ミカ料番外編 : シェアするということ
3月8日から14日まで、カナダへ行ってきました。
この時以来1年ぶりです。
1年に1回海外旅行なんて、今までの私にしたらなかなかの贅沢。
それでも思い切って出かけたのは、
今動かないと後悔するような気がしたからです。
カナダの友人の中には、年齢と共に体のコンディションが変化してきている人も
少なくはありません。
そして私も、両親の状態を考えればいつ身動きがとれなくなっても
おかしくはないし、私自身に健康上の問題が起きたとしてもおかしくはない。
行きたい場所へ行く。
会いたい人に会う。
そう決めた途端、航空会社の予約サイトをのぞいていました。
<今回は南から。でもオバフォー世代ならやっぱり北ウイング。ラブイズザミステリー♪>
あちらでは友人の家に泊めてもらい、
ほぼ毎日の夕食をあちこちの友人宅でご馳走になったのですが、
ひとつ、あらためて実感したことがありました。
あちらのお宅は、「〇時に来てね」と言われてその時間に行くと
なぜかまだ食事の支度ができていないことが多いのです。
(どうやら「来てね」の時間=食事のスタート時間ではないらしい)
そこで飲み物を頂きつつ調理している様子を眺めるということになるのですが、
どの家も必ず夫婦二人でキッチンに立っているのです。
旦那さんがメインで調理をして、奥さんはゲストと歓談しつつ指示を出す
というお宅もあります。
「パイをオーブンに入れて頂戴、ダーリン」
「OK、ハニー」
てな具合で。
毎回この共同作業ぶりには本当に感心させられるのですが、
とあるお宅でのディナーの後、友人にそれを話すと
「パートナーだもの、生活をシェアするのは当たり前でしょ?」
<晩御飯をご馳走になったお宅。テーブルセッティングも旦那さんの担当でした>
「日本では一緒に料理を作ったりしないの?」
「最近は家事をやる男性も増えてはいるけど、
それでもまだ女性の負担が大きいよ」
「うーん、シェアができないとパートナーでいるのは難しいよね。
ただ、シェアにもいろいろな形があると思う。
どちらかが働いてお金を稼いで、もう一方が家事をするというのも
生活のシェアの形のひとつよね」
なるほど…。
これ!という形にとらわれず、自分たちなりの「分かち合い方」を
しっかりと持っていればいいわけか。
とはいえ、それは簡単そうでいて、お互いが完全に納得できる形にするのは
割と難しいことなのかもしれない。
なんてことを考えつつ、
あれ?私はまずシェアする相手を見つけることが先決じゃん!と気づいたら
ちょっと切なくなったカナダの休日でした。
次回はこの旅で私が食べたものをどどんとご紹介します。
ミカスでした。