Posted on 2026年2月18日 by uematsu
孤高の芸人が描いた、無視できない愛のカタチ。
ゆりやんレトリィバァが映画を撮ると聞いたとき、素直に面白そうだ、と思った。彼女のお笑いのネタは、いつもどこかわかりにくい。周囲に媚びることなく、独自の奇妙な設定を披露し続ける姿は「孤高の芸人」と言ってもいい。
そんな彼女が、映画というたっぷり時間を使える表現手法を手に入れたらどうなるか。観客に「見せたいもの」ではなく、ゆりやん自身が心の底から「見たいもの」を妥協なく作るのではないか。それができれば、かなり面白い映画ができそうな気がしたのだ。
そうして生まれた初監督作品『禍禍女(まがまがおんな)』。目の前に繰り広げられたのは、予想以上の凄まじい世界だった。「なんじゃこりゃ」と声を上げたくなるような異常な執着や、思い入れが強すぎる狂気の展開。しかし不思議なことに、そこで描かれている世界には、けっこう「普遍的な愛」が流れている気がしたのだ。あまりにも個人的で極端な愛憎の奥底に、誰かを強烈に愛したことのある人間なら、たぶん共鳴してしまう純粋なものが見えた気がしたのだ。
この映画を誰にでもお勧めできるかと言われれば、間違いなく万人にはお勧めすることはしない。「重すぎる」「理解できない」という声も当然あるだろう。実際、レビューは低評価の嵐だ。なかには「映画を撮ろうとしている人たちみんなへの冒涜だ」とまで書いている人もいる。
しかし、間違いなく言えるのは「無視されるような映画でもない」ということだ。他人の目を気にせず圧倒的な熱量で作られた「見たいもの」は、理解できるかどうかを超えて、少なくとも僕には面白かった。
ここまで書いてきて、ほんとにこの感想でいいのか、という気もするし、数日後いきなり、「いや、あれは間違いだった」と反省する気がしないでもない。だけどまあ、いまそう思っているという事実は、書いておこうと思う、男らしい僕なのである!
植松さんのウェブサイトはこちらです。お問合せやご依頼は下記からどうぞ。
植松事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。














































































