誰のために生きるのか。
明るく笑っていれば、きっと良いことがある。そんなふうに言われるし、実際にそう思う。思うけれども、いつもいつも笑ってられるかとも思うし、正直いつもいつも笑っているわけではない。
笑って生きていると、自分の周囲には笑顔が自然と集まってきて、邪な輩は逃げていくのさ、とよく言うし、実際そんな気もするけれど、あんなにも笑顔の素敵なあの人が、とんでもない鬱屈した表情の輩にひどい目に遭わされたという話も聞いたりする。
だとすると、人生は出たとこ勝負で、どんなに努力したってなるようにしかならんのか、と開き直りたい気分になるけれど、そこそこ長く生きていると、いやいや努力した分、きっと報われるんだよ、いやほんと、と呟きたくもなる。
ここのところ、僕自身は「ええっ!!」と思うようなことが次から次へと起きて、「人生はどうなっとるんじゃい」と思っているのだけれど、客観的に見ると、結局自分が望んでいた方向にいろんなことが動いている気がして、ここしばらく毎日が楽しい。
ああ、大変だ!というのと、ああ、楽しい!というのが交互にやってきて、結局、楽しいの勝ち!という気分なのである。
そうなると、人生、自分のために生きなきゃな、と思う。誰かのために生きるなんて、最後の最後不可能なんだし、そう思ってる人がいるとしたら、そりゃもう思い上がりだと思う。「あなたのために頑張ってきたのに!」なんて古くさいメロドラマみたいなことを言ったところで、結局、自分が「そうしたかった」とか「そうするしかなかった」ということをすっかり忘れている。というか、忘れたふりをしている。
誰かのために尽くしてきたのに、なんて思っている人がいたら、それは自分のために尽くして欲しかったのに、ということの裏返しであり、ギブアンドテイクの実践以外の何物でもないわけよ、きっと。
誰かのために生きることができないなら、ちゃんと自分のための生きるしかないだろうな、きっと。なんとなく、そんな言い方をすると、傲慢なような気もするし、身勝手な奴という気もするけれど、やっぱり人は自分のために生きるしかないんだと思う。
ちゃんと自分のために生きてる人は、誰かに尽くしたなんて言わないし、自分の今を誰かのせいになんてしないんだと思う。
自分のために生きよう。そうしよう。ちゃんと、自分のために生きていこう。それがいいよ。ほんとに。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
https://store.line.me/stickershop/product/1150262/ja
クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
http://www.isana-ad.com/maron/pc/
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
ミカス
これから先のいつか・どこかで、絶対に誰かのせいにしない自分でいられるように、今の私は必死で踏ん張っております。
誰かのせいにしたいのは山々なんです。でも、そうしたらしたで無性に悔しくなるだろうなって。
uematsu Post author
ミカスさん
でも、誰かのせいにしたくなるんです、無性に。
だけど、結局、誰かのせいじゃないってわかってるんです。
その辺りが、本当にこわい。
怖いけど、生きてかなきゃならない。
ああ、人生って…と思うけど、
めちゃくちゃ楽しいことや面白いこともある。
宮本輝の「流転の海」シリーズの完結編を読んでいて、
余計に色々考えてしまう今日この頃です。