猫を飼っていた、という話。
今年は夏が過ぎて、9月になっても10月になっても暑い日が続くなあ、なんて毎日のように話していたのだが、さすがに12月を迎えた途端に急に冷え込んできた。手頃なセーターがなかったので、ユニクロで良さそうなのを見繕って買ってみる。
買ったセーターを家に帰って当ててみる。さっそく明日から着てみようと考えながら、セーターをたたむ。たたみながら、毛が付いていないかどうか気にしている自分に気付く。いやもう、我が家の愛猫、マロンが亡くなって1年半ほど経つんだよ。もうさすがにマロンの毛は落ちてないだろう、と思うのだが、それでもこんなふうに時折、気になってしまう。
猫の毛は不思議なもので何度もちゃんと掃除をした場所からも、はらりと落ちてきて目の前に一本確かにマロンのものだったと思われる毛が現れたりする。そして、そんな毛を見ると、ああ、マロンは確かにいたんだなあ、という想いにとらわれてしばらくぼんやりしてしまうことがある。
そこにいたという想いにとらわれてしまうのは、なにも猫だけじゃなく、犬にだって人にだって物にだって抱く感情だと思う。なんとなく猫の場合、こっちに甘えもせず「ボクは勝手にやってますんで、そんなに気にしないでくださいニャ」的なムードを醸し出しながら存在していた分、いないということに慣れるのが難しいのかもしれない。「あれ、いつものように、どっか行っちゃったのかな」と思ってしまったあとで、「あ、そうか。マロンはもういないのか」と思い出す瞬間が、もう1年半も経っているのに、わりと毎回新鮮すぎて驚いてしまう。
植松さんのウェブサイトはこちらです。お問合せやご依頼は下記からどうぞ。
植松眞人事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
Jane
私も前に住んでいた借家、引っ越した時には念入りに掃除したのに、何か月たっても長い白髪(そこで自死したお婆さんの?)や犬か猫の毛がどこからかふわりと出てきました。そうやって前にそこにいた人物やら動物やらのDNAが残り続けるって不思議ですよね。公共の場や道でだって、色々な生き物の残したものが混じり合っているんですよね。
uematsu Post author
Janeさん
不思議ですよね。
まあ、人や動物や植物やその他諸々の痕跡で今があるってことですよね。