食べることは無防備なこと : 手羽元と栗の甘辛煮
「食べることって、すさまじく無防備なことなんだ」
その時、中学生の私は思いました。
中1のある日のことでした。
いつもと何の変わりもない給食の時間。
決められた5〜6人の班ごとに机を向かい合わせる形で、皆、給食を食べていました。
私の向かいにはYちゃん。
共に教師の両親を持つYちゃんは、学年で1、2を争う秀才で、
しかもスラリと背の高い美人さんです。
喋りまくりの駆けずり回りといった忙しない毎日を送る私なんぞとは違い、
いつも落ち着いた品のある「女学生」でした。
そんな彼女がジャムを塗った食パンを食べる姿を見て、私はふと思いました。
「Yちゃんもごはんを食べるんだ」
「何を言ってるんだ、ミカス⁈」とお思いでしょうね、皆さま。
おっしゃりたいことはよくわかります。
私自身も戸惑いましたよ。
Yちゃんとは、毎日向かい合って給食を食べていましたから、
彼女が食べる姿はさんざん見てきていたわけです。
それ以前に、人がモノを食べるのは当たり前。
なのに、その瞬間の私は、まるで世紀の発見でもしたかのような衝撃に撃たれていたのです。
その衝撃を分かりやすく紐解いてみるとこんな感じです。
Yちゃんにも、パンにジャムを塗って食べたい・食べようという気持ちがある。
真面目で、頭が良くて、美人で、私とは別の次元で生きているような彼女にも
そういう欲求があるんだ。
つまり私は、お上品な女学生Yちゃんにも欲求があるということに気づいて、
それにびっくりしてしまったわけです。
そして、食べるという行為は、とても本能的な欲求に基づく行為なんだと。
そう考えると、食べることってなんて無防備な行為なのか…
と、冒頭の言葉へつながっていくわけです。
食べる姿を晒すのは、裸を晒すのも同じことなんだと。
中学生の頃の私は、喋りまくりの一方で、
妙に小難しく物事を考えるちょっと変わった子供でした。
食べるという行為をここまで考える中学生、ヘンですよね。
幸い、その後、私が恥ずかしくて人前で食事ができなくなるなどということはありませんでしたが、
食事が本能的な行為つまりは自分をさらけ出す行為なのだとしたら、
一緒に食事しても緊張しない相手とはうまくやっていけるのではないか、
という判断基準は今でも私の中にあります。
で、本能のおもむくままに食べるといえば、骨つき肉。(強引か?)
今日ご紹介するのは、手羽元と栗の甘辛煮です。
これも我が家でよく作るメニューなのですが、
栗の甘露煮を入れるというアイディアがどこから来たのかは不明。
でも、栗が入ることで、甘辛のコントラストが引き立ちます。
『手羽元と栗の甘辛煮』
1.鍋に、醤油、砂糖、酒、みりん、水、生姜の薄切り数枚、 2. 1が煮立った火を中火にし、手羽元を加えます。 3. 10分程煮たら栗の甘露煮を加え、さらに10分煮たら出来上がり。 |
本能でかぶりつけ!というにはやや小さめの手羽元ですが、
ご家族や気のおけないお友達と一緒にガツガツいっちゃってください!
ミカスでした。
れこ
ミカスさん、こんばんは~。
手羽元甘辛煮、作ってみました!
(写真投稿機能もさっそく使ってみました)
ただ、スーパーで栗の甘露煮を発見できなかったので
味噌ピーで代用したんですけどね(^o^;)
それでも家族には好評でした~♪
前回の「ブリのソテー・ネギまみれ」(じじょくみさん命名)で、
ネギの青い部分が残っていたので丁度よかったです!
今まで、いろんなサイトのレシピをプリントアウトして
バインダーに挟んできましたが、最近では
ミカスレシピの割合がぐんぐん増えております。
あ~、コメント書きながら写真見てたら
またお腹空いてきちゃいました!
ミカス Post author
れこさん
作っていただいたのですね。
そして写真も!
ありがとうございます。
栗の代わりに味噌ピーって、すばらしい発想。
これはもう、れこさんレシピです!
こうしてレシピがひろがっていくのは楽しいですね。
せっかくの写真投稿機能を使って、コメント欄で皆さんのレシピ自慢が始まったら楽しいなぁ。
私もれこさんの写真でお腹が空いてきました。