思いで、僕は八百屋のおじさんに「生姜ください」とハキハキと元気よく言った。すると、おじさんはちょっと申し訳なさそうな顔をして、「大きな奴が売り切れてしもてん」と言うのである。
そう言って、おじさんが見せてくれたのは、小さな生姜のかたまり、というよりも子どもの僕の目から見ても痛んでしまった小さな生姜だった。そう言えば、この八百屋さんは以前、母と来たときにも似たようなことがあったのだった。小さな痛んだ生姜しかない、そう言われた時、母は「こんな痛んだ生姜にお金払われへん」と返事をしたのだった。すると、おじさんは「そやな、ほな、使えるとこ使こて。お金はいらんわ」とその生姜をくれたのだった。
あの時と、同じような生姜である。僕は母の言ったことを真似てみた。「こんな生姜でお金払われへん」と。するとおじさんは「なにを子どものくせに、えらそうに。これでも、ちょっとは使える。●●円や」と値段を言って売ろうとするのだった。
値段は忘れてしまったが、確かにいつもより安い値段ではあった。けれど、以前はただでくれた物を今日は有料だということが僕には理解できなかった。子どもだから、なめられている、ということはわかるのだが、どう対処していいのかわからない。
僕はますます混乱し、八百屋の前で立ちすくんでいた。すると、隣の家のオバサンが通りかかり、声をかけてくれた。僕が事情を話すと、オバサンは八百屋のおじさんに「あんた、子どもや思てええかげんな商売して!ただであげんかいな!」と一喝。おじさんは「ちゃうがな。いつもは●●円やけど、今日はただであげようと思てたんやがな」とその小さな生姜を包んでくれたのだった。
僕はそのお使い以来、買ってくるものは紙に書き、少しでも大人と違う対応をされそうになると、通りすがりのオバサンの子どものふりをしたりするようになったのである。あの頃の大人は、子どもに優しいばっかりじゃなかったけれど、それが子どもを育てたのも事実だな、と今になって思うのだった。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
ひろっくま
植松さんのはじめてのおつかい、まるでテレビで見ているかのようでした。
読みながら「がんばれ!がんばれ」って思いましたよ!オバサンが助けてくれて良かった〜。
私、レタスとキャベツの違いもよくわからないパートナーによく「おつかい」を頼みます。
そして彼はなぜか、買い物に来ている他の優しいオバサマ、おばあちゃまたちに「どうしたんですかぁ〜?奥さん風邪ですか〜?何を探してるの〜?」って声をかけてもらい、きっちり「おつかい」を終わらせることができます。
オバサマたちに助けてもらった事を嬉々として話してくれる小学生のようなおっちゃんは、よっぽど困った顔をして「おつかい」してくれているんでしょう。
nao
私も子どもの頃、八百屋におつかいに行って
傷んだゴボウを持たされて帰ったら
母が「子どもだと思ってバカにして」と返しに行かされたのを思い出しました。
市場の八百屋は何でも量り売りで、大人に混じって
「大根10cm切って」とか「玉子2個ちょうだい」とか言って買っていました。
冷蔵庫は電気ではなく氷を入れて使う物だったし
みんなその日暮らしで使う分だけ買ってたんですね。
買い物一つ黙ったままなんて出来なかった時代。
大人のみなさんはおつかいする子どもをどんな風に見てたんでしょうね。
アメちゃん
おはようございます!
読んでいるうちに、長谷川義史さんの絵でストーリーが展開されてきました。
でも、もし私が八百屋のおじさんに
「子どものくせに、えらそうに」とか言われたら
なんでお母ちゃんの真似して、あんなこと言ったんやろ〜〜と
3日ぐらい自己嫌悪になりそうです。
子どものお使いといえば
姉が母に、父の下駄を買いに行くのを頼まれて
そのときに母から
「新札やから、ひっついてないかちゃんと確かめて渡しなよ」と何度も言われたのに
案の定、姉は1000円多めにお金を渡してしまい
こっぴどく叱られて大泣きしていたのを、今でも覚えています。
あまりに泣く姉がかわいそうで
私はお年玉から1000円をこっそり玄関先に置いて
「あれー、こんなとこに1000円!おばちゃんお金返しに来たみたいー」と
バレバレの演技をしました^^;。
uematsu Post author
ひろっくまさん
なんだか、あの頃、子どもはものすごく子ども扱いされていて、
大人はちゃんと優しくて狡猾で、
町を歩いてるだけで、子どもが育てられている感じがあった気がします。
買い物の苦手なおっちゃんは子どもよりもたちが悪いですね(笑)
uematsu Post author
naoさん
鶏肉屋さんと牛や豚肉を売る肉屋さんは、別々でしたね。
卵もひとつひとつ選んで買う店もありました。
あの頃、子どもって家族のものというよりも、
地域のみんなで育ててる感覚があったのかもしれませんね。
uematsu Post author
アメちゃんさん
姉を思う妹の演技に感涙です。
僕は子どもの頃、家がそれほど裕福ではない、
ということをなんとなく察していたので、
給食費をお年玉から出したことがあります。
その夜、父親にボコボコに殴られました(笑)。
サヴァラン
「はじめてのおつかい」というのは
子どもにとって世の中へ出て行く第一歩なのかも、と思いました。
「人生の中での最初で最大のミッション」とも。
わたしは母から近所の文房具やさんで花火を買ってくるよう言われ
「ばらで買って来なさい」と言われた意味がわからず
連れて出た弟にもぐずられ、結果「進退窮まる」思いで
「ばらの柄」の花火を1本だけ買って帰って、
母から「なんでまた一本だけ?」と驚かれた記憶があります。
子ども本人にとって、「買う」という行為は
天下分け目に相当するような一大事であったりしますが
「買う」ことに慣れた大人は、えてして「買う」ことに付帯条件をつけて
必死の子どもをさらに必死にさせたりするもののようですね。
お子さんだった植松さんの「こんな生姜で」には、
親子の結びつきの強さからくる切実さがあって、
でもそれは赤の他人の大人には「なまいき」とさえ映ってしまって
当の大人は大人で「商い」という誠実と狡猾のかけひきがあって。。。
市場の濡れたセメントの床。
小銭を入れた青いざる。
サンダルからはみだすはだしの足の指。
そんなもののひとつひとつを
懐かしさとせつなさと一緒に思い出したりしました。
匿名
このお話すごい好きっ!
uematsu Post author
匿名さん
ありがとうございます。